第86話 脱出
「あなた達は、私達の後ろにいてもらいたい」
三人の選帝侯を部屋から連れ出し俺とエレオノーラが先頭を、ノエルが最後尾で選帝侯達を挟む形で回廊を走る。
「はぁはぁ、まだ走るのか?私は息が続かん」
運動し慣れていないのかドルレアンスが音を上げた。
「生きたければ走るのじゃ!」
顔見知りなのか遠慮ない口調でエレオノーラが言った。
「敵の姿が見えないのに逃げる必要があるのだろうか?」
などとミュンヘベルク大公が間の抜けたことを言うが今は無視だ。
敵に見つかる前にここを脱出しなければ、選帝侯達を守り抜ける保証はない。
「ひぃ……苦しいっ!もう走れん!」
声を荒らげてそう言うとドルレアンスがその場にへたりこんだ。
その時だ――――俺とノエルは、目を合わす。
互いにただならぬ気配を感じ取ったのだ。
そして俺たちの正面からその気配の正体は姿を現した。
「苦しいなら今すぐに楽にしてやろうとも」
ぶら下げているのは大きく反り返った二振りの湾刀だ。
おそらくコイツがノエルの部下に深手を与えたのだろう。
「ピィィィ――――」
状況を理解したエレオノーラが懐から取り出した笛を吹いた。
「助けを呼んだところで無駄だぜ?」
湾刀をぶら下げたまま、男は口角を吊り上げる。
「誰の差し金だ?」
それまで黙っていた北プロシャ選帝侯ラウエンブルクが静かに尋ねる。
戦場に立って自らが陣頭指揮を執るだけあってか肝は座っているらしい。
「どうせ貴様らは、この後すぐに死ぬんだから教えてやっても構わないが、喋るなというのが上からのお達しだ。訊くだけ無駄だったな」
エレオノーラが笛を吹いたのは、大聖堂の近隣を宿所としている従者に助けを呼ぶためだろう。
それなら時間稼ぎをするべきか……?
「なに、言われなくても正体など知っているとも」
ラウエンブルクと男の会話に割って入る。
「ほぉ、貴様の知る俺の正体とやらが気になるな」
男はラウエンブルクに向けていた視線をこちらへと移した。
「この場で言ってしまってもいいのかな?」
「おぉ、一向に構わないとも」
よっぽど俺らを殺すことに自信があるらしい。
まぁ確かに貴族で剣が使える奴なんて珍しいからそれもそうか。
「お前らは、護教騎士団だろ?目的はタルヴァン司祭を次期法皇の座に据えること、そのためには今の選帝侯が邪魔で仕方ない。違うか?」
男の眉が一瞬ひくついたのを俺は見逃さなかった。
この推理で当たりか……。
タルヴァン派は、おそらくイリュリア大同盟に与する選帝侯を後ろ盾としているはずだ。
七座ある選帝侯のうち五座を消してしまえば残りはイリュリア大同盟に与する選帝侯のみとなる。
幸いにして選帝侯会議は、多数決制を採用しているからその二人で選帝侯会議を実施しタルヴァンを法皇に就けようという算段か。
「そこまで頭の切れる人間を殺さなければならないのは実に惜しい。だがなァ、お前は知り過ぎた!」
男は、湾刀を構える。
それを合図に、回廊の前後を塞ぐように多数の人影が現れた。
「こっちは三人なのに、そっちは多すぎやしないか?」
もう時間稼ぎは通用しないが、可能な限り時間は使っておきたい。
それ故になるべく多くの言葉を交わす。
「丁重にあの世に送ってやろうという粋な計らいさ」
相手の数は、二十程度か……。
幅の狭い回廊での殺り合いというのが唯一の救いか。
おかげで一度に相手する人数が一人か二人で済む。
「要らん気遣いだな」
そっと剣を構えたところで男は、こちらへ向かって走り出した。
それはただ、危険組織との戦いであるというだけでなく、俺の敷く政治が逃れられない宗教という大きく暗い渦に囚われた瞬間だった。
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