第121話 失策

 「さすがに昼が過ぎて敵も息が切れたか……」

 「そのようじゃなぁ」


 エレオノーラと二人、見下ろした斜面や河畔は死屍累々だった。

 敵は早朝から攻勢に出ていた敵は、橋頭堡を築くと本格的に渡河を開始し激しく攻めかけて来た。


 「じゃが、橋頭堡を築かれたのは痛手じゃのぉ」


 エレオノーラの視線の先には二千余りの兵からなる方形陣地があった。

 突き崩そうにも二千という数が多く、これ以上の損害を出したくないため陣地への攻撃は取りやめにした。


 「そうだな……。あの攻勢は、陣地の構築を行うための時間稼ぎだったんだろう」


 陣地は木盾で囲われており、ところどころにいつの間に持ち込んだのか乱杭まで用意されている。

 弓箭兵の火矢による攻撃を行っても良かったが、こちらの射程に入るということは即ち敵の射程にも入るということ、そのため火矢を用いての攻撃という考えは捨てた。

 今は、一兵でも多くの兵を温存したかった。


 「だが、一つ気がかりなことがある。というのは、敵の本隊が渡河してこないことだ」

 「普通の指揮官であれば、敵に休む間も与えず部隊をげ替えながら、攻め続けるはずじゃろうな」


 エレオノーラもおかしいと言いたげだ。


 「だとすると助攻勢の可能性か?」

 「お主がやっておることを敵もやっているというのとになるのじゃ」


 エレオノーラの言葉を聞いて背中に嫌な汗が流れた。

 そして脳裏をよぎるのは数ヶ月前の記憶。

 メクレンブルク率いるエルンシュタット軍に自分がどうやって勝ったのか、何が勝利の最終的要因だったのか。


 「シェンゲンから来るのならまだいい。あそこは姉上が守ってくれるはずだ。敵が多くてもある程度の時間稼ぎはしてくれるはず……」


 シェンゲンの街は抗戦できるよう物資を貯蓄している。

 だがシェンゲンでないのならこの戦、負ける可能性も十分にある。


 「その言い方だと他にも侵入ルートがありそうじゃな?」

「あるにはある……」

「そこに兵は置いてあるのか?」


 現在の公国うちの軍の配置はアルデュイナの森とグレンヴェーマハに集中しており懸念されるもう一箇所には、僅かに三十の兵を置いているだけだった。


 「いや……そんな余裕はない。監視所と数十の兵がいるだけだ」


 一度自分が使った手筋、相手が知らない道理がない。

 

 「場所は!?」

 「北にクレルヴォーという村がある。そこからエルンシュタット領に入れる細道がある」

 「敵はこのことを知っておるのか!?」

 「その可能性は高い」


 俺がそう答えると、エレオノーラは頭を抱えた。


 「まぁ、まだそこが攻められると決まったわけじゃない。今から兵を回し―――――」


 俺の言葉は、息を荒らげながら傍へと駆け込んできた兵士によって遮られた。


 「はぁ……っ、閣下!クレルヴォーの峠が……突破されましたッ!」


 息をきらしながら、駆け込んできた兵士はそう言った。

 既に後手に回っていたということか……。


 「敵の兵力は!?敵将は!?」


 エレオノーラが兵士を問い詰める。


 「わかることは何でもいい、言ってくれ」

 

 トリスタンが差し出した水を勢いよく飲み干して一息つくと兵士は落ち着きを取り戻して質問に答えた。


 「敵兵の数は五百以上はいたと思います。敵将は分かりませんでしたが、胸甲騎兵の姿を見ました。閣下に知らせろと隊長に命じられて馬で駆けて来ましたので……自分の知ってることはこれだけです」

 「そうか……ご苦労だった。ありがとう」


 兵士の肩に手を置き、労いの言葉をかける。

 その兵士は、幽鬼のようにフラフラと立ち上がると一礼して立ち去って行った。


 「妾が行こう。兵を貸してくれ」


 眦を決してエレオノーラは言った。


 「名目上だが婚約を結びに来たお前を行かせるのは、さすがにダメだろ」

 「体裁を保つことより目前の危機への対処の方が優先なのじゃ!」


 それもそうか……。

 これからクレルヴォーを越えて来た敵勢の攻撃と並行する形でエルンシュタット軍本隊による総攻撃が始まるだろう。

 それ故に全体の総指揮を執る俺はこの場を動けない。

 それをわかった上でエレオノーラは、自分が行くと言ってくれているのだ。

 

 「ならエレオノーラに頼もう。トリスタン、エレオノーラについて行け」

 「御意」


 片腕と言っても差し支えないトリスタンをエレオノーラを守るため同行させることにした。

 エレオノーラを間違っても死なす

わけには行かないという考えを汲み取ったのか、トリスタンはただいつものように頭を下げた。


 「エレオノーラ、重騎兵三百と銃騎兵百を預ける。側背に迫る敵の迎撃を頼む!」


 定数四百を大きく割っているが、虎の子である重騎兵を預けた。

 正面の敵よりも脅威なのは側背に迫る敵だ。

 そして俺は、敵将が誰であるかをさっきの報告で知っていた。

 それ故にこれだけの戦力を預けるのだ。


 「うむ、任せておけ!」


 エレオノーラは意気揚々と馬に跨った。 

 その背中に声をかける。


 「敵の大将は、フィリップだ」

 「……そうか。かつての親友と槍を交えるか……」


 エレオノーラは敵将の正体を知って気負いもせず悲しみもしない。


 「運命とは数奇なものじゃな。朗報を待っておれ」

 

 そう言ってニコッと笑うと、四百の兵を連れて出立していった。

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