3-1 いつもと違う二人
七月。登校中の電車。すし詰めというほどではないが、そこから動くのなら近くの人に断りを入れた方が良いというくらいには混んでいる。
わたしは朝から憂鬱な気分。だというのに、それに加えて怒りが湧き上がってくることが。痴漢である。被害者は不運にもわたし。只今お尻を撫でられている。
畜生、ぶん殴ってやろうか。たとえ現行犯であろうと、殴るのは法律的にマズい気がするが、気持ちというのは別の話である。つまり気が済まない。
しかし、思うがままに振舞うのはまるで神宮寺さんみたいじゃないか?
……うん、そうだな。痴漢野郎は普通に警察に突き出すだけにとどめるか。神宮寺さんと同類にはなりなくないからね。
よし、そうと決まれば相手の腕を掴んでやる。意気込みわたしは痴漢野郎の腕を掴み、その面を拝もうと振り返った。
「ぐぅおへぇっ!」
と、同時に痴漢のサラリーマンは顔面をぶん殴られた。その口の隙間からピュッと歯が一本吐き出される。気持ちのいい一発だなあと思うのも束の間。
「くたばりなさい、ゴキブリ野郎」
痴漢に強烈な一発を見舞わせたのは神宮寺さんだった。揺れる金髪の隙間から珍しい怒りの表情を覗かせる。どんな滅茶苦茶をやる時も決まってしていた高笑いは鳴りを潜めていた。
不覚にも、わたしは一瞬、神宮寺さんをカッコいいと思ってしまった。――いや待て待て、だから私的制裁は法律的にアウトなんだって!
神宮寺さんは、なんか一撃で気絶してしまったらしいサラリーマンの胸ぐらを掴み、両頬に往復ビンタを食らわせて意識を無理やり回復させる。
「よくも、私の美智香さんの結婚前の体に汚い手で触れてくれたわね」
「別にわたしは神宮寺さんのものじゃないんだけど……」
珍しく怒っていると思ったらわたしのためだったらしい。それは、ちょっと、照れるような気もするけど。
「いや、私のプレゼントした下着を着けてるわけだし、それってもう私のものと同義じゃないかしら?」
「クソー、この下着やっぱり脱ぎたいっ!」
照れも引いてわたしは正気を取り戻した。
「とにかく、そこのゴキブリ野郎。この人に触れて良いのは私だけなのよ。痴漢するなら――ほら、そこの彼女にしなさい。……あの顔には見覚えがあるわね」
「クラスメイトを痴漢に差し出すな! ――あ、わたしは違う意見だからそんな目で見ないで彩奈!」
しかもわたしの友達だ。
やっぱりこの人マトモじゃないと改めて呆れていると、サラリーマンが反撃せんと口を開いた。
「よくも俺を殴ってくれたな。これは正当防衛の範囲外、また私的制裁は法律で禁止されているんだぞ!?」
「そうそう……って、痴漢した奴が言うな!」
「……それにしてもあのパンチはあまりにも強すぎる。あんなパンチを食らって黙っていられるか! ――こうなったら出るとこ出てもらうぞ!」
「え、神宮寺さん、これさすがにマズいんじゃない?」
「俺と一緒にボクシングのインターハイに出ないか?」
「出るってそれかよ!」
「一緒に天下を取ろう! 君のストレートならきっと優勝でき――ぐおはぁッ!」
サラリーマンはそう言って、興奮した様子で神宮寺さんの手を取ろうとしたが、今度は神宮寺さんのハイキックを食らって床に崩れた。
「そ、そうか……、ムエタイの方を目指す、か……」
その言葉を最後にサラリーマンは気絶した。
わたしと神宮寺さんは、次の駅でサラリーマンを駅員に差し出した。怪我は最初から怪我してたということにした。
それから数駅。電車から降り、駅を出て学校へと歩いて向かう。そして当然のように、神宮寺さんはわたしの隣をニコニコ歩く。まあ、一応わたしのために怒ってくれたんだし、お礼の一つくらい言っておくか。しかし、あくまでストレートに言うことは避ける。
「……珍しいね、いつも車なのに」
「いつも誘いを断られてしまうものだから、私の方があなたに合わせることにしたの。まあ、本当は二人きりになれる車の方が良いんだけど」
「そうなんだ。……ところでさっきのパンチ凄かったね」
「このくらいの護身術はお嬢様ならたしなんでおかないと」
「護身術ってレベルじゃなかったけどね……やっぱり格闘技とか習ってるの?」
「いいえ、アレは私の天性の格闘センスの成せる業ね」
「そ、そうなんだ。凄いね……」
「お嬢様が習い事ばかりしていると思うのは偏見よ」
「別に思ってないけど」
……いや、遠回しに言うの難しいな。もうストレートに言っちゃっていいか。
「……さっきはありがとね。暴力はどうかと思うけど、正直スッとした。わたしのことを思ってやってくれたっていうのは、結構嬉しい」
頬をかきながら言うと、それを聞いた神宮寺さんは嬉しそうにわたしの手を取った。
「つまり、結婚してくださると!?」
「どうしてそうなる!?」
「いえ、珍しく好意的なことを言ってくれたものだから」
言われて気付く。確かに珍しい事だ。いつもなら、余計なことをするなくらい言っていたかもしれない。
「そういえば、電車でずっと浮かない顔をしていたわね? 痴漢される前から」
少し驚き。気付かれてたか。よく見てるもんだな、と思った。
そう、今朝は痴漢される前から憂鬱だった。たぶん、それが原因で神宮寺さんを不覚にもカッコいいと思ってしまったし、今も気の迷いで礼など言ってしまう。本来ならこういうときこそ、神宮寺さんみたいな悩みの種は遠ざけたいはずなのに、なぜなのだ。
「それは、心のどこかで私を求めているからよ」
「心を読むな、心を。あと、そんなわけないから」
「いいえ、そんなわけあるわ。あなたもどこかでそれを分かっているはず、だからこのような振る舞いを事実しているの。だからあえて私の口から言って差し上げましょう、私にはあなたの悩みを解決する策があると」
「はぁ? 何言ってんのさ、そもそもわたしが何に悩んでるかも知らないで」
「親権のことよ。部外者の私が口を出すのもどうかと思うけど、今のあなたを見ていたら口を出さずにはいられないわ」
神宮寺さんはそう言って、さっき握った手を離さない。そして、まっすぐな瞳でわたしの瞳を見つめる。
……なんでこんな真に迫ってるんだ?
こんなギャグみたいな人が真面目なこと言って、真面目な展開を繰り広げている。わたしは夢でも見ているのだろうか。
わたしも神宮寺さんも今日はおかしい。
だが、もし神宮寺さんの言うことが本当なら?
もし今日みたいなおかしい神宮寺さんが、問題の解決を図ってくれるのなら?
期待してしまう。親権問題で悩んでいるのは本当だ。どちらの親について行くか。これは、わたしの方でケリをつけなければならない問題。本来なら神宮寺さんを頼るべきではない。だが、知恵を借りるくらいなら……?
わたしは頷き、意を決した。まるで悪魔との契約だ。
「……じゃあ、その策っていうのだけ聞かせて」
すると、神宮寺さんは微笑んだ。
「私と結婚なさい」
わたしは神宮寺さんの手を振りほどこうとしたが、相手の力が強すぎて無理だった。
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