8話「君と二人で」
「待って!待ってよ古月!」
僕は、こんなに必死に誰かを追いかけたことなんかない。
どうしてそんなになって君を追いかけているんだろう。
でも、僕を殴ってしまったことに君は強く怯えて、それで逃げたように見えた。
だったら追いかけて、僕がわけを聞かなくちゃ。
「止まって!ねえ!」
前を走る古月は、正面玄関まで階段を駆け下りてきたところで、やっとこちらに背を向けて立ち止まった。
正面玄関には、今は誰も居ない。がらんとしていて、外の
「はぁ…はぁ…」
僕たちは二人ともぜえぜえと息を切らせ、しばらく会話もできないくらいだった。
でも、彼がまた僕をはねつける前に、聞かなくちゃ。
僕はなんとか息を整え、振り向かない背中をじっと見つめる。
「どうして逃げたの?」
そう聞くと彼は一瞬振り向きかけたけど、思い直したように首を振り、下駄箱から靴を取り出そうとした。
「うるせえ。俺に関わるな」
彼の横顔は冷たく、触れるものを切るようだった。
「なんでさ?別にいいじゃない。クラスメイトなんだから」
そこで初めて彼は僕を振り向いたけど、憎々しげにこう吐き捨てた。
「…たまたま同じ部屋に詰め込まれただけだろ。関係ない。お前最近うぜえんだよ」
「うざいって…」
“そんなのわかってるよ…だって僕たちは友だちでもなんでもない”
僕の胸にちくりと痛みが湧いて、僕はうつむいてしまう。
「親切のつもりでやってんのかもしれないけどな!迷惑なんだよ!お前みたいにいい子ちゃん顔して近づいてくる奴にな!どうせろくな頭があるわけねえ!」
古月は、間違ったことを言ってるわけじゃないと思った。
彼が迷惑と思うなら迷惑なんだろう。でも、なぜか僕は傷つく。
“それは、僕だけが彼に近づきたかったからかな…”
「どうしてそんなこと言うんだよ…?僕、ただ…」
“百も承知で近づいたはずなのに、はっきり言われるとこんなに苦しいものなんだ…”
でも、僕の気持ちがわがままなものだとしても、彼の心も素直だとは、あまり思えなかった。
彼がいつも僕をはねつけるのは、本当は怖いだけなんじゃないか。
そんな都合のいいことを、僕は考えている。
古月は僕を睨みつけていたけど、僕はその目から逃げずに居た。彼が、一度だけ僕に笑ってくれたことを思い出しながら。
「…お前だって…ほかの奴らと同じだ…!腹ん中じゃ俺のこと見下して、「仲良くしてあげますよ」ってな!うざってえんだよ!」
その叫びは広い正面玄関にわあん…と反射したけど、僕はそれを怖がっていなかった。
“思い込みに過ぎないかもしれないけど…”
僕は彼を見つめながら、同時に自分の背中を思い返す。
「僕は…いい子なんかじゃない」
古月は、「自分は悪い」と言いたいんだろう。そのために、僕が「いい子」として引き合いに出されているんだ。
そんなのおかしいと僕は思った。
「それに、君に対してそんなことを思ったりしないし…僕がもし本当に「いい子」だって言うなら…それをやめる」
それを言い切った僕の声は、案外としっかりしていて、それでも少し怖かった。
“僕だって怖い。それをしたら、僕たちは間違った道に踏み入るかもしれないんだから”
でも僕はこう思う。
「正しい」と言われる道に、多分、どうしても居られなかった古月。
そんな彼に「正しさ」だけを突きつけるのは残酷で、彼には彼だけにとっての「正しい道」があるかもしれないと考える僕は、間違っているんだろうか。
「どういうことだよ…」
古月の目が、さっきの教室でのように、微かに怯えている。
「わかんない…」
僕はうつむいて、それきり喋れなくなってしまった。
古月が行き場なく片手を揺らすのが、目の端に見える。
僕がもう一度彼を見つめてみると、困り果てたように腕を振り下ろし、古月は叫んだ。
「な、なあおい…じゃあ、俺はどうすりゃいいんだよ!俺、わかんねえんだよ!友だちとか、そういうの下らねえと思って、今までそんな連中とつるむことなんかなかったんだ!俺には…わかんねえよ!」
その時僕は、ほっとした。
“思ってた通りだ”
彼はやっぱり、怖かったんだ。僕たちはこれから、分かり合えるかもしれない。
そう思って勇気が出た。
「…君の好きにすればいい。でも、僕は、君を見ていたい」
そう言うと、古月はもう何を言うこともできなかったのか、横を向いてうつむき、何かを考え込んでいるようだった。
僕はちょっと首を傾け、笑ってみる。
「教室には戻りづらい?僕、鞄を取ってきてもいいかな?」
自分がこれから何をしようとしているのか分かっているのに、僕にはためらう気持ちはまったくなかった。
「お前もサボんのかよ…」
「だから言ったでしょ?初めからいい子じゃないって」
僕の言った通りに、古月は正面玄関で待っていてくれた。
教室から抜け出る時に、誰かが僕を呼び止めた気もするけど、僕は玄関の傘立てから立ち上がる彼を見て、そんなのは忘れた。
「お待たせ。帰ろっか」
「帰らねー」
「じゃあどっか遊びに行く?」
「アイス食いてえ」
「えー、寒いのに?」
「さっき走ったから、暑い」
「そうだね、じゃあコンビニ行こっか」
僕たちはそんな話をしながら、柔らかい陽ざしが降る冬の街に出て行った。
Continue.
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