第36話 動けなくて

 隼人と共にリビングに入ると、いつもの見慣れた定位置に車椅子の飛鳥は座っていた。

 だがその右肩は白い三角巾で固定され、動かしてはいけないと訴えるような医師の処置がしっかりと施されていた。


「とりあえずねー、指の手術は終わって、あとは定期的に自分で指の傷を消毒。で、定期受診で先生とこ行って診察して、治ってきたらリハビリするんだって。あ、んで今さっき退院してきたばっかりだから、ちょっとお疲れ気味だよ」


 隼人は飛鳥が病院で受けた処置や今後のことについてしっかりと伝えてくれたので(意外だなぁ)と思った。隼人はこういう話は「興味ないや〜」とか言って、軽く受け流してくるかと思っていたのに。やはりなんだかんだで兄のことが大事なのだ、良い兄弟だ。


「それでね、今は指にね、変なクギみたいなの入ってんだけど。それで折れたとこを固定してるから動かしちゃいけないんだって。まぁ当たり前だよね、折れてんだから。でさ、身体が自分で動かせる人なら指が動かないぐらいで日常生活にそんな支障はないんだけど、兄貴の場合はねぇ――」


「隼人、もうわかったから、大丈夫だって」


 みなまで言わなくてもわかる、飛鳥の身体の状態は。なので隼人の言葉を途中で止めた。


(飛鳥さんが、聞いてるのも、しんどいだろうしな)


 飛鳥にとって両手は己を動かす全てだと言っても過言ではない。その片方が動かせないのだ、それはほとんどが何もできないということ。飛鳥にとってはどれほどつらいことだろう。


(だから午前二時間と午後二時間……それが計五日間。つまり、オレの一週間のスケジュールは全て飛鳥で埋まった、すげぇよな)


 それが所長から指示された新しいサービス内容だ。ケガが治るまでの間だが、しばらくはかかるだろうと予想される。

 土日については隼人が「自分がなんとかするから大丈夫だよ」とは言っていた。でも隼人だってやりたいことがあるだろうし、一応学生だし。そこまでやらせるのはちょっと心配なところだ。兄に付きっきりになってしまっては隼人が参ってしまうんじゃないだろうか。


 しかし自分が仕事をできるのは週五日までと決まっている、それ以上の勤務はできない。残業になってしまうから。残業は高澤所長が会社の方針として、あまり負担をかけることはさせたくないと思っているようなのだ。


 だがこんな状態の飛鳥を見ていると今までみたいに、少しの時間でも一人でいるのは難しいんじゃないかと思う。二十四時間付きっきりとまではいかなくても何かあればすぐに助けられるような、そんな環境にいた方がいいんじゃないだろうか。施設とか、もっとプロの介護職を頼るとか……しないか、飛鳥は嫌がるだろうな。


「じゃあ大翔さん。しょうがないから俺は学校行ってくるね、あとはお願い」


 隼人はそう言うと自分の部屋に戻り、学校に行く準備をして外へと出て行った。


 一方、飛鳥は虚ろな表情で窓の外を見つめている。天気がいいから窓からの日差しが彼の頬を照らし出す。血色が悪くて、顔色が悪い。ちゃんと食べてないのかな。そう思ってしまうほど覇気がない。以前の憎たらしいくらいのトゲトゲした雰囲気がない飛鳥を見ていると、見ているこちらも元気がなくなってしまう。


(いや、ダメだな。オレは元気でいなくちゃ。飛鳥のためにやれることをやってやんなくちゃ。まずは声をかけるんだ)


「飛鳥さん、なぁ、顔色悪いけどちゃんと飯食ってんの? 退院、早くてよかったじゃん」


 取りとめのないことを言ってみたが飛鳥は顔を上げることなく、同じ体勢のままでいた。

 大翔は負けじと続ける。


「ところでさ、今日から午前も午後も飛鳥さんちでの仕事が増えたわけだけど。オレは何すればいいんだよ? 掃除洗濯だけじゃないんだろ」


 飛鳥はうなずきながら「そうだな」と言った。その声にも全然力が込められていない。


「仕事を片付けなければならないんだ……だが片手ではパソコンを操作することができない」


「じゃあそれを手伝えばいいってわけか。オレ、パソコンなんて読むのと、ちょこちょこ動かすことしかできないんだけど」


「別にそんなに難しいことはない。俺の指示通りにやれば問題はない……問題はないんだが……」


 飛鳥は言葉を濁すと、動かすことのできる左手で顔を覆ってしまった。


「こんな身体でどこまでできるか。全くわからないんだ。だがやらなければ、あいつを養うための学費も稼げない、あいつに苦労をかけるわけにはいかないからな」


 飛鳥のいうあいつとは弟の隼人のこと。飛鳥は隼人の養育者でもあるから、高校の学費とかも払わなければならないのだろう。

 飛鳥は今、落ち込んでいる。やらなければいけないのに、それがうまくできそうにない。 できないと困るというプレッシャーに挟まれているようだ。


(なんて言ったらんだよ……励ましてやったらいいのか……う〜ん)


 大翔は考える。単純に頑張れなんて言ったってしょうがない、でも――思ったことを口にするしかないじゃん。


「飛鳥さん、オレがいるから、大丈夫だって」


 それもホントは確約できないんだけど、だって自分にできないことは多い。

 それでもやんなきゃいけないんだよな。ウジウジ悩んでいる場合じゃ、ねぇよな。


「飛鳥さん、よくわかんねぇけどさ、とりあえずやることやっちゃおうぜ。うまくできるかなんてわかんないけど。 やってみなきゃ始まらないだろ? やってみて難しかったら、もっと時間かけてやってみればいいんだ。 そうすりゃ、いつかは終わるだろ。それまでオレもしっかり手伝ってやるからさ」


 大翔は思いつく限りの言葉で飛鳥の不安を消そうとした。

 すると遠くを見ていた飛鳥の視線が大翔の方を向く。相変わらず力のない瞳だったが一瞬――ほんの少しだけ光が射したような気がした。


 午前二時間、午後二時間。それは自分の休憩時間を入れないスケジュールだ。

 つまりは昼休憩の一時間も足してしまえば五時間は飛鳥のそばにいられる。

 それでなんとかしてやろうと大翔は思った。

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