第39話 カレーを食べながら色々
大翔は台所に立つと青いエプロンの紐を前で結んだ。どこに何があるのか、フライパンはどこにあるのか。その情報はもうさっき見たからわかっている。
狩矢家の台所には本当に必要最低限の物しか備わっていない。鍋は一つ、フライパンは一つ。オタマは一つ、ボールも一つ。家族が多くて物も多い自分にとっては驚くほどにシンプルで分かりやすい。調味料だってダシと醤油と味噌と砂糖があるが、酒やみりんという類は置いていない。スパイス、ハーブ類なんて欠片もない。
だんだん必要な物をそろえたらいいかもな~……なんて。
そんなこと思っている自分に気づいて(何を考えているんだ)と自分で自分をツッコんでおいた。
(い、いつまでもずっといるわけじゃねぇだろう。自分がずっとこうして過ごすかのように思ってしまった、そんなわけはねぇぞ……)
でもいつまで続くんだろう。まだ初日でしかないが、いつまでもこうして続いてもオレはいいかも……とか。いや、それじゃ飛鳥の身体が治らないことを意味しちゃうよな、ダメだ、それじゃ。
リビングのカーテンは高層階ということもあり、寝る前まで黒いカーテンは閉めないらしい。窓の向こうには夜空と他の建物が見える。その内側でオレンジ色の室内灯に照らされる飛鳥を台所に立って、たまにボーッと見つめている自分がいて……ハッと意識を戻す。いかんいかん、仕事しなきゃ。
「飛鳥さん、できたぞ」
飛鳥がまだ仕事を頑張っている間に、大翔はカレーを作り終えた。ちなみに簡単なハムと野菜のスープも作った。カレーだけは栄養が偏る。飛鳥にケガを早く治してもらうためには、ちゃんと栄養を摂ってもらわないとだ。
飛鳥はパソコンから顔を上げると「なんとか今日の分は終わった」と安堵の様子を見せた。パソコンを閉じてシャットダウンし、深く息を吐いていた。
「そういうのってノルマとかあるんだろ? 大変だよな」
「一応締め日はある。ただこれ一つだけじゃない、いろんな仕事を請け負っているから。一つ遅れるとなかなかきつい」
「ふーん、オレには全然パソコンのこと、わかんないからなぁ」
「だがお前が代わりにメールを打ってくれたり、少し操作をしてくれたりして助かった。しかもそれ以外のこともやってくれて……やるじゃないか、見直した」
最後の一言は余計だなぁと思いながら。大翔はカレーとスープをテーブルに並べ、飛鳥の真向かいの席に座った。
「アンタってさ、今もエラそうだけど、でも変わったよな。天国と地獄くらい、初めての頃と大違いだ」
「そうか?」
「あぁ、最初はなぁ……とにかく腹が立った。アンタ、性格悪すぎ、最低ってずーっと洗面所で一人でブツブツ言ってた。んでたまにそれを隼人に聞かれて、隼人がニヤニヤしてた」
室内にはいつものウッディな香りの代わりに、今はカレーの匂いが漂っている、食欲をそそる匂いだ。会話をしながら大翔の腹は静かにグゥと鳴っていた。
「変われば変わるもんなんだなぁ」
そんな話をしつつ、大翔はスプーンでカレーをすくう。カレーを口に入れようとした時、飛鳥が「それは、お前の――」と何かを言いかけたが、そこで言葉は止まっていた。
「あ? オレが、なんだよ」
促してみたが飛鳥は「なんでもない」と、それ以上は何も言わなかった。こうなったら頑固者の飛鳥はテコでも言わないだろう。
まぁいっか、と思い。大翔は「腹減ったから食うよ」と言って、自分の作ったカレーを頬張った。
「やっぱりうまいや」
飛鳥を見てみると、飛鳥も少ししてからちゃんとカレーを食べてくれていた。
うまい、一言そう言って。
そんなありふれた言葉ではあるのに、その一言で自分の心臓が大きく弾んだ。嬉しいと思った。自分がこうして飛鳥と並んで食事をしているのが不思議であり、多少恥ずかしい。
でも彼のケガが招いたことではあるが、こんな状況になったのは嬉しいかもしれない。飛鳥のために何かができている、もっと何かできないかな、とそんな胸躍る気持ちになれる。
「……あれ、そういえば隼人は?」
「あいつは夜はバイトだ」
「バイトしてたんだ」
「居酒屋だ。帰ってくるのはいつも真夜中になる。だから朝はなかなか起きれなくて学校を遅刻する」
なるほどね、と。大翔はカレーを頬張る。
「ということはさ……夜中、飛鳥さんは一人なのか」
それは、今までは大丈夫だったとしても今はどうだろう。右手が使えないのでは以前よりできないことは増えている。例えば風呂だって。電動車椅子で浴室までの移動はできても、バスチェアに移動することも難しいだろう。
だがそこまで自分が介入してもいいのだろうか。飛鳥が望んでくれるのであれば、そうしたいが。そこまで言うのは図々しいだろうか。
飛鳥は「やってくれ」とは絶対に言わない。それだったら自分は自分が望む行動をした方がいい。隼人の事情も聞いたのだ、大丈夫だ、必要としてくれる……ならば言ってしまえ。
「飛鳥さん、オレでよければ。図々しいかもしんないけど……オレ、このまま飛鳥さんが落ち着くまで手伝ってやりたいな」
思い切って望みを口に出してみると、そこからは堰を切ったように言葉がポンポン出てきてしまうのが不思議だ。
「あっ、別にさっ、なんか裏があって考えてるわけじゃないんだよ。ただ単純に飛鳥さんが困ってんなら、オレはそれを助けてやりたいと思ってんだよ。なんでって聞かれると困るんだけどさ、ただオレはそうしたいって思ってるだけ」
飛鳥のカレーを食べる手が止まる。 皿の上にカチャッと、スプーンが置かれる。
そしてこちらに目を向けながら言葉を失ったように口を少しだけ開けたり、閉じたりしていた。何かを言おうと思ったが、なんて言ったらいいのかわからない……そんなふうに見えた。
「あ、飛鳥さんがそこまで必要ねぇっつーならオレは帰るよ。だから本音で言ってくれてかまわねぇよ。だけどあれをやってほしいとか、オレになんかしてほしいって言うなら、オレは喜んで引き受けるぞ」
そこまで言うと飛鳥は黙ってしまった。今度はテーブルを見ながら何かを考えているようだ。
返事を待っている間、大翔は気持ちが落ち着かないから、半分食べたカレーに目を向けていた。心臓が緊張して何度も何度も上下左右に動き回っているような気がした。
二分いや三分、いややはり数分。それぐらい時間が経った気がする。
すると飛鳥らしくない行動があった。彼は「はぁ」とため息をついたのだ。
「大翔……もし、いいのなら――」
戸惑いがちに飛鳥の言葉が紡がれた。
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