第7話 服と、寝床と、温かいご飯を

 アシュアールはラジーズとエスファンドに連れられて宿屋に戻ってきた。この宿屋で皇女に帝都へ連れていくと言われた時からまだ丸一日は経っていないはずだが、もう十年以上昔のことに思えた。


 道中は誰もいなかった。帝国軍の兵士たちがヤズダの民の不穏な動きを察知してヴィオリア人の村民たちを避難させたらしかった。


 母だった竜は馬小屋につながれた。母親を馬と並べるとは、と思うと苦痛だったが、人間である自分を襲った危険な生き物でもある。ラジーズとエスファンドの竜も同じところで休んでいる。それにアシュアールは物事を深く考えられないほど疲弊していた。母も自分の身柄も竜騎士たちにゆだねるしかなかった。


「そもそもこの視察自体王国の残党がいるって情報をつかんだから予定されたもんだったしな」


 ラジーズがアシュアールを抱えながら言う。肩の傷を手当てするために消毒液の染み込んだ綿をあてられ、あまりの痛みに絶叫しもだえ苦しんだところ、前から抱きかかえられ、ラジーズの胸と腕で押さえつけられたのだ。

 ちなみに手当てをしてくれているのはエスファンドで、彼は彼なりに職務をまっとうしつつ慈愛をもって作業してくれているのだと思うが、信じられない苦痛を感じたアシュアールは彼をにらまずにいられなかった。

 エスファンドが包帯を巻いてくれた。やっと胸を撫で下ろして、手で額の脂汗を拭った。下手すれば母に噛まれた時より痛かったかもしれない。


「皇女殿下を派遣することで、どんな辺境の小さな村でも皇帝陛下の目は光っているんだぞ、的な。お前と出会えたのは偶然だったけど――鱗のある人間ってそうそういないし。確か五百人に一人ぐらいだっけ?」


 血で汚れた綿布を片づけつつ、エスファンドが「ああ、それくらいだな」と頷く。


「じゃあラジーズさんたちはここにレザトが現れることを知ってたんですね」

「いや、まさかこんな形で出くわすとは思ってなかった。お互い想定外の事態だったと思う。びっくらこいた。うちのハヴィたん元気かな、殺されてないかな」

「元気だろう、奴も貴様も殺したぐらいでは死なん」


 戸を叩く音がした。ラジーズが「はーい」と答えた。アシュアールは慌ててラジーズから離れて上半身を起こした。

 部屋に入ってきたのは皇女ベアトリスであった。昨日と同じ状況だ。銀髪の騎士を数人連れて現れた。


「具合はいかがですか」


 アシュアールは素直に返事ができなかった。彼女に振り回されているような気がして反発心が沸き起こったのもあるし、疲れきっていて声を発するのも億劫なのもあるし、何と答えたらいいのか、疲れていますとか痛いですとか弱音を吐いてもいいのかと葛藤したのもあった。


「殿下、こちらをご覧いただきたい」


 エスファンドがそう言ってアシュアールの背中を皇女に見せようとした。皇女がアシュアールの後ろに回り込む。肩と背中の上部に包帯を巻いただけの裸の背中を、皇女がじっくりと眺める。


「これはまた、なかなかですね」


 先ほど鏡を二枚使って見せてもらった。確かにアシュアールの背中には鱗が生えていた。それも、背中全体の七割ぐらいが赤い鱗に覆われている。どうして気づかなかったのかと言われたが、生まれつきのものであり、自分で見る機会もなく、何の疑問も持っていなかった。強いて言えば母はなぜ指摘しなかったのかが疑問だ。これは永遠に謎のままになりそうだ。


「ラジーズ、エスファンド。あなたたちの鱗も見せてあげましたか」


 皇女に言われてから気づいたらしい二人が、「あっ」と声を漏らした。


 ラジーズが前髪を持ち上げる。額の右側、親指より一回りほど長く大きいくらいの範囲に細かな鱗が生えている。

 エスファンドが服の前を開く。詰襟の制服を着ているのでわからなかったが、開いて見ると首の左半分から鎖骨の上あたりまでに鱗がびっしり生えていた。

 彼らの言うことが全部本当なら、三人の中で一番広範囲に鱗が生えているのはエスファンドだ。しかしこうして見てみると確かにエスファンドよりアシュアールのほうが鱗が多い。


 こんなに鱗が生えているとは、自分は化け物なのではないか。

 レザトの、半竜半人、という言葉が頭に浮かんだ。

 すぐに振り払った。

 自分が化け物なら目の前にいるラジーズやエスファンドも化け物ということになってしまうし、人間の形をしていて会話が通じる二人よりまるっきり全身が鱗に置き換わって人語を解さなくなった自分の母親のほうがよっぽど、と思って考えるのをやめた。


「鱗を持つ者は王国では戦士とも竜使いとも呼ばれ丁重に扱われていたそうです。竜を統べる者として竜に騎乗する訓練を受けていたと聞きます。ラジーズ、ハーヴィー、エスファンドの三人もそうでした」


 一般の騎士が椅子を持ってきて皇女の後ろに置く。皇女が当然のような顔をして腰を下ろす。


「わたくしの父である皇帝陛下はそういう者たちを集めることにしています。ヤズダ人たちに同胞として認められ信頼を勝ち得ながらもヤズダの竜たちと戦える。竜という脅威に立ち向かえる。わたくしたちは、そういうあなたたちのような存在に竜騎士という階位を授けています」


 頭がくらくらした。


「母は、僕は騙されていて、帝都に連れていかれたら本当は殺されてしまうんだ、と思い込んでいたみたいでした。だから、レザトに助けてほしかったんじゃないかと。憶測ですけど。母はレザトを信用しているみたいで、レザトなら僕を救ってくれると思ってたみたいです」

「愚かな。百歩譲ってヴィオリア人であるわたくしは信用できずともヤズダ人であるラジーズやハーヴィーやエスファンドは信用できませんでしたか」


 アシュアールはうつむいた。帝国の人間はみんな敵だと思っていたからです、とは言えそうになかった。


「いいえ、失礼致しました。説明不足だったのでしょう。最初からあなたに鱗があるという噂を聞きつけていたと申していれば状況は違ったかもしれませんね」


 皇女が息を吐く。あまりにも堂々としているのでわかりにくかったが、溜息だったのかもしれない。


「もう起こってしまったことは覆せません。次の作戦に移りましょう。わたくしどもの最終目標はヤズディスタンの魔術師一族の生き残りを掃討してこれ以上竜にさせられる人間を出さないようにすることです。それだけを考えて前進するのみです」


 タイミングよく、ふたたび戸を叩く音が聞こえてきた。ベアトリスが「どなたですか」と問いかけると、戸の向こうから、間延びした、能天気な声が聞こえてきた。


「ぼーくでーす。ハーヴィーですぅ」


 アシュアールは心臓が跳ね上がるのを感じたが、ラジーズが「わーい生きてたー」と喜び、エスファンドも安心したのか大きく息を吐いたので、何も言わなかった。


「お入りなさい」

「失礼しまーす」


 入ってきたハーヴィーを見てぎょっとした。

 彼は全身血みどろだった。

 本人はぴんぴんしているのでほとんど返り血なのだろうが、見ていて気持ちのいいものではない。鉄錆の臭いに吐き気がする。

 ハーヴィーは左手に何かを持っていた。赤い毬のように見えた。彼は人懐こい犬のような笑顔で「お土産でーす」と言ってそれを差し出した。生首だった。アシュアールは顔を背けた。ラジーズやエスファンドどころかベアトリスまで平然としているのが恐ろしい。


「レザトではないようですね」

「すみません、レザトは取り逃がしました。これはただの取り巻きです」


 ラジーズが「残念」と言う。エスファンドも「遺憾の意」と言う。ハーヴィーは「ごめーん」と眉尻を垂れた。


「でも三人いた取り巻きは全員仕留めたのでレザトは孤立しているはずです。味方は竜だけ。話し相手がいなくなってさぞかし寂しがっていることでしょう」

「よくやりました。褒美を取らせましょう」

「いやーいいですよ、好きでやってますし」


 生首を床に置く。そして真っ赤に染まった手袋をはずす。彼の左の手の甲に赤い鱗が生えているのが見えた。ラジーズが「あちゃー、床汚れるだろそれ」と自分の額を押さえた。


「僕はいいんでアシュアールに服を用意してやってください。それから静かな寝床と温かいご飯を」

「ハーヴィーさん……」


 目が合う。ハーヴィーがにこりと笑う。安心する。三者三様だが、なんだかんだ言って三人とも善良な人間のように思う。


「とにかくレザトが十頭前後の竜を連れて南西に向かったのは確認しました。そっちの方面を当たりましょう。あんなに竜を連れていたらうろうろできませんからね、隠れられる場所は限られるはずです」

「承知致しました。そちら方面の町や村にも触れを出しましょう。わたくしたちも移動します」

「御意」


 そして、皇女ベアトリスがアシュアールを見る。紫の瞳は冷たかったが、述べる言葉は冷たくなかった。


「休みを取らせましょう。わたくしたちが作戦を立て直している間、あなたは眠り、目が覚めたら食事を食べなさい」


 アシュアールは全身から力が抜けていくのを感じた。



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