第68話 ユウナミの思い(9)

 店の中の空気がパッと変わった。神話の世界から現実の世界に引き戻された。人の営みが溢れる世界だ。


「真一さん、すごい。面白かったよ。思わず聞き入っちゃった。もっと聞きたいです」


 実菜穂は興奮冷めやらぬといった顔をしている。


「実菜穂ちゃんにそう言ってもらえたら、照れてしまうなあ」


 真一は満更ではない顔をして喜んでいる。


「そうだ。ここで問題。あの絵の右と左の剣はどちらが本物か分かるかな?」


 真一の問いに実菜穂と真奈美は考え込んだ。陽向はニコニコしながら二人を見ている。


「右ですか?」


 真奈美が答えた。


「おっ、正解だよ。すごい。どうして?」

「神話では太陽は左から生まれる。朝(姉)が左ならばアサナミが偽物を持っている。右がユウナミなら持っているのは本物」

「うわー、大正解。そのとおり」


 真一は驚いて拍手をすると、実菜穂も興奮のままパチパチ手をたたいていた。


「真奈美さん、このお話どう思われますか?この部分は、神話のなかでは地上神討伐の前哨戦の話で目立つことはありません。ですが、アサナミの神とユウナミの神の絆を一番に語っている話なんです。カムナ=ニギの剣を通して、姉は妹に誉れを譲り、妹は姉を敬愛する。そのようにお互いを思い合うからこそ神命を果たし、他の柱からも二柱は敬服されるようになりました。二柱のお互いを思う姿。どうしても真奈美さんと琴美ちゃんと重なって見えてしまいます。大げさかもしれないけど、神様も人も思うところは同じです」

 

 陽向の言葉に真奈美は瞳を閉じて呼吸を整えた。再び開いたその瞳でカムナ=ニギの剣の絵を見つめていた。




 宿に着いた三人は部屋に入るなり、一斉にベッドに倒れ込んだ。


「うわーっ、今日一日だけでもう何日も過ごした感じだあ。ドーッと疲れたね。陽向ちゃん、真奈美さんはどうですかあ」


 実菜穂がグッタリとした。 


「社務を勤めるよりもクタクタ~」


 陽向がベッドに寝ころび伸びをする。 


「正直言えば、私もです。身体より精神的な。でも、不思議なくらい光が見えていたりもする。うまくは言えないけど」


 真奈美が天井を見上げている。


「分かります。私も水波野菜乃女神の社にお参りしたときがそうだった。あの日なんて、夕飯もとらないでバタンキューだったもん」


 実菜穂はそう言いながら宿のパンフレットを眺めていた。


「そうだあ。ここの大浴場って海を眺められるんだよ。さっそく汗流しにいかない?明日に備えて今日は早く休むベ」


 美菜穂の提案に陽向も真奈美も手を挙げて賛成した。


 

 大浴場に来ると時間が早かったためか、まだ入っている人はいなかった。3人貸し切り状態である。


 海へとその姿を沈める夕日と同じように実菜穂たちも湯船に身を沈めた。


「すごい、すごーい!こんな絶景風呂は滅多にお目にかかれないよ」


 実菜穂が上機嫌ではしゃぐ。


「ここはユウナミの社がある街。夕日が似合う街なんだよ」


 陽向が実菜穂の隣に並んで外を眺める。ガラス張りの浴場からは海を眺められ、いま水平線へ大きな夕日が身を沈めながら鴇色ときいろの光を放ち波を輝かせていた。


「わーっ、きれい!」


 実菜穂が思わず立ち上がり、窓越しに近づいていく。陽向もつられて実菜穂の隣に並んでいる。真奈美は並ぶ二人の裸に見とれていた。

 

 引き締まって瑞々みずみずしい実菜穂に対して優しく柔らかいそれでいてメリハリのある陽向の身体。相対する二人であるが、真奈美の目からはその姿は姉と妹のように見えた。


「陽向さん、実菜穂ちゃん。外が見えるのなら、こちらも見えているのじゃないですか」


 真奈美の声に二人は慌てて湯に隠れると、ケラケラと笑っていた。真奈美も一緒に笑いながら沈む夕日をその瞳に映していた。




  横断歩道の前で果奈と優斗が渡ろうと待っている。優斗は自力で懸命に立ち、果奈に手間をかけさせないよう訓練をしていた。

 親切な車が止まり、果奈たちは左右を確認して道路を渡る。突然、止まっていた車の後方から、クラクションと共に別の車が飛び出してきた。果奈は優斗を庇うと車は果奈を轢いたまま去っていった。 

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