第99話 矢が尽きるまで
千百の騎兵は昼前にはタルビジオの峠に到着していた。
「川と道とに高さの差がない分、川も使えそうじゃな」
「だが道も川も乱杭と馬防策で木戸からしか入れないようにしてあるな」
ヴェルナールは、攻略の手がかりになるものはないかと当たりを見回した。
「飛び道具を持つ兵はどれほどおるのかの?」
「五百のうちどれくらいの割合かだが、防衛に徹していると考えれば多めに見積もって四割程度じゃないか?」
「だとすると二百は弓箭兵になるわけじゃな。近づくだけで手痛い犠牲を払いそうじゃ」
損害を予測したエレオノーラはそう言うと深いため息をついた。
「弓が使えなくなったりせんかのぉ……」
ため息混じりにボヤいたエレオノーラの言葉にヴェルナールが反応する。
「そんなことあるわけな……いことはないな」
「ほぉ、良い案でもあるのか?」
「弓を使えなくするには、弦を切るか矢を使えなくするかのうち、どちらかひとつが必要だ」
「そうじゃのぉ……じゃが、多くの間者かいない限りどちらも上手くいかなそうじゃ」
「いや、間者を用いなくてもどうにか出来るかもしれない」
「ほぉ、その策を教えてたもれ」
「エレオノーラ、夕方までに等身大の
ヴェルナールが悪戯を思いついた子供のような顔で言うと
「それは構わんがその前に教えてたもれ」
エレオノーラがせっつくが、
「用意が出来たらご褒美に見せてやるよ」
「いけずじゃのぉ。いつ間にか人使いが上手くなりおって」
「それが小国家の流儀だ。入れ物と人はある物使えって奴だ」
結局、好奇心に負けたエレオノーラは策を教えて貰えず準備をさせられることになったのだった。
◆◇◆◇
夕方を迎え峠に入る光は、薄ぼんやりとしたものになっていた。
「どうにか準備整ったぞ」
「なら、約束通り見せようか」
ヴェルナールは、ニコッと笑うとアルフォンス軍の中から、五十人ばかりを選抜した。
そして木製の盾に人形を括り付けると、その二十人は盾の後ろへと隠れた。
「お前達、決して死ぬなよ?弓箭兵の射程ギリギリまで前進!」
「「おぉぉぉっ!」」
夕暮れ時のこの薄明かりでは、人形なのか人なのかの判別は難しいだろう。
そんな時間帯に弓箭兵の射程距離まで前進する、これがヴェルナールの狙いだった。
喚声を上げながら五十ばかりの兵士たちは、弓箭兵の狙いに入るか入らないかの所まで前進する。
すると――――
「敵が来たぞー!」
「一人として帰すなぁッ!」
早速、木柵の上に敵の上半身が現れ矢を射始めた。
「ヴェルナール、お主の兵が一方的に撃たれておるが良いのか!?」
エレオノーラが心配そうにヴェルナールの表情を窺うがその表情は、いつも通りと相違なかった。
「問題ない。そのための盾と人形だ」
後方にいるヴェルナールやエレオノーラの所からはどれほどの損害が出ているかははっきりとは分からないが、上手くいっているという確信がヴェルナールにはあった。
もちろん絶対に安全であるということはない。
しかし射程距離ギリギリまでの前進というのがミソで、ギリギリであるが故に命中率は著しく低くなっていた。
「当たっていないのか敵が倒れん」
「もっとよく狙って放て!」
既に谷を守るイリュリア大同盟軍兵は、ヴェルナールの術策に陥っていた。
「一旦、人形を倒して次の人形を立てろ!」
大振りな盾の後ろでは、怪しまれぬよう矢をこれでもかと浴びた人形を倒して矢を引き抜くという動作を繰り返していた。
そして時折、前進をすることで敵の気を引き付けている。
「もしや、敵の矢を消耗させるのが狙いか!?」
エレオノーラは、ここまで見てようやくヴェルナールの策に気づいた。
「ご明察。さすがにそろそろ十分が経過したから、矢が尽きかけてるんじゃないか?」
彼らの籠る要塞は、急造の砦のようなものだった。
何万という矢を用意するのには時間が足りない。
仮に弓箭兵一人が五秒に一本矢を射るとすると一分間で十二本、それが二百人いるという見積もると全体で一分間では二千四百本。
十分も矢を放ち続ければ軽く二万本は消耗する計算になる。
そんなにテンポよく攻撃をしてなかったとしてもかなりの数の矢を放っていることに変わりはなかった。
「そうじゃな、心做しか攻撃の勢いが衰えているのぉ」
エレオノーラが目を眇めて要塞の方を見ながら言った。
やがて完全に敵弓箭兵による攻撃は止まった。
予め攻撃がなくなった場合は、帰陣するようヴェルナールに言い含められていたため多少の損害は出しつつも選抜された兵士達は殆ど無事に帰還した。
「さて、これで今夜中にここを突破できるぞ」
瞬き出した星を木々の間に見ながらヴェルナールは、自信ありげに言った。
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