第9話 そりゃ、宙から油を撒けば早いからな

 エスファンドはすぐに支度をしてくれた。


 まず、アシュアールに着替えを持ってきてくれた。騎士見習いの少年が着る服だそうで、背中に帝国軍の紋章が入っていた。アシュアールはためらわずに着た。帝国軍の人間になることに抵抗がなくなった。レザトに復讐するためなら帝国に魂を売ってもいい。

 エスファンド自身も着替えてくる。見慣れた騎士の制服姿になる。


 次に、竜に騎乗するための準備をした。

 アシュアールは母だった竜の背中に鞍を載せた。竜具も新しくてもっとしっかりしたものに替えた。

 エスファンドに鞭の打ち方、拍車のかけ方を教わる。

 母にまたがり、母に鞭を打つのか、と思うとつらかったが、そのつらさはすべて悔しさに変換してレザトにぶつけるべきだ。もう自分が知っている優しく穏やかな母はいない。ここにいるのは一度コントールを失うと荒れ狂う大型獣だ。今は竜に慣れたエスファンドが手綱を引いてくれているが、次はアシュアールがその手綱をつかんで旅立たなければならない。彼女の無念を晴らすためにも必要な行為だ。


 本格的に出発する前に少し飛ぶ練習をする。

 これはエスファンドの竜で練習させてもらった。エスファンドの竜はエスファンドが騎乗しての戦闘に慣れている分人間に従順で素人のアシュアールにも優しかった。

 エスファンドの命令に従って宙に飛び上がる。振り落とされないか不安だったし、飛んだら飛んだで内臓が浮くような感覚に吐き気がした。しっかりまたがり、膝を固定し、手綱を引く。

 竜には人間だった頃の理性や知性は残っていないと言われている。しかし動物にしては知能が高いように思われる。エスファンドに忠実に、かつアシュアールに気をつかって飛んでくれる。ゆっくり、ふんわりとした動きに、アシュアールはだいぶ励まされた。竜は恐ろしいだけではない。温かくて賢い。きっと大丈夫だ。


 太陽が沈んでいく。東の空に星が姿を見せる。


 出発直前、エスファンドに竜を替えようかと言われた。十三年竜騎士の戦闘に耐えてきたエスファンドの竜のほうが御しやすいからだ。アシュアールもそれは感じていた。けれどやはり、母に誰かがまたがる、ということが嫌だった。いくら信頼できる人間が相手だと言っても、そこは譲れない一線だった。


「竜は群れる。俺の竜が飛べばお前の竜も飛ぶだろう」


 エスファンドはそう言ってアシュアールの足を竜に固定した。


「とにかく落ち着いていることだ。お前の不安は竜を不安にする。堂々と手綱を握って座っていろ」

「はい」

「あとは黙ってついてくればいい。実戦は俺たち三人でやる。お前はレザトが俺たちに殺されるところだけ見ていろ。危険なことだから無理はするな。万が一お前に手伝ってほしいことが出てくれば言う」


 アシュアールは力強く頷いた。


 エスファンドを乗せた竜が大空に舞い上がる。大きく羽ばたき、風を起こし、空気を巻き上げる。

 エスファンドが警笛を吹くと、アシュアールの竜も羽を動かした。

 竜の背中の筋肉の躍動、浮遊感、冷たい夜の空気――何もかもが初めてのことで怖かった。だが、口を引き結んで表情に出さずに努める。竜に自分が不安がっていることを知られてはならない。


 エスファンドの言ったとおり、エスファンドの竜が高く飛びあがるとアシュールの竜もついていった。南西のほうに向かって滑空する。振り落とされないようしっかりと手綱を握り締める。緊張で体ががちがちになる。


 眼下に荒野が見えた。旧王国領は全体の八割がつぶてと灌木の沙漠で、オアシスとオアシスをつなぐ交易路を中心に発展してきた国だった。人間の頭上にある見えない空気の道を通って竜が物資を運搬する、そんな様子が日常的に見られたという。もう二度とあってはならない光景だ。


 沙漠の向こう側に明かりが見えた。集落が大きな明かりを燈しているのかと思ったが、近づいてみると違った。村が丸ごと燃えているのだ。胸が冷えた。


「エスファンドさん!」


 声をかけると、エスファンドは手綱を握ったまま振り返った。彼の竜は相変わらず悠々と前を向いて飛んでいる。


「村が――」

「ああ」


 彼もアシュアールに聞こえるように大声で言った。


「王国の残党に乗っ取られないよう空になった集落を焼くんだ」


 地上に目を凝らす。

 荒野に点々と竜の死体が転がっている。

 ここでレザトたちと帝国軍の戦闘があったのだ。レザトはアシュアールの村でやったようにこの村のヤズダの民も竜に変えて応戦した。そしてその竜たちを竜騎士二人や馬に乗った帝国軍の騎士たちが倒した。その光景が目に浮かんだ。


「ヴィオリア人どももいい迷惑だろうな」


 普通の村はヴィオリア人とヤズダの民が交ざって暮らしている。ヴィオリア人の植民とヤズダの民の強制移住の結果ひとつの村落に双方が同居するようになったのだ。したがってこの辺の村々も竜になったヤズダの民だけが住んでいたわけではない。竜に襲われ、帝国軍に焼き払われ、家族や住まいを失ったヴィオリア人がいるはずだ。


 何が正解かわからなくなる。


 首を横に振った。


 自分はただ、レザトに復讐することだけを考える。他人に同情はしない。自分は正義を語れるほど強くない。


 沈む太陽を追いかけて空を飛び続ける。


 それからも二つの村が燃えているのを確認した。アシュアールはもう動揺しなかった。悪いのはこの村の人々を竜に変えた奴だ。それにしても、空が暗くなっても村が燃えているので地上は明るい。飛びやすくて何よりではないか。


 やがて大きな街が見えてきた。城壁に囲まれた円形の都市だ。城壁の外側にはほりがあり、月夜に水面がきらきらと輝いているのが確認できた。城壁に取り付けられた松明も明るく、複数のかがり火が城門を囲んでいる。


 城門から大荷物を馬車で引いた人々が大勢出てきていた。街の住人が避難させられているのだろう。こうなってくるとヴィオリア人もヤズダの民もない。狭い城壁の中が竜で溢れ返ってしまったらお終いだ。


 城門のすぐ近くに騎馬の一団が見えた。エスファンドはそこに向かって弧を描きながらゆっくり下降していった。エスファンドの竜にくっついてアシュアールの竜も下を目指し始めた。ややして二頭とも地面に降り立つ。賢い生き物だ。


 騎士団の中から竜にまたがった人物が二人出てきた。顔を確認するまでもない、ラジーズとハーヴィーである。二人の竜は羽を折りたたんで二本の後ろ脚でしっかり地面を踏み締めて走ってきた。こういうところを見ると鶏のようだ。


「おつおつー」


 ハーヴィーが人差し指と中指の二本を立てて振る。


「結局アシュアールを連れてきちまったのか」


 ラジーズが苦笑しながら問いかけてきた。エスファンドはしっかり頷いて「ああ」と答えた。


「レザトのとれたて新鮮の生首を見たいようだ。鱗のある人間はどうも血の気が多いらしい」

「違いない」


 三人が声を上げてどっと笑った。


「そっちはどうだ」

「レザトの足取りを追ってここまではるばる飛んできたけど、まあ馬という鈍足の生き物を連れてるんでうまくいかねーわな。竜が湧いてた村を状況確認してとりあえず焼き払ってきた。どこもかしこもヴィオリア人だけになっちまって悲しい限りだぜ」


 竜になるのは竜の末裔であるヤズダの民だけだ。つまり村全体が魔術をかけられた場合ヤズダの民だけがごっそり全滅してヴィオリア人だけが残る。ただ竜になったヤズダの民たちは生き残って動き回るヴィオリア人たちに襲い掛かるので避難しなければどのみち死ぬ。


「どうしようもない。ヴィオリア人どもが家や財産を失っても俺はいまさら胸が痛まん。命があっただけありがたく思ってほしいものだな」

「同感」

「右に同じく」


 アシュアールは三人に尋ねた。


「こういうこと、よくあるんですか?」


 三人は事もなげに頷いた。


「そりゃ、宙から油を撒けば早いからな」

「いや、そういうことじゃなくて――」

「え? どういう質問だった?」

「いいです、だいたい察したんで」


 姿かたちは人間だが、彼らは本質的には竜なのだ。

 否、自分もだ。

 これもいつか自分の日常にもなる。

 アシュアールはもう恐れなかった。



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