第24話 裸で風呂でパンツがない

 飛鳥にも要領を確認しながら、車椅子とバスチェアを斜めで向き合うように並べ「行くぞ」と声をかけ、飛鳥の両腕の下に自分の腕を入れる。

 彼に抱きつくような体勢になったが、それがちょっと……というより、だいぶ恥ずかしい。でもこうしないと移乗はできない。飛鳥もバスチェアの手すりにつかまり、腕の力で移乗をサポートしてくれようとしている。


 自分は飛鳥の体重を支え、彼をバスチェアに着地させるのが仕事。大丈夫、それだけのことだ。

 でもこんな距離で彼の顔を見たのは初めてだ。意識すると心臓の動きが速くなってしまうので……意識しないよう、息を止めた。

 でもそれではかけ声ができない、だから少しだけ呼吸をして「せーのっ」と声をかけ――。


「う、おっと……よしっ、いいか、な?」


 無事にバスチェアへの移動が終わり、飛鳥がイスから落ちないのを確認してから、大翔は車椅子を浴室の外に移動すべく、グリップを握った。


「じゃあ飛鳥さん、なんかあったら呼んでな」


 飛鳥の「あぁ」と言う短い返事を聞いてから車椅子を持って外へと出た。

 車椅子を壁際に置いてから、大翔は盛大にため息と共に床にへたり込んだ。脱力というのは、こんな感じかもしれない。


「めっっっ、ちゃ緊張した……」


 飛鳥に触れただけで頭の奥がドクンドクンと揺れている。近くにいったら彼の匂いが自分の脳に浸透していくのがわかった。あのマンションでもかいだ、ウッディな匂いだ。芳香剤か香水かわからないが、あれは飛鳥の家に染みついている匂い、だから家主である彼にも染みついている。落ち着く匂いであるはずなのに……おかしいな、緊張が増しているな。


(ん? ちょっと待てよ、風呂から出る時はどうやったらいいんだろう。飛鳥は服を脱いで裸のままだ、服は部屋に来てから着るだろう、つまりは……裸の飛鳥を?)


 どうしたらいい? 自分、今、飛鳥の裸を見てしまったら口から何か変なものが出そうな気がする、自分の心臓が飛び出してしまいそうな……が、頑張って飲み込んでおかないとだよな。


 それより自分はこんな感じで、飛鳥の世話を三日間しなくてはならないのか。嫌なんじゃない。飛鳥の役に立ってるんだから嬉しいことなんだ。

 ただ変にヤツのことを意識してしまうのは……あぁ、隼人のせいだ。隼人が変な行動をとって変な言葉を言ってきたからだ。


 違う違う。自分は別に飛鳥とそういうことがしたいわけじゃない。違うんだよ、そんな、そんな……参ったなぁ。


 とりあえず自分の頭を落ち着けようと、大翔はテーブル上のピッチャーからグラスへと水を注ぎ、一気飲みした。冷たい氷水が自分の体内をスッと通り、上がった体温が下がった気がした。


(よし! 気合いだ! 大丈夫だ! さぁ飛鳥の世話をするぞ!)


 そうこうしているうちに浴室からシャワーの音が聞こえなくなり、そこからしばらくして飛鳥の呼ぶ声がした。


 自分の心臓が速く動かないように、と腹に力を入れた。自然に顔にも力が入ってしまう、変な顔をしていそうだ。

 浴室の扉を開けると浴室内に漂っていた蒸気がブワッと外に出た。お風呂の匂いがする、シャンプーの匂いも。


 飛鳥はバスチェアに座って待っていた。しっかり身体は拭き終わり、下にはバスタオルがかけられている。


「あっ、ごめん、車椅子忘れた!」


 緊張のせいだ。急いで取りに戻り、同じ要領でバスチェアの横に車椅子を止める。

 今から裸の飛鳥に少しだけ触れなければならない――大丈夫、息と心臓を止めるから。


 よしっ、と気合を入れ、飛鳥の両腕の下へと、さっきと同じように腕を入れる。彼の背中に手を回すと、たくましい背中の感触に力を入れていた腹が震えそうになった。


(だ、だ、だ、大丈夫大丈夫……大丈夫〜)


 そう唱えながら。飛鳥と息を合わせ――せーの、で。無事に移乗を終えた。

 車椅子に移ると飛鳥は車椅子のアームレストをつかみ、自分の腕の力で体勢を立て直す。

 その様子を見届けてから飛鳥の背後に回り、車椅子のグリップを握りながら、大翔は硬直していた顔面の筋肉を緩め、呼吸を再開する。

 その途端に顔が熱湯をかぶったみたいに熱くなった。鼓動もやはり速くなる。


「む、向こうに行くぞっ」


 飛鳥に顔を見られたらヤバイと思い、車椅子を押して、持ってきた着替えなどが詰まった荷物の横に移動した。

 飛鳥があとは自分で着替えられることを確認してから「オレも風呂入ってくるな!」と言って、足早に浴室へと移動した。


 服を脱いでからお湯ではなく、シャワーを全開にして水を出し、頭からかぶってやった。冷たくて全身が震えたが、それよりも昂ぶった身体を、興奮というものを全部洗い流したかった。


(飛鳥のことで自分はこんなにもおかしくなっている……おかしいな、どうしたよオレ、変に思われちまうよ……)


 しばらく水を浴びてから、お湯に切り替え、いつものように身体を洗った。


「……そろそろ出るか」


 タオルで体を拭いたところで気づいた。


(……んなぁっ! 着替えのパンツ、鞄から出して、こっちに置いとくの忘れたじゃん!)


 大翔は身体を拭きながら、しばらくその場でどうしようかと悩んでしまった。

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