第8話 高澤所長と狩矢飛鳥
ノロノロと低速運転で自転車をこぎ、事務所に戻った大翔は荷物を放り投げ、自分のデスクに突っ伏すなり「あぁ〜」と変な声を上げた。
その様子を離れた位置から見ていた所長は、すぐに歩み寄ってくると笑いをこらえながら「どうしたの?」と声をかけてくれた。
「なに、笑ってんすか」
「ご、ごめん……ふふ、だってねぇ……見れば何が起きたのか大体わかるけどね。んで、どうしたの?」
所長は自分の隣のデスク――ただいまサービスで外出中の先輩のデスクチェアに座ると「どうぞ」と優しい声で話を促した。
「はぁ……実はですねぇ」
デスクに伏して両腕を伸ばしたお手上げ状態で出来事を全て所長に話す。
すでに怒りの炎が消えた自分の中身は“やっちまった”感しか残っていない。
「すんません、ホントすんません……オレ、我慢できなくて……それで最後にトドメみたいなことも言っちゃったんすよ……」
洗いざらいの告白を聞いた所長は、やはり笑っていた。会社にとって不利益なことなのに、この人、あまり大したことだと思っていないようだ。
なになに〜と楽しそうな所長へ、ため息混じりで大翔は答える。
「はい、あの男に言ってしまいました。アンタ性格悪いって」
「うわぁ、そりゃまた、どストレートだね――プッ」
「……笑ってるし」
「ごめんね、あはは」と、やはり所長は笑い続けた。
自分の起こした、そう簡単に起こらないだろう事態に慌てるかと思いきや、所長は「だよねぇ」みたいな調子で相槌を打つ。
そんな大人? な対応を見ていたらこちらも調子が狂いそうになったが、大翔は身体を起こして話を続けた。
「だ、だって、アイツ! ホントに陰険な感じなんすよ。入ったって挨拶もしねーし、帰る時だってなんも言わねーし。オレが人として、やって当たり前のことすんのも気持ち悪いみたいなこと言われたし。アイツ自身が人としてどうなのかなって思うんすよ!」
男との会話内容も全部所長に伝えた。こうして何かあったことを聞くのも上司の役目だからね、と所長が前に言っていたから。自分がムシャクシャしたこと、イラ立ち。男をちょっとだけ気にかけている自分がいたこと、全部だ。
所長はデスクの上で指を組み合わせながら「うんうん」と大きくうなずいた。
「……うん、でもあの人は昔からそんな感じなんだ。生まれながらのハンデを持って、誰かの手助けを嫌でも必要としなければならない立場……いつも自分に寄ってくる人間は何かしらの感情を持って接してくると思っている。だから人が信じられないんだ」
大翔の脳裏に車椅子に座ったままの、あの男の姿が浮かぶ。
(……嫌でも誰かの手助けが必要)
それはどれだけ苦痛なんだろう。確かに普通ならできるちょっとしたことなのに誰かに助けてもらわないといけないのは嫌だよな、めんどくせーよな。それはわかる気はする。
「……でもそんなの、仕方ねぇじゃん。素直に助けてもらえばいいんだ、その方が自分が楽じゃん」
「それができれば苦労はないんだよ。あの人は助けられるより、誰かを助けたいような人だったから。僕もね昔助けられたことがあるんだ、同級生だからね」
やっぱりそうだったのか。依頼書に書かれていたもんな、年齢。
「僕はね、中学の頃、勉強もできないし、友達付き合いもあまりできない人間でさ。性格も暗かったからクラスでいじめられていたんだ。ある日、クラスメートの意地が悪いヤツに物を隠されちゃって途方に暮れていたことがある、そしたらね――」
所長の昔話を聞き、大翔はあの男の姿を思い浮かべながら、信じられないなぁという心境だった。でも所長が語る言葉は事実なのだ。
所長が中学の頃、狩矢飛鳥はいじめられていた所長のことを助けた。物を隠したクラスメートに「出してやれ」と詰め寄ったのだ。
けれど学校で車椅子を使っていた彼もまた、教師の預かり知らぬところでいじめられていた。物隠し、落書き、心無い言葉。
それでも彼はめげることなどなかった。ひどい時には車椅子をひっくり返されても「足なし」とバカにされても。彼は何に対しても心を開かないけれど心が強かった。きっと強く振る舞わなければいけなかったんだね、と所長は言う。
「それ以来、僕はなんだかんだと飛鳥に関わってきてね。今までは時々連絡を取るぐらいだったんだけど、先月からウチの会社に仕事を頼んできて君に任せている、というわけだ。大翔くんに飛鳥のことをお願いしているのも実は理由があるんだよ? わかってる?」
「え、そうなんすか? 全然わかりませんけど」
ただ自分が暇だからだろうと思っていたが違うのか。
「君はいつも真っ直ぐだからよ」
「真っ直ぐ……オレが?」
所長に問い返した時だ。不意に頭の上に何かが乗る。見れば所長の大きな手だ。頭を優しくなでてくれていた。
「そう、君はとても真っ直ぐだ。知ってもいるだろうが飛鳥は大変なへそ曲がりで頑固者だ。弱みなんて絶対に見せないようにしている。でも本当の彼はそこまで強いとは、僕は思わない。人間誰しも弱い部分はあって、そこを頑張り過ぎたら心身がまいってしまうからね。だから彼には助けがいるんだよ。彼を真っ直ぐに見つめてくれる相手がね……」
「それ、所長でもいいんじゃ?」
優しくて大きい手の平の感触と、ほめられたときの背中のむず痒さを感じながら大翔は言葉を返す。だって中学からの友人でしょ、と。
所長は「ダメなんだよ」と微笑で否定した。
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