第12話 夜が、明ける
その瞬間。
レザトの右手首に、音もなく飛んできた矢が、突き刺さった。
アシュアールの竜がようやく地面に降り立った。ようやく落ち着いて空中の様子を見ることができた。
どこからともなく矢が飛んできた。
矢を放ったのはハーヴィーだった。
「お待たせー!」
彼は能天気な笑顔でぱちりと片目を閉じてみせた。
「出たなハーヴィー」
手綱から両手を離し、驚異の能力で裸の竜を空中に制止させたレザトが言う。左手で剣を持ったまま、右の手首には矢を生やしたままだ。
ハーヴィーの竜が飛んでくる。同時に矢も射る。竜たちは敵が増えたことに驚いたらしく慌てふためいた様子を見せた。
敵の竜たちに接近すると、ハーヴィーが背負っていた槍を抜き、すさまじい腕力で薙いだ。竜が二頭同時に喉から血を噴き出して地面に墜落した。
レザトが初めて表情をゆがめた。左手の剣を腰の鞘に戻す。そして手綱を引く。ラジーズとハーヴィーがいない方向を狙って、器用に飛んでいこうとした。
さらに加勢してくる者があった。
「俺にも活躍の場を残せ!」
エスファンドだ。エスファンドが槍を抜いて突っ込んでくる。レザトはエスファンドを交わすのに必死の様子でかろうじて飛んでいるだけのありさまだ。
アシュアールの目の前にも竜がぼとぼと落ちてくる。重量のある竜は屋根を突き抜け、壁を突き抜け、石畳を突き抜けて墜落する。八百屋が木箱にしまっていた果物があたりに飛び散った。
レザトにはもう軽口を叩く余裕はないようだ。
もうレザト側の竜は残っていなかった。あとは三人がレザトを追い詰めるだけのように見えた。
レザトが礼拝堂のほうへ逃げていく。それを三人が追跡する。
あともう少しで三人がレザトの首を取る。
見たい。
アシュアールは自分の竜の首を撫でた。
「ごめんね、母さん」
竜にささやく。
「もう一回飛んで。最後を見届けたいんだ」
そして、拍車をかけた。
アシュアールの母親だった竜が声を上げ、羽ばたいた。
ふわり、と宙に浮く。内臓が持ち上げる独特の感覚を味わい、空に舞い上がる。上から下へ押し下げる圧力が全身にのしかかる。
乗り越える。
高く。速く。誰よりも強く。
アシュアールの竜は一直線に空を目指して飛んだ。
いつの間にか空は明けてきていた。濠は鎮火しつつあるようだったが、まぶしい朝日が昇ってきて今度こそ本格的に明るくなってきていた。
夜が、明ける。
「年貢の納め時だぜ!」
三人が矢をつがえた。
信じられないものを見た。
礼拝堂から、また新しい竜たちが湧き上がってきた。礼拝堂の中にまだ人がいたのだ。
人間を竜に変えて戦わせようとしている。もう数え切れないほどの竜が竜騎士たちに倒されて街中に墜落しているというのに、それでもなお人間を犠牲にして逃げようとしている。
絶対に、ゆるさない。
アシュアールの竜が大きな羽を広げて旋回した。
三人が驚いた顔で新たな竜たちに応戦する。
その隙にレザトが逃げようとする。
負けない。
アシュアールは空の圧力に耐え抜いた。
「殺してやる!!」
左手で手綱を握ったまま右手で先ほどラジーズに貰った剣を抜いた。
アシュアールの竜がアシュアールと同化したような気がした。それほどの一体感で、一人と一頭は飛んでいた。
レザトの頭上を取った。
レザトが目を見開き、口を開けてこちらを見た。
アシュアールは落とす要領で剣を投げた。
剣はまっすぐレザトに向かっていった。
レザトの胸を、貫いた。
レザトとレザトの竜が、地面に向かって落ちていった。
竜たちが一瞬動きを止めた。みんなおとなしくなった。そして、それぞれに地面に降りていった。
竜騎士三人はその様子を肩で息をしながら見つめていた。
三人とも出血しているようだった。姿勢を保ったまま騎乗しているので致命傷になるような怪我ではないと思うが、きっと疲れている。
竜たちが、ふわり、ふわりと下降する。二本の足で、石畳を踏み締める。
一頭の竜が、くう、と鳴いた。
顔を地面に近づける。
そこに、高いところから落ちて石畳にぶつかった結果四肢の関節をすべて生物としてあり得ない形で折り曲げたレザトの遺体が転がっている。
竜騎士三人もそのそばに降りていった。
敵方だった竜たちはもう三人を攻撃しようとしなかった。竜は基本的に群れるのだ。彼らは三人の竜と鳴き声を交わしてコミュニケーションを取った。
アシュアールも母だった竜に「降りよう」とささやきながら手綱を引いた。アシュアールの竜もゆっくり下降しやがて静かに地面に立った。
三人がぐちゃぐちゃになったレザトの遺体を見つめている。
「あー……」
ハーヴィーが大きく息を吐いた。
「これじゃ顔がわからなくない?」
エスファンドがその場にしゃがみ込み、レザトの髪をつかんだ。持ち上げる。顔面が潰れている。アシュアールは吐きそうになってしまい慌てて顔を背けた。
「残念だ。この顔では皇女殿下にお見せできん。さすがの皇女殿下もこういうものは見たくなかろう」
「アシュアールも気持ち悪そうにしてるしなあ。とれたて新鮮の生首、欲しかっただろうになあ」
「でも何か皇女殿下にお見せできるものがあったほうがいいよね、仕留めましたよ、の意を込めて」
「そうだな、何か、あんまり気持ち悪くない範囲で死体を切り取って持って帰るべ。どこがいい? 耳? 鼻?」
おそるおそる三人のほうを見る。レザトの頭から手を離したエスファンドが「これはどうだ?」と言って今度は手首をつかんでいる。その手の甲にはびっしりと刺青が施されている。ハーヴィーが「おっ、いいね」と賛意を示した。
「これは王族しか彫らないやつだから身元証明になるでしょ」
「賛成。じゃあさっそく切り取ろう」
アシュアールはもう一度顔を背けた。
竜たちが見守る中、三人が、ごりごり、ごりごりという音を立てながら手首を切っている。具体的にどんな方法で解体しているのかはあまり考えたくない。
「アシュアール、もう大丈夫だよ」
ハーヴィーにそう言われて、アシュアールはちょっとずつ振り返った。
遺体がレザト自身のマントに覆われている。もう見なくても済みそうだ。ほっとした。
ラジーズが自分のマントに何かを包んで槍の穂先にぶら下げている。おそらくレザトの手首だろう。
「よーし、皇女殿下のところに帰るかあ」
そう言った三人が笑顔だったので、やっと呼吸らしい呼吸ができた。
「お疲れ様!」
三人が手を叩き合う。
そして、最後に、アシュアールのほうにも手を伸ばす。
「お手柄だったね。アシュアールもお疲れ様だよ」
アシュアールも三人に駆け寄って手を叩かせてもらった。やっと仲間になれた気がした。
「アシュアールもがんばったこと、ちゃんと皇女殿下にも報告するからね」
「はい、ありがとうございます!」
ハーヴィーはそう言ってくれたが、ラジーズは「どうかな」と意地悪く笑った。
「お前、俺の言いつけ破っただろ。最終的に無事だったからよかったものの、お前、万が一のことがあったら死んでたぞ」
「ごめんなさい……」
「後でお尻ぺんぺんだからな。覚悟しとけよ」
アシュアールはぺこぺこと頭を下げた。
こうして、魔術師こと第五王子レザト事件は幕を閉じたのであった。
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