6話「ココナッツシェイク」
僕はチーズバーガーセット、古月は照り焼きバーガーセットを頼んで、彼はポテトをラージサイズにしてもらっていた。僕は甘いものが欲しいところだったので、クッキーシェイクも買った。
僕たちは、なんとなくだけど二階には上がらずに、すぐに店外に出られる一階席で、カウンターに腰掛けた。目の前には、夜の国道にヘッドライトを敷いて、車や大型トラックが行き来するのが見える。
「いただきます」
「ん」
古月はおなかがすいていたのか、ぱぱっと紙袋を剥くと、仏頂面で照り焼きバーガーにかぶりついていた。
“つまらなそうな顔のまま食べてる…まあ、僕と食べても楽しくなさそうだし…?”
今日は古月を喜ばせようと思っていた僕は、また複雑な気持ちがしたけど、人の気持ちに文句は言えない。
不意に、僕が横から見ていたことに気づいたのか、古月がこちらを振り向く。
「なんだよジロジロ。自分の食わねえの」
「あ、た、食べる…」
食後、僕はクッキーシェイクを太めのストローですすったり、小さなプラスプーンで掬い取ったりしていた。
古月は黙ってコーラを飲んでいる。
表の道を大型トラックが通るたびに、店が微かに軋んで地面が揺れた。それが何回か過ぎてから、古月は、うんざりとしているようなため息を吐く。
「親父に、「大学なんか行かねえ」って言ったの」
「え、そうなんだ…」
僕は、それまでガラス越しに窺っていただけだった古月を、振り向いて見上げた。彼はただつまらなそうに目を伏せては、コーラをちゅうちゅう吸っている。
「…そしたら親父のやつ、「そんならもう面倒見ない」とか言い出すから「上等だ」っつって、一人暮らしすることにした」
「一人暮らしするの?喧嘩したまま?」
僕は思わずそう言ってしまって、怒らせたらどうしようと思って、そろりそろりと下を向いたけど、古月は特に気にしていないみたいだった。
「ふん。いつか親元を出るのは当たり前なんだ。別に今でもいいだろ。あんな奴とわかりあえるわけもねえ」
「そっかな…」
「それで、親父と言い合うのもうんざりだったから、パチンコでもしようと思って出かけたんだよ」
「えっ…」
プラスプーンを口に運ぶ手が止まり、僕は“古月ってそこまで不良だったのか”とびっくりした。
僕たちはまだ十五歳だ。パチンコなんかしていい年齢じゃない。
「そしたらなんか、やったら絡んでくる奴らが居て、ちょっと追っ払うまでに、ここ、二回殴られた。そんだけだ」
古月は真っ青になった頬を指さして、その時の迷惑を思い出しているように、眉をひそめた。
「相手三十歳くらいだぜ。いい歳して歳下へこませて、何が楽しいんだか」
「そ、そうなんだ…大変だったね…」
「まあ、全員パチ屋の駐車場にのしてやったけどな」
「へえ…」
「で」
「へっ?」
「こんな話聞いて、お前はどうしたいんだよ」
「ど、どうって…」
“そういえば、僕は彼の話を聞いてどうしたかったんだろう?”
そう思いながらも、僕はもう、自分の心がその問いに答えるのを感じていた。あとは、それを口に出す勇気があればいい。
“でも、そんなの…無理だ…”
「なーに黙ってんだよ」
その時、ふわっとココナッツのような甘い香りがした。ふと顔を上げると、彼が僕を思いっ切り覗き込んでいたのだ。
「わっ!?」
「あ?」
「いや、その…近いって古月…」
古月からいつもうっすら漂ってくるだけだった、安っぽい香水の香りに、包まれている。そんな気がした。
わけもわからず頬が熱くて、僕は彼との間に手で壁を作ろうとした。
「何照れてんだよ、気色悪ぃな」
「ご、ごめん…あ、えっと…」
「うん?」
「僕…その…特に何か考えがあったわけじゃないんだ…でも、古月が悩んでそうだったし、それで気になって…」
僕がその時本当に思っていた理由、「君に近づきたくて」なんてことを言ったら、きっともっと気味悪がられると思って、言えなかった。
“大体、僕だってなんで古月に近づきたいのか、まだわかんないし…”
「…ふうん。お前、馬鹿なのな」
「な、なんで…」
「普通いじめられっ子がいじめっ子の心配なんかしねえぜ」
一応、彼にも僕をいじめている自覚はあったらしい。
「そ、そうだよね、ごめん…」
「別に。謝ることでもねえよ」
“「別に」が、口ぐせなのかな…”
その場は沈黙し、古月は残ったコーラを飲み切ろうとして、ジュースのストローを思い切り吸い込んだ。
正面のガラスに、古月の顔が映っている。つまらなそうで、ひねくれた両目。
そこに僕なんかが居ても、何も変わることなんかないと、ちゃんと知っていた。
でも僕は、言うだけ言ってみようと思った。
「ね、ねえ…」
声を掛けると、ガラスに映った彼が、こちらを見る。夜のライトの中に、黒い瞳が浮かんでいる。それは、さっきよりいくらか素直に見えた。
「なに」
どう言えば、いいのかな。なんて言ったら、彼は「うん」と言ってくれるだろう?
そう考える時いつも僕が選ぶのは、消極的な台詞ばかり。
“期待なんかしなくていい。言うだけ、言うだけ…”
「また、こうやって遊ばない?たまには、さ…」
古月はもちろん凄く驚いて、怪訝そうな顔さえしてみせた。
僕だってなんでこんなことを自分が言っているのか分からない。
「なんで?」
その時初めて、古月はこちらを警戒するように目を細め、僕を睨んだ。
でも、僕はなぜか彼に打ち勝てると思っていた。彼が警戒する理由が、なんとなく分かっていた。
「えっと…好きだから、かな…」
言った瞬間、僕はどっと汗をかいた。古月はまたびっくりして、今度は瞬きもせず固まってしまっている。
「あ!えっ、違うよ!?あの、人間として!そういうんじゃないから!」
なんで僕はいじめっ子相手に、こんなに必死に言い訳をしながら好意を伝えるのだろう。心の中では途方に暮れていた。
でも、僕が両手を一生懸命振って何度か「違うからね」と言うと、古月は大声で笑い出した。
「古月…」
僕は初めて、彼の屈託のない笑顔を見たかもしれない。それは、普段の暴力的な様子なんか忘れるほど素直で、どうしても惹き付けられた。
「…つくづく変な奴な、お前」
そう言って、笑いすぎて滲んだ涙を拭う彼は、その時確かに僕を見て笑っていた。
Continue.
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