8話「君と二人で」





「待って!待ってよ古月!」


僕は、こんなに必死に誰かを追いかけたことなんかない。


どうしてそんなになって君を追いかけているんだろう。


でも、僕を殴ってしまったことに君は強く怯えて、それで逃げたように見えた。


だったら追いかけて、僕がわけを聞かなくちゃ。


「止まって!ねえ!」


前を走る古月は、正面玄関まで階段を駆け下りてきたところで、やっとこちらに背を向けて立ち止まった。


正面玄関には、今は誰も居ない。がらんとしていて、外のひさしにほどよく遮られた日光がガラス扉から入り込んで薄明るく、開け放たれたいくつかの扉から外の風が吹き込み、寒かった。


「はぁ…はぁ…」


僕たちは二人ともぜえぜえと息を切らせ、しばらく会話もできないくらいだった。


でも、彼がまた僕をはねつける前に、聞かなくちゃ。


僕はなんとか息を整え、振り向かない背中をじっと見つめる。


「どうして逃げたの?」


そう聞くと彼は一瞬振り向きかけたけど、思い直したように首を振り、下駄箱から靴を取り出そうとした。


「うるせえ。俺に関わるな」


彼の横顔は冷たく、触れるものを切るようだった。


「なんでさ?別にいいじゃない。クラスメイトなんだから」


そこで初めて彼は僕を振り向いたけど、憎々しげにこう吐き捨てた。


「…たまたま同じ部屋に詰め込まれただけだろ。関係ない。お前最近うぜえんだよ」


「うざいって…」


“そんなのわかってるよ…だって僕たちは友だちでもなんでもない”


僕の胸にちくりと痛みが湧いて、僕はうつむいてしまう。


「親切のつもりでやってんのかもしれないけどな!迷惑なんだよ!お前みたいにいい子ちゃん顔して近づいてくる奴にな!どうせろくな頭があるわけねえ!」


古月は、間違ったことを言ってるわけじゃないと思った。


彼が迷惑と思うなら迷惑なんだろう。でも、なぜか僕は傷つく。


“それは、僕だけが彼に近づきたかったからかな…”


「どうしてそんなこと言うんだよ…?僕、ただ…」


“百も承知で近づいたはずなのに、はっきり言われるとこんなに苦しいものなんだ…”


でも、僕の気持ちがわがままなものだとしても、彼の心も素直だとは、あまり思えなかった。


彼がいつも僕をはねつけるのは、本当は怖いだけなんじゃないか。


そんな都合のいいことを、僕は考えている。


古月は僕を睨みつけていたけど、僕はその目から逃げずに居た。彼が、一度だけ僕に笑ってくれたことを思い出しながら。


「…お前だって…ほかの奴らと同じだ…!腹ん中じゃ俺のこと見下して、「仲良くしてあげますよ」ってな!うざってえんだよ!」


その叫びは広い正面玄関にわあん…と反射したけど、僕はそれを怖がっていなかった。


“思い込みに過ぎないかもしれないけど…”


僕は彼を見つめながら、同時に自分の背中を思い返す。


「僕は…いい子なんかじゃない」


古月は、「自分は悪い」と言いたいんだろう。そのために、僕が「いい子」として引き合いに出されているんだ。


そんなのおかしいと僕は思った。


「それに、君に対してそんなことを思ったりしないし…僕がもし本当に「いい子」だって言うなら…それをやめる」


それを言い切った僕の声は、案外としっかりしていて、それでも少し怖かった。


“僕だって怖い。それをしたら、僕たちは間違った道に踏み入るかもしれないんだから”


でも僕はこう思う。


「正しい」と言われる道に、多分、どうしても居られなかった古月。


そんな彼に「正しさ」だけを突きつけるのは残酷で、彼には彼だけにとっての「正しい道」があるかもしれないと考える僕は、間違っているんだろうか。


「どういうことだよ…」


古月の目が、さっきの教室でのように、微かに怯えている。


「わかんない…」


僕はうつむいて、それきり喋れなくなってしまった。


古月が行き場なく片手を揺らすのが、目の端に見える。


僕がもう一度彼を見つめてみると、困り果てたように腕を振り下ろし、古月は叫んだ。


「な、なあおい…じゃあ、俺はどうすりゃいいんだよ!俺、わかんねえんだよ!友だちとか、そういうの下らねえと思って、今までそんな連中とつるむことなんかなかったんだ!俺には…わかんねえよ!」


その時僕は、ほっとした。


“思ってた通りだ”


彼はやっぱり、怖かったんだ。僕たちはこれから、分かり合えるかもしれない。


そう思って勇気が出た。


「…君の好きにすればいい。でも、僕は、君を見ていたい」


そう言うと、古月はもう何を言うこともできなかったのか、横を向いてうつむき、何かを考え込んでいるようだった。


僕はちょっと首を傾け、笑ってみる。


「教室には戻りづらい?僕、鞄を取ってきてもいいかな?」


自分がこれから何をしようとしているのか分かっているのに、僕にはためらう気持ちはまったくなかった。


「お前もサボんのかよ…」


「だから言ったでしょ?初めからいい子じゃないって」






僕の言った通りに、古月は正面玄関で待っていてくれた。


教室から抜け出る時に、誰かが僕を呼び止めた気もするけど、僕は玄関の傘立てから立ち上がる彼を見て、そんなのは忘れた。


「お待たせ。帰ろっか」


「帰らねー」


「じゃあどっか遊びに行く?」


「アイス食いてえ」


「えー、寒いのに?」


「さっき走ったから、暑い」


「そうだね、じゃあコンビニ行こっか」


僕たちはそんな話をしながら、柔らかい陽ざしが降る冬の街に出て行った。







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