第30話 対価と望み

 身体のどこかが苦しそうに飛鳥はつぶやく。そんな様子を見ていたら当然こっちも苦しくなってしまう。


(なんだよ飛鳥……素直に、なればいいじゃん……)


 大翔は唇を引き結ぶ。飛鳥にとって楽に生きるというのは、そう簡単には手に入らないものなのだろうか。彼にとっての楽というのは。みんなが普通に味わえる人間らしくというのは。ただ彼が生きているだけじゃ、味わえないのだろうか。


「……なぁ、大翔」


 珍しく飛鳥が名前を呼んだ。呼ばれ慣れていないから、いきなり名前で呼ばれると肩がビクッとなってしまう。


「お前はなぜ、今日こうして俺を連れ出してくれたんだ。俺を連れての遊園地なんか、行くのも面倒、いちいちアトラクションに乗せるのも面倒……お前にとって大変なことばかりだろ」


 相変わらず暗い考えを持つなぁ、と。大翔は呆れた気持ちで言葉を返した。


「そんなのオレがやりたかっただけだって。アンタと来たら楽しそうだなと思っただけ。そんだけなんだよ……アンタは楽しくなかった?」


 飛鳥は「いいや」と缶コーヒーを手で包んで両目を閉じた。


「俺は楽しいという時間に自分を置くのが分不相応な気がしてならない。一度楽しいというのを味わってしまうと何度も味わいたくなってしまう。だが俺の場合、それはずっと確約できるものではないからな。ずっと楽しさの中にいられればいいが……それは叶わないから」


「分不相応なんて、そんなこと、ないだろ。そんな考えばかり、やめろよ」


「……俺は、俺だけの世界で生きるのが一番似合っているんだ」


 長々と話しているなと思ったら、飛鳥は自虐的なことばかりを言う。楽しいなら楽しい、またぜひ来たい……そう言ってくれればいいのに。自分を頼ればいいのに。

 胸の中にモヤッとしたものが生まれる。反射的に「なんだよ、それ」とケンカ腰になってしまったが、飛鳥は目を閉じたまま続ける。


「わかっているだろ。俺は一人では何もできない。こうしてお前がいてくれないと移動も、何かを味わうことも俺はできない。だがお前はずっとこうしてはいないだろう。今の仕事をずっと続けるわけでもないだろう」


 飛鳥の口元が緩やかに笑っている。その微笑にはあきらめのような寂しさのような、そうなる運命だから仕方ないんだ、という飛鳥の奥底の気持ちが混ざっているようだ。


「お前はいなくなる、その機会はいつかくる。俺はそれを覚悟しておかなければならないんだ」


「……はっ?」


 飛鳥の力強く断言する言葉に、大翔は「そんなことねぇよ」と反論した。


「勝手に……勝手にオレのこれからを決めてもらっちゃあ困るんだよ。わかんねえよ、オレだって。もしかしたらずっとこの仕事続けるかもしんねぇし。今んとこ辞めたいとも思わねぇし」


 それに自分は。この目の前に男のことを……今は放っておく気はない。言葉にはあまり出さないが飛鳥は自分を頼りにしてくれているんだ。なら自分にできることをしてあげたいと思っている。

 だがその望みは、今はまだ口にするわけにはいかない。口にすると頑固なこの男のことだ……避けられてしまう気がするから。


「先のことなんてまだわかんねぇ。そんなことをずっと考えていたって仕方ねぇだろ?」


「そうだとしても、 俺にとっては一生を左右することでもある、だから早めにスッキリさせておかなければならない……大翔、俺はこの通り何もできないんだ。だがお前みたいな仕事をする全員が全員、俺が希望することをやってくれるわけじゃない。金を払っても確実にそれを、俺の世話を行ってくれるヤツがいるとは限らないんだよ」


 飛鳥は目を開くと大翔を見た。


「対価を払っても断られる場合も、どうにもならないこともある。今はお前がいる、だからいい。だがお前がいなくなったら俺はまた何もできない状態になってしまう。その時の、俺の歯がゆさ、喪失感……一度楽しさを味わったら、それは倍になるんだ」


 飛鳥の瞳には不安と渇望と、どうにもならないというあきらめと。飛鳥が抱く複雑な気持ちが含まれている。


「お前に金を払い続ければお前がいなくならないなら、俺は払い続けてもいいぐらいだ。なんだったら二倍でも三倍でもな」


 飛鳥のその発言に大翔は顔をしかめた。


「なにそれ……マジ? マジで言ってんの」


 問い返したが飛鳥は返事をせずに視線をそらす。その仕草にも今の言動にも。急に腹の奥がグツグツと煮えるような、不快なものが湧き上がるのを感じる。

 これはイラ立ちというものだ。自分は飛鳥の言葉にイラ立っている……なぜか?


(今やっているこれは……仕事じゃないからだ。今、飛鳥をここに連れてきたのも自分がいるのも、対価をもらってるわけじゃねぇからだよっ)


 確かに飛鳥には一緒に外出同行した分を後で精算してもらい、毎月の引き落としで支払ってもらう。それは車椅子を押したり、彼の移動を手伝ったり、風呂を手伝ったり。彼の身の回りのことをして、やった内容は会社に申告するのだ。


 けれど今日の外出は、飛鳥に休んでいいと言われたから自分は休暇として申告するつもりだ。ただ休暇で飛鳥と出かけたかっただけなのだ。金が欲しかったわけじゃない。いや必要だけどさ、生きるためには金が必要だから稼がなきゃいけないけど、そればかりじゃない。


 しかし今は、まだ現状は……金は支払われる、だからオレは世話をする。それが今の、二人の関係だ。


(それでいい、のか? 自分が望んでいるのは)


「……飛鳥さん」


 でも、まだこの関係の先を希望することも。自分が何を希望しているのかも、わからない。


「今日だけはさ、そんな暗いこと考えないでさ。オレに付き合ってよ」


「……あぁ」


「じゃ、次行くからな。まだまだ乗るから、覚悟しておけよ〜」


 わざと明るくしてテンションを上げた。

 飛鳥の時折見せる微笑が、あきらめなのか。楽しんでいるのか。どちらなんだろうと考えながら。

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