第15話「エスメリリアのトラウマ」
エスメリリアの声は心なしか震えていた。無理もない。エスメリリアにとっては、あれから10年もの月日が経っているのだから。
「創はあの日を覚えていますか? わたくしが初めて創のためにお弁当を作ったあの日のことを」
「ピクニック、だったか」
「そうですわ。最初はあなたを驚かせるために作ろうと思って始めましたけれど……気づいたら美味しいって言ってほしい。喜んでほしい笑顔になってほしいと願いを込めて作っていたのですが……」
「結果は」
最初こそ思い出話をするエスメリリアの姿は笑い混じりで楽しそうにも見えたがついに言葉に詰まってしまった。俺はそんなエスメリリアにその先を促すように言った。
「結果は散々でしたわ。初めてお弁当を作ることができた。だからきっと創も美味しいと言ってくれる……そんな夢みたいなことを幼い頃のわたくしは考えていましたわ」
「…………」
「ですが創の反応はわたくしの期待していたものとは真逆で──まずいと、一言、言われてしまいました。それがすごくショックでしたの」
「悪かったな……せっかく作ってくれたのにあんなことを言って」
実際に俺が言ったわけじゃない。言わせたのはたしかに俺だが実際に言ったのは猪狩圭介だ。だがみかんの言った通り、猪狩圭介がいなくて俺がやったというならそれは間違いなく今の俺がやったということだ。だからか、話を聞いているだけなのに胸がとても痛い。
「いいんですの。あのときのことがあったから今のわたくしがいるのですから」
「そうか」
「! す、少し待ってくださいまし!」
「え? どうしたんだ?」
「怖いんですの……」
話を聞きながらでも良いだろうと軽い気持ちでフォーク片手に弁当箱のなかのおかずに手を伸ばしたらエスメリリアに止められて思わず手を引っこめた。エスメリリアのその語気は強く、しかしどこか慌てたように怯えすらも感じられた。
「怖い?」
「……えぇ。あなたにまたまずいと言われるのではないかと──あなたにあのときの残念そうなお顔をまたさせてしまうのではないか──そう思うと、とても恐ろしくてたまりませんの……」
「エスメリリア……」
誰かが周りにいれば少しは違ったかもしれない。だが今は屋上に俺とエスメリリアのふたりだけ。そうなると否が応でも意識してしまうんだろうな。
「だめですわね。わたくしは……」
「そんなことはない。エスメリリア、お前は悪くない」
「え……? 創?」
俺はどこか自嘲気味に呟くエスメリリアの言葉を首を横に振って否定する。そしてエスメリリアに止める余裕を与えることなく弁当箱を持って、一気にガーッと口のなかへ掻き込んだ。
「うっまーい!」
「え? え? 創?」
「美味いぞエスメリリア。お前の弁当は」
「……嘘、ですわ」
俺は大声で叫んだ。エスメリリアの作った弁当をただ一言、美味いと。グラウンドに、校庭に届くくらいまでの大声だ。そんな俺を見てエスメリリアは何が起きたのかわからないといった具合だ。だがそんな俺の言葉を信じられないのか受け容れられないのか、ぷいっと顔を逸らしてポツリとエスメリリアは呟いた。
「嘘じゃないぞ」
「嘘ですわ……だってわたくしは──」
「もうあのときとは違うんだ。エスメリリア、お前の作った弁当は美味いんだ」
「……そんなの信じられませんわ。わたくしが美味しいお弁当を作れるなんて」
エスメリリアは俺の言葉を信じようとしない。顔を逸らして拒んでいる。受け容れられないんだ、美味しい弁当を作る自分を。エスメリリアは10年前のあの日の出来事を未だに引きずっているんだ。
「作れるよ、エスメリリアは」
「何を根拠に──」
「根拠は俺の舌だ! 俺の舌も俺の心もエスメリリアの弁当は美味いと言っているんだ! だからどうか信じてほしい」
「そ、創……」
「って俺が言っても説得力はないよな……はは──」
俺がエスメリリアの力になりたい。その誤解を解いてやりたい。だが果たしてその言葉に説得力はあるのか。そう考えたら説得力なんて最初からないだろう。もしかしたらエスメリリアからしてみれば俺の本心からの言葉も嘘っぽく安っぽく聞こえるのかもしれない。
「……そんなことはありませんわ」
「え? そう、か?」
「ええ。ですからもう一度聞かせてくださいまし。その……わたくしのお弁当は本当に美味しかったんですの?」
「……ああ! もちろんだ。美味しかったぞ!」
意外なことにエスメリリアは自嘲気味な俺の言葉を否定してくれた。そして──
「そう、なんですのね……わたくしの……わたくしのお、弁当は……美味しいんですのね……っ」
「ああ、本当だ。エスメリリア、お前の弁当は間違いなく美味い!」
「そう、ですのねっ!」
「エスメリリア、お前泣いて──」
俺が思ったままに弁当の感想を言葉にする。それを聞いたエスメリリアは両手で顔を覆って涙を流していることに気がついた。
「嬉しいんですの……創に食べてもらえて、美味しいと言ってもらって嬉しいんですのっ!」
「エスメリリア……うん、そうか。それは良かった」
しかしエスメリリアが両手をどけてわかった。エスメリリアは嬉しくて泣いて、嬉しくて笑っていたことに。このときのエスメリリアの笑顔は俺が見たどのエスメリリアよりも綺麗だった。
「あの、創?」
「うん? どうした?」
「創、わたくし、あなたのことが──」
エスメリリアは意を決したようにまっすぐ見つめると俺に顔を近づけてきた。まさに唇と唇が触れるのではないか、その瞬間──
「ぐあっ⁉︎」
「エスメリリア⁉︎」
「はあ……まったく、油断も隙もないですね? エスメリさん?」
「う……うう……っ!」
「ど、どうしてお前がここにいるんだ……みかん!」
エスメリリアは吹っ飛び扉付近の壁に激突した。口からは血を吐いている。いったい何が起きたんだ? たしかに俺たちは屋上のフェンスの近くのベンチに座っていたはず。なのにどうしてエスメリリアは血を吐いて倒れている? しかもどうしてさっきまではいなかったはずのみかんがいつの間に戻って来たんだ? みかんの手に握られている血のついた金属バットはいったいなんなんだ?
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