第37話 特技は調理だ!
利き手が使えないというのは、それはそれは大変なものだった。キーボードで文を数行打つにも両手だと数秒なのに、左手のみだと三倍の時間を要する。マウスを動かすにもクリックが逆で、スムーズに動かすことができず、カチカチと音が鳴る度に飛鳥は苦々しげにため息をついていた。
「大翔、それを取ってくれ」
飛鳥の指示で、大翔はテーブル上にあった書類を飛鳥の前に置いた。
「次はそっちだ」
そう言われるとまた別の書類を。そんな感じで飛鳥の一挙一動を見守り、 指示で一つ一つ書類を出したり、物を取ったり。パソコン画面を時折見ても自分にはなんのことかさっぱりわからない。図式と文字の入り乱れ具合を見ては、なんの意味があるんだろうなぁ、と思う。ちょっと眠くなりかけた。
思うように作業が進まず、飛鳥の気分はやはり落ち込んでいた。これではダメだな、とつぶやいたり、間に合わないと愚痴が出たり。口から出るのはネガティブな言葉ばかりだ。以前よりネチネチ度が増したかもしれない。
「飛鳥さん、とりあえず昼飯にしたら?」
パソコン画面を見ながら「あとでいい」と飛鳥は投げやりに言う、お前は先に休憩していいぞ、と。
こんな時だが飛鳥は意外にも自分のことを気づかってくれた。それが意外だ、最初はそんなヤツじゃなかったのに。クレーマーと言われ、挨拶もしない傲慢なヤツだったのに。
動かすことができる左手で懸命にマウスを動かす飛鳥を横目で見ながら思う。
(もっと、なんとかしてやりたいな)
仕事着でもある青いエプロンのポケットに両手を突っ込みながら何気なく台所に目をやった。いつもあまり使った形跡のない台所、綺麗なシステムキッチン。
その後ろにある食器棚の真ん中には電子レンジと炊飯器が並んで置かれ、炊飯器の表示が赤いランプを点灯している。どうやらご飯は炊けているらしい。
「飛鳥さん、ちょっとキッチン見てもいい?」
大翔の問いに、飛鳥は「あぁ」と答えた。
大翔は台所に行くと炊飯器に入っていたご飯の量と冷蔵庫の中には何があるかを確認した。冷蔵庫を開けても飛鳥は仕事に集中しているのか、何も言ってこない。
冷蔵庫の上段には、お茶などの飲み物、醤油などの調味料、卵、薄切りの豚肉、ウィンナーなどが入っている。下段には玉ねぎ、人参、ジャガイモなど。カレーだったらバッチリ作れてしまう材料が入っていた。
(これだけあれば、なんかしら作れんな)
飛鳥か隼人か。時には料理をしていたのかもしれない。自分だって実は料理を作ることはできる。親が出かけている間とか、よく弟達に一品料理を作ってあげていたものだ。
大翔は野菜を選ぶと、シンク下から包丁を取り出し、全部をみじん切りにした。野菜とウィンナーは炒め合わせ、塩コショウをしてフライパンの上に置いておく。ご飯は卵と混ぜて、少し塩コショウして。
そしてすでに調理して炒め合わさった野菜と一緒に、それをさらに混ぜて炒める。卵がコーティングされたご飯は火にかけるとパラパラした感触になって固まっていく。
自分が作ったのは簡単に作ることができる一品料理。食器棚にあった適当な皿にそれをよそい、完成した。
飛鳥の様子をチラッとのぞいてみると。飛鳥は相変わらずパソコン画面に釘付けだ。集中しているから勝手にキッチンを使っていることも気になっていない。
「飛鳥さ~ん」
時刻は昼飯の時間だ。大翔は飛鳥に近づき、テーブルの上に皿を置いた。
「少し休んで飯食えよ。チャーハン作ったから」
飛鳥はすでに疲れたような顔色でテーブルの上を見て、さらに大翔を見上げた。
「お前が?」
驚いたように目を丸くなり、自分とテーブルのチャーハンを交互に見比べている。
「なんだよ、オレがチャーハン作ったら変か。言っとくけどオレは普通に作ることができるものなら作れるぞ。んで弟達は喜んで食べてくれてるぞ」
飛鳥は不思議そうな表情を浮かべながら、ほんのりと白い湯気が出ている目の前のチャーハンをジッと見つめる。
「材料は借りたからな、あとガスと水道も」
「それはかまわないが。お前、料理もできるんだな」
「まぁね、簡単なものとか。一般家庭で作れるものなら大体は作れるよ、肉じゃがとかコロッケとか、からあげ」
大翔があれこれとラインナップを述べると飛鳥は「本当なのか」と言いたげに、こちらを見た。その疑わしげな視線に「本当だっつーの」と言葉では返さず、目で返しておく。
大翔は自分のチャーハンを持って移動し「オレ先に食べるからな」と飛鳥の前のダイニングチェアに腰をかけた。
「……お、やっぱりうまくできてんなぁ~、さすがオレ」
自分で作ったチャーハンを食べながら感想を述べる、我ながらうまい。本当は長ネギとかチャーシューでやれると一番なんだけど。
「飛鳥さんも腹減ってんだろ? 仕事とかやる前にさ、自分の身体のメンテナンスって一番大事じゃね?」
「……あぁ、まぁ、そうなんだが……」
そう言いながら、パソコンをやろうか。目の前のチャーハンを食べようか。悩んでいる飛鳥を見ながら「冷めるとうまくないぞ」とトドメで言ってやった。
すると、やっと飛鳥は左手をゆっくりと動かし、スプーンを口に運んだ。
チャーハンを咀嚼した瞬間、彼の鋭い眼差しが、ほわっと――ロウソクの火が灯ったように明るくなったようだ。
「……うまいな」
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