第120話 フィリップの決意

 翌日、朝から始まったエルンシュタット軍による攻勢は静かな立ち上がりをみせていた。

 アルフォンス軍が橋を落としたことで渡河を余儀なくされたが、川霧に紛れて順調に渡河を開始していた。

 

 「各個にて放てぇっ!」


 渡河の真っ最中である兵士達を狙って矢が放たれるが、川霧が立ちこめているために精度は著しく悪かった。

 四百の弓箭兵が矢を放っても、命中するのは二割にも満たない。


 「敵騎兵が渡河して来たぞ!」


 騎兵との距離が詰まってしまえば弓箭兵を片付けることなど赤子の手を捻るより簡単なことだ。


 「退却するぞ!味方の陣地まで走れ!」


 弓箭兵は、僅か数百の軍勢に手傷を追わせると踵を返して走り出した。

 判断の早さは歴戦のアルフォンス軍ならではである。


 「逃すな追え!」

 

 エルンシュタットの騎兵部隊がその背を追うように駆け出した。

 その様子を冷ややかな目で見つめる二人がいた。


 「見事に釣りだされたな……」

 「兄さんの忠言も無駄ってわけね」


 その二人というのはエマニュエル伯爵家の兄妹だ。


 「敵にすると、ヴェルナールの采配の恐ろしさがよく分かるな」


 エマニュエル伯爵家は領地がアルフォンス公国に隣接するため彼らもまたこれから渡河を行う先方衆に属する一部隊だった。


 「さっき渡って行った騎兵が……!」


 ブリジットが川霧の向こうを指さした。

 エルンシュタット軍の騎兵部隊は対岸の斜面を駆け下りる騎兵部隊に押し潰されていた。

 

 「あの部隊はもう終わりだな」


 兄であるフィリップは冷静に判断を下した。

 アヴィス騎士団の突貫を受けてエルンシュタット騎兵は瓦解していく。

 下り坂で速度を味方につけた重騎兵の前に登坂する軽騎兵は無力だった。

 ブリジットは、嬉しそうにガッツポーズをした。


 「そのまま頑張って!負けちゃダメよ!」


アヴィス騎士団によってエルンシュタット騎兵が川へと叩き落とされて行く。


 「何をボサッとしておるか!矢を放て!」


 ほかの先方衆が矢を放ち始めると、十分とばかりにアヴィス騎士団は悠々と退却して行った。


 「諸侯の集まりのような烏合の衆ではなく、アルフォンス軍は一枚岩の軍隊だな。全ての攻撃が連動していて隙が無い」

 「このまま平押しで勝てるような相手じゃないわ」


 エルンシュタット軍は、モーゼル川を渡河して橋頭堡を築くために無理をしてでも戦線を押し上げねばならなかった。

 何しろモーゼル川を渡らなければ、攻撃を行うことすらままならないのだ。

 親友であるヴェルナールの采配の見事さに喜ブリジットとは相反して、フィリップは焦っていた。

 しばらくじっと戦場となった対岸を見つめていたフィリップは、

 

 「王の元に行ってくる」


 と真剣な眼差しで言った。

 

 「例の計画を?」

 「あぁ。彼奴を助けるにはそれしかない」


 ヴェルナールを助けるために、フィリップは悲壮な覚悟を決めていた。

 

 「でも兄さん、その計画を実行に移せる確証がないわ!」

 「説得してみせるさ!何しろ、早期決着は王にとっても魅力的だろうよ」

 

 フィリップは、その場にブリジットを残すと自陣から離れた本隊の陣地へと馬を走らせるのだった。

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