それぞれにある二面性

第10話 ヤバいことの一歩前

 掃除して洗濯して、明くる日にまた掃除。変わりない時間、変わりない内容、変わりない関係性……いや、関係性はチョロっとだけ変わったかも。いやいや、だいぶ?

 そう、オレが変えてやったんだ。


「飛鳥さん、コーヒー、どーぞ」


「……あぁ」


「ありがとうぐらい言えよなぁ」


 そこからは相手が無言になってしまい、大翔は毎回のことにため息をつき、家事仕事に戻った。

 この家の仕事が始まり、二ヵ月が経つ。どうなるかと思った互いの関係性は微妙なのか順調なのかは、なんとも言えない。


 だが自分の気持ちの面では大きく変わったと思う。自分はヤツを名前で呼ぶことにした、あと許可も得て敬語を廃止した。その方がやりやすいからだ。


『お互いにやりやすい方がいいだろ、その代わりにお互いに言いたいことを言い合おうじゃないか』


 そんな果たし合いでもするのか、みたいな交換条件を飲んで今に至る。依頼主と事業者としては異例かもしれないがお互いにやりやすかった。飛鳥も「あれ取れこれやれ」と好き放題言ってくれるけど、こっちも「はいはいわかった、ちょっと待て」と適当な感じで返せるのだ。所長に言ったら『それじゃ友達じゃん』と苦笑いだった。


 多分、自惚れかもしれない。自分はこの男に気に入ってもらえている気がする。だからなんだかんだあっても仕事をクビにならないんだ。

 なら自分だって、この男を気に入るように努力する。所長の期待もあるから尻込みしているわけにはいかないから。


(……それにコイツのこと、オレ、もっと手助けしてやりたいと思っているのも本音なんだよな……とは考えていても、アイツはさっぱり歩み寄りはねぇんだよな)


 返事をするようになっただけ、よしとすべきか。こうしてコツコツポイントを稼げばいつかは頼りにしてくれるかも。ここまできた時間を考えると先行きが長すぎるな、ジジイになりそう。


(ふぅ、根っから頑固なんだな、全く)


 長い柄のウェットシートで床を拭きながら、ため息をつく。離れた位置にいるヤツには気づかれないだろうと思ったら、急にヤツがこちらを向いた。

 思わずビクッとしてしまう、いやいや別に悪いこと考えたわけじゃないぞ!


「……マウスの電池が切れた」


 飛鳥は右手に持ったマウスをテーブル上で動かしていた、反応しないようだ。


「そこの引き出しに電池がないか?」


 飛鳥の指示でテレビボードの引き出しを開けてみる。ちなみに狩矢家のテレビは65インチと大きめだ。


「ないぜ」


「ないのか」


「あぁ、ない」


 飛鳥は困ったという表情を浮かべていはいないが、どこにあったかを考える様子を見せる。

 そして「あっ」と思い立った場所が「弟の部屋」だった。


「弟? 取ってきてやろうか?」


 訪問初日、弟の部屋には入るなと言われ、未だに入ったことのない弟の部屋。そして昼間は学校に行っていることから今まで会ったこともない。

 大翔の問いに飛鳥は少し考え込んでいた。入るのが、そんなにまずいのだろうか。でも電池がないと仕事ができない。


「……アイツの部屋は入り口に段差が作ってあって俺は入れない。ちょっと探してみてくれ」


「わかった」


 弟の部屋に向かいながら考える。段差が作ってあって入れない……なぜだ。兄が入れないようにするためなのだろうか。確かにデリケートな年代だから、家族だろうと見てほしくないのはわかるけど、弟って一体……?


 そんな得体の知れない弟の部屋の前に来てみたはいいが。もしかして鍵がかかっている? と思いながらドアノブに手をかけると。ノブは簡単に動き、ドアはすんなりと開いてしまった。


 ドアを押し開くと足元には言われた通り、普通なら存在しないはずの20センチはある木の板が打ちつけられている。やはり弟が意図的につけたのだろうが、その意味は考えないでおこう。


「電池、電池〜」


 部屋の中は真っ暗だ。廊下からの明かりで確認できるのは部屋がそこそこ広く、シングルベッドと床に置いたゲーム機、壁際の本棚、学生らしく勉強机があるということ。匂いに気を使うのか香水の匂いもする。

 見えづらいので電気を点けようと壁に手を伸ばした、その時。


「――うわっ」


 突然、背中を押され、身体が前にふっ飛ばされた。ドサッと倒れ込んだのは、今さっき見たシングルベッドの柔らかい布団の上だ。

 そして突如、部屋のドアが閉まり、室内は何も見えない暗闇になる。


「な、何、なんだっ! わっ」


 背中に重みがあった。これは人の重みだ、誰かが背中にいる。人の熱、耳をかすめる人の呼吸。頭を押さえられ、布団に押しつけられる。身体は相手の体重をかけられて動かせない。一体どんな体格のヤツだよ、と焦っていると。


「は、離せって! ちょっと、ちょ――あっ⁉」


 大翔の呼吸は反射的に上ずった。自分の左耳を、誰かが息を当て、やわらかいものがムニュムニュと動いているのだ。


(ひぃぃ⁉ ……これは口!?)


 それは優しい力で自分の耳を噛み続けている。その感じたことのない熱、やわらかさ。身体がガクンと変化したかのように、何かが変になるのを感じた。カァッと自分の中の熱が高まっていき、全身が震える。


(な、なんだこれっ……!)


 自制ができない変な声が出そうになってしまう。やめさせようとしたが力が抜け、動くことができない。その間にも耳をいじる攻撃は止まらない。


(ちょっと待て、何、なんなの、やばい……! 抵抗できねぇ……!)

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