第40話 緊張の風呂再び

 まずは風呂から始まった。その緊張感といったら前回の比ではなかった。

 だって前回は車椅子の飛鳥をバスチェアに移動すればよかっただけだ。それが今回は“風呂でやること”を自分がやらなければならない。


 そして前回は仕事でやったのだが……今回のこれは飯代はあるけれど、ボランティアだ。自分が好きでやっていることだ。なら恥ずかしくても頑張らないといけない。


 風呂の手伝いなら濡れてもいい格好をしなければと思い、大翔はティーシャツと短パンに着替えた。この着替えは汚れ作業をした際の、いざという時のためにいつでも仕事バッグ入っていた。それが今回役に立つなんて持ち歩いてよかったと思う。


「よぉし! 飛鳥さん、やるぞっ」


 既に浴室ではバスチェアと飛鳥の乗った車椅子を並べ、移乗の準備は万端だ。飛鳥も「あぁ」と返事をすると前かがみになった大翔の首に左手を回した。

 自分も飛鳥の背中に手を回し、背中から抱きかかえるようにする。前よりもお互いの密着度が強い気がする。そうでないとお互いに不安なのだ、自然に身体がそうすることを求めている。前もそうだったが移乗をするには身体が密着すればするほど楽だから。


「せーの」の合図で飛鳥を抱える腕に力を入れ、飛鳥は落ちないように首にしがみついた腕に力を入れる。お互いに息を合わせ、バスチェアへ――もう何度かやっているだけあってスムーズにいけた。


 飛鳥は左手でイスの手すりをつかみ、落ちないように体勢を立て直す。自分も飛鳥の肩を支えながら彼が落ちないようにし、何かあったら助けられるようにスタンバイをする。


「飛鳥さん、こっからは?」


「……シャツを脱ぐのを手伝ってくれ」


 今日の飛鳥はワイシャツではなく、黒いティーシャツを着ていた。多分ワイシャツだと伸びないから着るのが難しかったんだろう。

 頼む、と言う飛鳥の合図と共にシャツの裾をつかみ、動かしやすい左手を先に脱ぎさえすれば、あとは飛鳥が自分で頭を脱ぐことができる。これも介護技術として使われる方法らしい。


「右手、固定してると脱げないよな、どうする?」


「三角巾を外してくれるか。ギプスはしてあるから動かさないようにする」


 三角巾は一応肩の脱臼を治した後の保護目的でしていたらしい。骨折したのは指で、指はもう固定はしてあるから三角巾を外しても問題はないのだとか。

 飛鳥の指示で三角巾を外し、残りのシャツを脱がせる。

 すると、わかってはいたが……見てしまった光景に息を飲んでしまい、大翔は目をそらした。


(いやいやいや、意識することはないっ、んだけど、な……)


 でも何も言わないのは余計恥ずかしい、とりあえず何か言っておく。


「あ、飛鳥さん、体格、いいんだな。いつも車椅子の、わりに」


 なんてことを言ってみる。上半身は常に使っているから腕も胸の筋肉も引き締まっている。見惚れるぐらいに。ただ転倒してぶつけた右肩、腕には痛々しく青あざが残っていた。


「変なことを言うなよ……」


 飛鳥は戸惑いがちに返した。飛鳥もほめられると、ちょっと恥ずかしいのかもしれない。飛鳥に照れられると、こちらはさらに気まずくなってしまう。


(ま、まぁ、そうだよな。裸見てほめられたら、気まずいよな……でもここからどうするんだろ。もっと下……も風呂に入るなら脱がなきゃいけないぞ……)


 どうしたもんかと思っていると。


「下はなんとかやってみる、ちょっと待っていてくれ」


 飛鳥の言葉にうなずき、その場で待機する。ジッと見ているのも悪いと思ったので飛鳥に背中を向けた。そうしながら緊張するこの意識を他に向けたいなと思って、大翔は浴室のドアをにらみつけた。背後からは飛鳥が左手のみで頑張って動いているようでバスチェアが揺れる音、布がこすれる音がする。


(……落ちないでくれよ。落ちてまたケガ増えたら大変だぞ)


 本当は全部助けてやりたいんだけど。大事なとこをひけらかすぐらいまでは、お互いに信用はまだできていないから“今”はまだ仕方ない。

 少し経ってから飛鳥が「大翔」と呼んだ。無事に服は脱げたらしい。


「悪い、洗濯物……」


 大翔が振り向くと、飛鳥は申し訳なさそうに丸めた上下の洗濯物を手渡してきた。それを受け取りながら「気にすんなよ」と言って、一回浴室を出て洗濯物を片付けてから再び浴室に戻る。

 飛鳥はしっかりとバスチェアに座り、ちゃんと下にはタオルがかけているので目のやり場には困らなかった。


「飛鳥さん、背中洗ってやるよ」


 提案すると飛鳥はためらいながらも、うなずいた。シャワーの準備をしているとシャワーの水音に混じって飛鳥の声が聞こえる。


「本当なら全部自分でやることなのに……お前にやらせてしまって申し訳ない」


 飛鳥はつらそうにバスチェアの手すりをグッと握っていた。

 全部自分でやりたい。飛鳥はそういう頑固者だ。それができないという歯がゆい気持ち……きっと今まで何度もしてきたんだろう。

 でも今ぐらいは、やるのは、この“オレ”なんだから頼ってほしい。


「飛鳥さん、全然気にすんなよ。オレは好きでやってるだけだから」


 飛鳥は「そうか」と答え、そのまま黙ってしまった。飛鳥にシャワーをかけながら「大丈夫だよ」と何度も声をかけた。

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