第98話 ジュリア・アルプスの要塞

 「これを突破せねばならぬとは難儀よのぉ」


 馬上でエレオノーラが腕組みしながらジュリア・アルプスの谷を眺めた。

 

 「この数週間でここまで要塞化したとは抜け目ないな」

 「平押しでは損害が膨らみそうじゃ」


 最高高度二千八百メートルを誇るジュリア・アルプスは、唯一道路の敷設が可能だった三箇所の谷筋に街道が走っている。

 その三箇所をエレオノーラとヴェルナールは、僅かな護衛を伴って見て回ったわけだったが、山脈を東西に貫く街道のどれもが要塞化されていた。


 「問題はどこを抜くかだな」

 「妾としては、もっともアッルヴィアーナに近いツェルノクの峠を選びたいところじゃが……」

 

 俺達がツェルノクを選ぶということを敵も予測しているわけで――――


 「敵が一番警戒してる場所だろうな」


 オマケにツェルノクは、山脈がもっとも薄い箇所だから谷を突破するのが一番容易な峠だ。

 重点的に守らない理由がない。


 「しかしツェルノクを突破する方が補給的にも楽じゃぞ?」

 「もちろん、ツェルノクは突破するとも。でも俺達には峠の突破以外にもやらなきゃ行けないことがある」

 

 僅かに四千にも満たない俺達の戦略目標は、アッルヴィアーナで包囲下にある三万のカロリング帝国軍将兵の救援だ。

 後背のジュリア・アルプス山脈が奪取されてから既に三週間以上が経っている。

 物資も指揮もそろそろ限界が近いだろう。

 その彼らを安全に包囲下の外に逃がすために俺達は、ジュリア・アルプスの要塞を突破するだけでなく山脈を守る敵勢五千の殲滅をしなければならなかった。


 「敵を殲滅せねばならぬのじゃな?」

 「そういうことだ」


 何しろ一度奪った峠を再び取られたんじゃ笑い話にもならない。

 カロリング帝国陣営の犯した失敗を繰り返すことになる。


 「まぁ、突破するための策については一旦、陣地に戻ってからにしよう」

 「うむ、期待しておるぞ」


 ◆◇◆◇


 「無事に帰着されたようで何より」


 トリエステを巡る戦いでは腹に一物あったアオスタが、天幕の外まで出迎えに来た。


 「いや、敵は要塞に篭っているのか哨戒線も張ってないようで、敵に襲われることもありませんでした」

 「何か掴めましたかな?」

 「それなりには。事態は一刻を争うので明日からでも山脈の攻略に取り掛かります」

 「そのつもりで兵に準備させておこう」

 「では明日からの戦闘に向けて軍議を執り行います」


 カロリング帝国軍将兵の救出後、こちらが確実に勝ち切るための策を託してイリュリア半島へと向かったノエルの代わりにエレオノーラが補佐役を務めると申し出てくれた。


 「よいしょっ、これで良いかの」


 エレオノーラが机上に一抱えもある地図を広げた。

 

 「一番南の谷がツェルノク、その北西にあるのがトルミン、さらにその北にタルビジオと行軍可能な三本の谷がある。事前の調査によれば、ツェルノクに二千五百、トルミンに二千、タルビジオに五百の軍勢がいることが分かっている」


 この場に居合わせる主要な指揮官らにもわかるよう指揮弁で場所を指しながらの解説だ。


 「さて、これを我々三千五百弱でどう攻めるかだが――――」


 トリエステを巡る戦いでほぼ同数の敵を相手取ったがためにアオスタの率いる部隊は五百近い死傷者を出していた。

 

 「アッルヴィアーナの友軍の退却を迅速に且つ確実に成し遂げるために山脈にいる敵勢を最低でも我々と同数以下にまで減らして起きたい」


 俺の臣下は黙って話を聞いているが、近衛兵団やアオスタの家臣達はそういうわけにも行かなかった。


 「敵は五千だぞ?無茶だ!」

 「机上の空論だろ」

 「そんなことが可能なのか?」


 口々に好き勝手なことを言っていた。


 「お主ら、人の話は黙って聞くのじゃ!」


 それをエレオノーラが一喝して黙らせた。


 「まぁ、無理と思うのも仕方ないかもしれないが出来ないことは無い。峠を突破することと敵を減らすことこの両方を達成するために以下の作戦を提案する」


 ツェルノクとタルビジオの両方に俺は石を置いた。


 「まず、近衛兵団より騎兵部隊を覗く三個部隊及びアオスタ公麾下の部隊でツェルノクの峠に陣を敷いてもらう。可能であれば突破してくれてもいいが、損害を出さないよう適度に攻撃するくらいで構わない」


 何しろ彼らには当面の間、敵の気を引いて貰うだけでいいのだ。


 「その間に残りの近衛兵団と我が軍によりタルビジオの敵を殲滅する。これで敵の数は残り四千五百。二つの峠の中間にいるトルミンの連中がどう出るかだが、タルビジオを突破した騎兵部隊の前に峠を空にして全数で打って出るような真似はしないはずだ。敵が来れば適宜処理してツェルノクの後方に向かう。後は俺の上げさせる狼煙を合図に挟撃してジュリア・アルプスの敵を一掃する」


 そこまで言うと居合わせた指揮官らが、誰ともなしに息を飲んだ。


 「どうだ、やれそうな気がするだろう?」


 ◇◆◇◆


 明け方、東の空が明るくなり始めた頃、アルフォンス軍、カロリング近衛兵団の騎兵部隊千百が駒音も高らかに駆け出した。

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