第8話 戦うと、誓います
まどろんでいると何もかもが夢だったような気がしてきた。
夜明けの鐘が鳴る。そろそろまぶたを持ち上げないといけない。母と朝食を取って、洗濯物を干して、朝の鐘までに出勤しないといけない。今日の朝食は何だろう。いつもパンとスープだけの食事だが、母は工夫を凝らしていろいろなスープを作ってくれた。昨日はほうれん草、一昨日は玉ねぎ、その前はひよこ豆――お腹が空く。何か食べたい。
ゆっくり目を開ける。
体の下のシーツや体の上の掛け布団が滑らかで柔らかく肌触りがいい。
自宅のものではない。
我が家はぺらぺらのシーツにごわごわの掛け布団を使い込んでいた。こんなに寝心地がいいということは、よそにいるということだ。
上半身を起こした。
右肩がひどく痛んだ。アシュアールはその痛みで母に噛まれた傷を思い出した。母が目の前でレザト王子の魔術にやられて竜になったのだ。忘れてはいけない。自分が皇女ベアトリスを信用しなかったばかりに村人がみんな竜になってしまった。
あのあと皇女ベアトリスと竜騎士三人衆がアシュアールにと用意してくれた宿屋の部屋で布団に寝た。それから記憶がない。
窓の外には真っ赤な太陽が見えた。残酷な太陽が沈みゆく。空が紫へ、そして紺へ染まる。夜が来る。先ほど夜明けの鐘だと思った鐘は本当は夕方の鐘だったらしい。
あの四人と別れた時は朝の鐘が鳴ったところだった。半日くらい寝てしまったことになる。徹夜だったので眠り込んでしまったのだろう。何もせずに一日が終わってしまった。
「起きたか」
声をかけられたので、そちらのほうを向いた。見るとそこにヤズダの民と同じ赤い髪に金の瞳をした兵士が座っていた。ヴィオリア帝国の歩兵の恰好をしているが同胞だ。竜騎士三人衆のことを思うとこの兵士も信用すべきか。
帝国の人間が悪で王国の人間が善だと思い込んでいた自分を恥じる。王国は民を竜に変えて使役していたのだ。急に帝国が邪悪な魔術師から我々を解放する正義の味方に思えてきた。
「竜騎士に報告してくる」
そう言って彼は立ち上がった。アシュアールは思い切って「あの」と声をかけた。
「僕が起きるまで見張ってたんですか?」
兵士はこう答えた。
「見張るように、は正しくない。見守るように、と皇女殿下はおおせになった」
泣けてきてしまった。あの美しい女性を信じるべきだったのだ。
「交代で番をしていたが、お前の目が覚めたら竜騎士に声をかけるようにと言われている。鱗のない我々ではどうしたらいいのかわからんからな」
兵士はそう言い残して部屋を出ていった。アシュアールは溜息をついた。ずっと漠然とヤズダの民はみんな仲間なのだと思っていたが、こういう言い方をされるとヤズダの民の中にも断絶があって鱗のある自分らと鱗のない彼らという線引きで分けられてしまうのかもしれないと不安になる。母がアシュアールに鱗があることを教えなかった理由を考える。母に答えを教えてもらう日は来ない。
ややして戸をノックする音が聞こえてきた。顔を上げて「はい」と答えると戸が開いた。
入ってきたのはエスファンドだった。騎士の制服ではなく私服らしい、簡素だが生地がしっかりしていそうなシャツとズボンを身に着けている。シャツの襟元はしっかり首まで覆っている。長い髪も緩く束ねて左胸の前に垂らしていた。直感で、鱗を隠しているのだ、と悟った。
「やっと起きたか。このまま目が覚めなかったらどうしようかと思っていた。ラジーズとハーヴィーも気にかけていたぞ」
「すみません」
「体調はどうだ。熱などないか」
エスファンドが手を伸ばしてアシュアールの額に触れた。竜騎士三人衆は三人とも距離感が近く平気で体に触ってくる。あまり気持ちいいことではないのだが、アシュアールは抵抗してもいいことがないことを知っている。
彼の大きな手は温かかった。しかも武器を握る手なので硬い。昔母にも同じようにされたことがあるが、母の手はもっと柔らかくて冷たかった。
「大丈夫そうだな」
頭をぽんぽんを叩かれた。
「さて、どうするか。皇女殿下は事態が落ち着くまでここで寝かせておけとおっしゃっていたが、お前自身はどうしたい?」
そして、「ちなみに」と言う。
「お前が何を選択しても俺は行く。あの二人に手柄を独占されたらかなわん。俺もレザトを追うぞ」
アシュアールはエスファンドを見上げた。
「ラジーズさんとハーヴィーさんはでかけたんですか?」
「ああ。昨日の夕方に出ていった。皇女殿下もだ」
「昨日の夕方?」
三人が自分たちの竜をアシュアールに見せてくれた時間帯ではないのか。
アシュアールがきょとんとしていると、エスファンドは察してくれたらしい。長い睫毛を震わせてから、「ああ」と苦笑した。
「お前は一日半眠っていたからな。さっき鳴った鐘はお前がここで眠り始めてから七回目の鐘だ」
衝撃のあまり言葉を失った。しばらくの間、黙ってエスファンドと見つめ合ってしまった。
「あいつらはとっくに南西の旧王国の都市についていると思うぞ。俺一人だけがこんなに足止めを食ってしまった」
「え、僕、そんなに!? えっ、え、ごめんなさい」
「仕方がない。疲れていたのだろう。皇女殿下暗殺未遂からというものいろいろあったからな。問題はお前のおもりのために俺が置いてけぼりになったことだ」
不愉快そうな態度だ。アシュアールもむっとしてしまった。他二人のことを思う。おおらかなラジーズと気さくなハーヴィーならこんなことは言わないのではないか。どうしてつんけんしたエスファンドが残ったのか。
「エスファンドさんはどうして行かなかったんですか?」
「皇女殿下に残れと言われた。鱗のある人間がそばにいたほうが安心だろうと」
「エスファンドさんご指名だったんですか? ラジーズさんやハーヴィーさんではなく」
「いや、ラジーズとハーヴィーに頼まれた。嫌だったのだが断り切れなかった。あいつらにはあいつらの考えがあるのもわかっていたから、そこまで抵抗できなかった」
大袈裟に溜息をついてみせる。
「あいつらなりの思いやりのつもりなのだろう。ナメられたものだ。くだらん」
「どうしてまたエスファンドさんを」
「俺では不服か」
はいそうです、とは言えなくて黙った。
エスファンドがアシュアールのすぐそばに腰を下ろす。
また少し、沈黙する。ちょっと間をおいてから、エスファンドが口を開く。
「俺の母親も俺の目の前で竜になった」
アシュアールは目を丸く見開いた。
「俺は貴族の出でな。母は貴族の婦人会の戦争反対派を束ねて王に帝国へ降伏するよう直談判した。思想犯として逮捕され、牢屋にぶち込まれた。首都が帝国に攻撃された時、どさくさに紛れて救出できないかと思ったが、王族は思想犯をみんな竜に変えて、竜にまたがって帝国軍と交戦した」
エスファンドは淡々と語っている。
「竜の顔の区別がつかなかったから、どの竜が俺の母親だったのかはついぞわからないままだったが。思想犯として捕まった婦人会の竜がどこで戦死したのかはだいたい把握している。全滅だ。名もない一戦士と心中させられた」
また、間が開く。
「あのあとしばらく俺はおかしかったからな。あの二人も家族が竜になっているが、熱心に俺のことをフォローしてくれた。それをまだおぼえているのだろう。余計なお世話だ、十三年前だぞ」
「それは、つらかったですね」
「お前もな」
そう言われて、アシュアールはちょっと笑ってしまった。
「お前は俺たちにどうして皇帝の配下になったのかと聞いたな」
エスファンドの言葉に迷いやためらいはなかった。
「復讐のためだ。俺たちは家族を竜にした国王一族を許さない。生き残りをひとり残さず捕まえて殺してやる。王国を完全に滅亡させる。完膚なきまでに、絶対に復興できないように残党を一掃してやる。そしてもう二度と同胞を竜にさせない。そのために、皇帝一族を利用している」
その言葉に納得して、アシュアールは頷いた。
「よくわかりました」
「そうか」
「共感します」
ぐっと、拳を握り締めた。
「僕も復讐したいです。母さんを竜にしたレザトを絶対に許さない。竜騎士になったらレザトをぶっ殺せますか。僕は鱗があるからやろうと思えばできるんですよね」
「ああ。俺が――俺たちが保証する」
「じゃあ連れていってください」
はっきりと、決意を口にする。
「僕も連れていってください。僕、竜に乗れるようになります。戦います。戦うと、誓います」
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