第10話 お前はひとりじゃない
帝国軍の一団の後方、街の城壁の正門から見て少し東方に行ったところに、大きなテントが張られていた。即席の司令部だ。中に入ると、中央に暖房の火鉢が置かれており、かえって汗をかくほど暑い。炎が煌々と燃えていて夜とは思えないほどの明るさであった。
騎士団幹部の数名に囲まれてひとりの女性が立っている。長い銀の髪をひとつにまとめ、騎士たちと同じ隊服で男装をし、上半身に軽装ながらも鎧をまとった姿は、勇ましく、美しい。彼女こそがヴィオリア帝国の誇る第一皇女、姫騎士ベアトリスだ。
「皇女殿下」
エスファンドが進み出てひざまずいた。
「お待たせいたしました。このエスファンド、遅ればせながら馳せ参じました」
皇女ベアトリスは当たり前のような顔をして「ご苦労様です」と答えた。
「結局アシュアールを連れてきたのですね」
名前を呼ばれてアシュアールは少し緊張した。けれど今までの感じでは彼女は見た目ほど恐ろしい人ではない。エスファンドの隣でひざまずいて、ちょっと頭を下げて「すみません」とだけ言う。彼女が「結構です」と言う。
「ラジーズ、ハーヴィー、エスファンド」
「はい」
「あなたたちが拾ったのですから、責任をもって最後まで世話をするのですよ」
三人が「了解」と明るく返事をした。アシュアールはほっと胸を撫で下ろした。
「エスファンドのために最初から説明しましょう」
皇女は手元で大判の紙を広げた。火鉢の炎で透けて描かれている図画が見える。円形の城壁に囲まれた目の前の都市の地図だった。
「街は完全に包囲しました。住民はあらかた避難させてほぼ無人であるものとみています。避難に反対して街の中に残った者たちは人種を問わず帝国に仇なすものとして竜に食べられていただくか竜になって竜騎士たちと交戦していただくことに致します」
若い女性の口から出ているとは思えぬほど冷徹な言葉であったが、そうでなければ帝国軍を率いるに足らぬのだ。
「これから市庁舎、隊商宿、公衆浴場などといった主要施設を西から順番に破壊していきます。西から東に向かって流れを作ってまいりましょう」
「レザトがいるところの目星はつけられましたか」
「いいえ」
しれっと言う。
「この街のどこかにいる可能性は高いですが、いなかったらいなかったで結構。今朝の段階で竜を目撃した人間が数名います。今はいなくても、いつかの時点では竜を連れた人間がここにいたはずなのです。それだけでこの都市は浄化されるべきです」
地図を巻いて束ねる。
「竜を目撃した者が数名しかいないということは、竜は飛んでいなかった、ということです。空中にいればもっと大勢が見ているはずですから。つまり竜は歩いて街の中に入った。城門をくぐっている。それも騒ぎになることなく。門番は万死に値する」
「実におおせのとおり」
「帝国は竜の存在を許さない。それを周知させる必要があります。先の戦争で幾人の帝国軍の兵士が竜に殺されたか、絶対に忘れてはならないのです」
彼女の紫の瞳が炎の光を反射して
「話を元に戻します。街の中には竜を隠せるほど大きな施設はそう多くありません。先ほど申しました主要施設を破壊していけばいつかは出くわすと思われます。というわけで、竜騎士三人には西からひとつひとつ施設の点検をしていただきます」
ハーヴィーが「えっ、ひとつひとつ?」と嫌そうな顔をした。皇女が「上から目視すれば十分です」と答える。竜騎士は空を飛べる。空中から建物の様子を眺めるだけなら一個一個歩いて訪ねるより早い。まして本当に竜が飛び出してきたら並みの兵士では対応できない。
「一般の騎士たちは騎馬で西の門から街の中に入り順次施設を焼き払います。わたくしとわたくしの親衛隊は東西南北にある四つの門を内外から守ります。あなたたちはおのおの好きにお飛びなさい」
「ういうい」
皇女がひとつ息を吐いた。
「もう少し真剣になったらどうですか。あなたたちは魔術師に遭遇しても竜にさせられることはない――それはわかっていますが、鱗があっても人間は人間です、竜に首を噛み千切られたら死ぬでしょう」
「まあ、それはそうなんですけど」
ハーヴィーが苦笑する。
「僕らが真剣だったらしんどいのは皇女殿下ではありませんか?」
皇女はそれについては答えなかった。
アシュアールはこの皇女とハーヴィーのやり取りを見て彼らの間にある信頼関係を察した。互いに親愛の情がある。皇女は一貫してひどく冷たい態度を取っているが、いつかラジーズが言ったとおり、根はいい子なのかもしれない。彼女の内面にはこの三人を危険な任務に就かせることに対する複雑な感情があるのかもしれない。
「俺らは本気になりませんよ。徹底的に手を抜いてやります」
ラジーズが胸を張って言う。
「殿下のご心配には及びません。俺らは不死身で最強なんで」
やはり、皇女は何も言わなかった。
「この作戦について何か質問があったら受け付けますが」
アシュアールはおそるおそる手を挙げた。
「僕は、どうしたらいいでしょうか……?」
皇女の紫の瞳がアシュアールを見た。余計なことを言ってしまっただろうか。怖気づいてしまった。
「あ、いや、邪魔にならないようにおとなしくしま――」
「竜騎士の誰かについておゆきなさい」
意外な回答だった。
「邪魔じゃないですか?」
「それを判断するのはわたくしではなく竜騎士たちです」
ラジーズが伸びをしながら「俺が連れていきますかあ」と言う。
「いいんですか?」
「わたくしと一緒にいられましても」
そう言われると一瞬胸が冷えたが、次の時、彼女はこんなことを言った。
「もし一般の騎士団が竜の襲撃を受けて壊滅した場合、鱗のあるあなたは何をどうされるかわかりません。わたくしが死んでもあなたは生き残るべきです。そしてそのためには竜の扱いに長け自称最強で不死身の三人の指示を受けたほうがよろしいかと存じます。あなたは竜騎士見習いなのですし、竜騎士とはいかにあるべきか学ぶといいでしょう」
その言葉に壮絶な覚悟を感じた。
「皇女殿下も、どうぞご無事で」
アシュアールがそう言っても、彼女は顔色ひとつ変えなかったし、無回答であった。
「じゃ、行きますかあ」
夜はとっぷりと更けていたが、騎士団が濠に油を流して火をつけたので、昼間のように明るかった。視界に差しさわりがないのはありがたかったが、すさまじい行為だと思った。小さな村で育ったアシュアールには濠というものがどういう仕組みになっているかわからない。けれど水の溜まっているところに油を流すという発想は恐ろしく感じる。まったく動じることのない帝国軍は破壊の申し子だ。
濠が燃えているので、壁内から出入りするためには東西南北四つの門から堤の上を移動するしかない。城壁から上り下りすることは焼死につながる。こうすることで門さえ見張っていれば街からの出入りを完璧に監視できる。
燃え盛る炎のはるか上空、熱風が届かない高みをゆうゆうと飛びながら、ラジーズが語る。
「包囲戦っていうのは地上戦だから意味があるんだよな。普通は、攻めるほう、守るほう、どっちも空からの攻撃を想定していない。どっちも地面に足がついていて限られた場所を移動しなければ出入りできないという状況がなければ成立しない。したがって竜が登場して空を飛び始めると形勢はすぐに逆転する」
ラジーズの竜の後ろを、アシュアールの竜がゆったりついていく。竜は群れる。後輩竜は本能で先輩竜の後ろをくっついて飛ぶのだ。
「今みたいな状況が戦争中に起こった場合、どちらが守るほうになっても、ヤズダの民とヴィオリア人だとヤズダの民のほうが圧倒的に有利だ。鱗のない一般人を竜に変えて鱗のある竜使いの戦士たちが乗って出撃すりゃいいんだからな」
アシュアールはこくりと頷いた。
「それでもヤズダ神聖王国が負けたのはなんでだと思う?」
「ヤズダの王族の人づかいが荒かったからでしょうか? 竜になる一般人が尽きたんじゃないですか。帝国は人が多いですもんね。帝国民って、ヴィオリア人以外にもたくさんいますよね。帝国の人海戦術に負けたんじゃないですか」
「ぶっぶー。正解は、俺たち竜使いが裏切って同胞殺しをしたからです」
振り向いて、にやりと笑う。
「心配すんな。帝都に帰れば俺たち以外にも竜騎士がいる。みんな大なり小なり王族に反感を持ってる。お前はひとりじゃない」
アシュアールはもう一度頷いた。
下のほうで何かが割れて砕ける音がした。
見ると、街の中心、巨大な礼拝堂の色付きガラスを突き破って数頭の竜が飛び出してきていた。
「おっ、おいでなすったぞ」
ラジーズが手綱から右手を離し、背に負っていた槍を握った。
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