第11話 僕の言うことを聞け!

 ヴィオル教の礼拝堂は天からの光をふんだんに取り入れるため壁一面に大きなガラス窓がはめ込まれている。その窓という窓が内側から突き破られて割れた。ガラスの破片が炎の明かりを反射してきらきらと散っていくのが得も言われぬ美しさであった。


 窓を突き破って出てきた竜たちは皆ガラスの破片で傷ついて血を流していた。ある竜は顔から、ある竜は首から、ある竜は腕から――ガラスの破片が突き刺さったまま空に舞い上がる者もある。痛々しい。中には頭を打ったのかそのまま地面に墜落していく竜もいた。先陣を切らされた竜は窓を破るための犠牲となったのだ。


 竜は本来人間であった。


 きっとこの街に住む差別に喘いでいたヤズダの民が救いを求めて集ったのだろう。アシュアールが育った村の老人たちがそうだったように、竜となって意思や記憶を失うこと、誰かの役に立って死にゆくことを是として自ら魔術にかかっていったのだろう。


 許せない。


 窓がすべて割れてから、人間の乗った竜が現れた。人間を乗せている竜はそのたった一頭だけだった。他に残った人間はいないらしい。


「よおレザト!」


 ラジーズが場違いに明るい声をかけると、竜にまたがっているレザトがこちらを向いた。

 驚いたことに、レザトは裸の竜に乗っていた。鞍を使っていないのだ。一応竜具はつけているが、実質的に手綱だけで竜を操っていることになる。竜を従わせる魔術が使えるからだろうか、それとも、訓練を積めばアシュアールもああいう乗り方ができるのだろうか。


 レザトは気さくな感じで返事をした。


「やあ、ラジーズ。元気そうで何よりだ」


 まるでラジーズと古くからの友人かのような振る舞いだ。


「そっちはどんな塩梅だ? ハーヴィーが取り巻きをみんな殺しちまって寂しがってる頃だとか言ってたけど」

「ハーヴィーの言うとおりだ。俺は悲しい。この辺には俺の味方はいないということだ。人徳がない。思い知らされた」

「この辺には? この世界にはの間違いじゃねーの」

「おや、ラジーズは俺が何人兄弟なのか知らないのか。俺たちはお前たちが思うよりずっと仲良し兄弟だ」


 ラジーズが笑みを消す。


「お前の兄弟は今何人生き残っている?」


 レザトは微笑むだけで何も教えてくれなかった。


「とにかく、俺は捕まるわけにはいかない。申し訳ないがお前とのデートはおあずけだ、永遠にな」

「そんなつれないこと言うなよな」


 そこでレザトがこちらを向いた。


「アシュアール」


 名前を呼ばれて、心臓が跳ね上がった。


「お前も来たのか。いつの間にか三バカ組と仲良くなったんだな」


 一瞬笑いそうになってしまった。三バカ組――言い得て妙だ。ラジーズ、ハーヴィー、エスファンドが三人で一組なのもよくわかるし、きっとベアトリス皇女も同じように扱っているのであろうことも察する。


「そちら側に行ってしまったのか。もう俺とは行けないということだな」

「だーれが行かせるか、使い倒されてぼろ雑巾のように捨てられるってのが見え見えなんだよ」

「王国が復興すれば神官級の地位を授けると言ったんだが」


 そこまで聞いて、ラジーズは鼻で笑った。


「ヤズダの王族は祭祀を司っていながらよそ様の宗教施設は破壊しちゃうんだな」


 窓ガラスがすべて粉々に砕け散っている礼拝堂を見た。それだけで、この魔術師が信頼に値しないことがわかる。


「アシュアール!」


 ラジーズがアシュアールのほうに向かって何かを投げた。アシュアールは慌てて手を伸ばしてつかんだ。投げてよこされたのは長剣だった。鞘にヴィオリア帝国の紋章が入っている。軍の支給品だろうか。


「それを持って地上に降りろ」

「えっ」


 ラジーズの金の瞳はアシュアールではなくレザトを見ている。


「建物の陰に隠れろ。狭い路地に入れば竜は入ってこれない。どこかで時間を稼いでハーヴィーとエスファンドが来るまで待て」


 そういうラジーズの言葉を聞き、レザトが「賢明な判断だ」と言った。


「アシュアールに自分の竜を地上に導く腕があるのか拝見しよう」


 一拍分、何を言われているのかわからず考えてしまった。

 レザトが刺青の入った右手を宙にかざした。

 礼拝堂から出てきた竜が、一斉にこちらを向いた。

 数十頭の竜が、アシュアールを見ている。

 全身に鳥肌が立つ。


 竜たちが、咆哮した。


「行け!」


 レザトが叫ぶと、竜たちはアシュアールに向かって飛んできた。


「殺せ! 竜騎士を一人でも減らせ!!」


 アシュアールは硬直してしまった。

 竜が襲ってくる。

 どうしよう。噛み殺される。


 矢が放たれた。

 目の前にいた竜のうなじから顎の下に矢が突き抜けた。


「逃げろ!!」


 ラジーズが弓を構えていた。


「生き残れ!!」


 そしてもう一本をつがえ、こちらを――こちらに向いている竜を狙い、放った。


 攻撃されていることに気づいた竜がラジーズのほうを向いた。


「よしよし、お前らはこっちに来い」


 ラジーズが左手に弓を持ったまま右手で手綱を引く。


 逃げなければならない。足を引っ張ってはならない。

 脇の下に汗をかくのを感じながら、アシュアールは手綱を引いた。そしてエスファンドに教わったように拍車をかけた。アシュアールの竜が叫び声を上げた。猛烈な勢いで宙を飛び始める。振り落とされそうになってしがみつく。

 レザトの言うとおりだ。自分の騎乗技術では竜を地面に向かわせることができない。大勢の敵の竜に囲まれて無我夢中で飛び続ける竜をコントロールすることなどどだい不可能だった。

 どうしたらいいのだろう。


 回り込んできた竜に前方を囲まれる。進行方向を阻まれる。

 アシュアールの竜が旋回して元来た方向へ戻ろうとする。そちらにも敵の竜が団子になって飛んでいる。

 ぶつかる。体当たりだ。吹き飛ばされる。


 竜と竜との間に、空中で縦方向に回転してからラジーズの竜が入ってきた。

 ラジーズが槍を抜いて敵の竜の喉を貫いた。

 すさまじい飛行能力だ。


 感動している場合ではない。


「行けっつってんだろ!!」


 ラジーズの槍の柄と竜の牙がぶつかる音がした。鉄同士がぶつかっているかのような硬く重い音だった。


 アシュアールは鼻で息を吸ってから手綱を握り直した。


 足を引っ張るな。


「動け!」


 竜の首を叩く。


「動け動け動け動け!」


 竜が叫ぶ。


「僕の言うことを聞け!!」


 羽がひとたび動いた。


 次の時、アシュアールの竜はすさまじい勢いで下降し始めた。


 このままでは地面にぶつかる。


 覚悟を決めて目を閉じたが――竜は器用に地面すれすれを飛んで浮力を持ち直した。


 アシュアールはほっと胸を撫で下ろした。


 石畳に触れるか否かの低空飛行をする。敵の竜たちが追いかけてくるがアシュアールの竜のほうが速い。

 いまさら気づいたのだが、この街は高層住宅が多い上に、一階より二階、二階より三階と、上に行くにつれて街路のほうに張り出しており、だんだん空が狭くなっていくように見える。したがって普通の竜には潜り込むのが難しいようだ。アシュアールの竜がこの街路にはまり込んだのは奇跡だった。

 助かった。

 あとはラジーズの言いつけどおり地面に降りるだけだ。


 ラジーズはどうなっただろうかと、彼のほうに目を向けた。

 アシュアールは思わず「あっ」と声を上げてしまった。

 一度に三頭を相手にしているラジーズの肩に、ある竜が噛みついた。

 赤い血しぶきが石畳に降り注いだ。


「ラジーズさん!」


 その上――アシュアールは震えた。


 いつの間にかラジーズの頭上を取ったレザトが、腰の長剣を抜いていた。


 レザトが剣を振り上げた。

 ラジーズの背中に刃が触れようとした。

 アシュアールはざっと血の気が引く音を聞いた。

 斬られる。




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