第五節

『んな訳ないだろう、相互理解ってのはこう、お互い、自分から相手のことを知ろうとして――んっ!?』


「そういうことだ。プライドを捨てるとまでは言わない、ただちょっとだけ下げて、自ら相手の観点に接触し、理解しようとする……自分から取った行動であれば、心の準備は当然出来てるし、覚悟もある、そして否定された気持ちも当然薄くなる。となればだ、強く強調されるのは、新しい物に触れた時の高揚感、そして、自分とは違った観点を受け入れ、理解し、本来の自分のソレと合わせて昇華させることが出来た時の成功感と満足感……まさに、今の貴様らみたいな状態だ」


『おおぉ! いいなぁ~! 相互理解!』

『言われてみれば確か、ワクワクしてきたね! また一つ賢くなったって感じ!』


「貴様らも、今この瞬間の気持ちを覚えておけ、大事にしろ。相互理解のハードルは高い、一歩間違えたら自分自身への否定に繋がる……だがそれでもだ、そうするだけの価値はある、そこから生み出される物はエネルギーだけではないと知れ! そして、もしその時が来たら、理解する機会を掴め! 逃がすな! ……この世には、分かり合えたくても出来ないケースもあるからな」


「……」


最後の部分、そう口にした時のディフェルドの顔に、一瞬だけ、悲しそうな表情を見せた。学生達がみんな、まだ高揚感に浸ってる中、一人だけ――レイチェルだけが、その表情を捉えた。


「よし! それでは今日の講義はここまで! 解散だ貴様ら! ……ふむ、レイチェル――」


「今日と明日はダメです、用事がありますから」


「ううむ……そうか、なら仕方ない」


「教授、一人で片付けみたらど――」


「明後日までは、我慢するとしよう」


「……はぁ……あまり、散らかせないでくださいね?」


「うむ、努力しよう。それよりだ、レイチェル、一ついいか?」


「何でしょうか?」


そっと、女性をエスコートする時のように、レイチェルに向けて手を軽く伸ばすディフェルド。


「どうだ? 私のパートナーに、なる気はないか?」


『なにっ!?』

『うそ!? えっ何この展開!? いきなりプロポーズ!?』

『ちょっ待っ、おいてめぇ――』

『はいはいはいはい男子は黙っててあっち行ってね~』


「どういう意味でしょうか?」


「言葉通りの意味だ。君は美しい、その上聡明で有能だ。君となら、どちらか片方だけではなく、互いを高め合えると私は思っている。君ほどパートナーに相応しい女性はそういない……もちろん、君の意思には尊重するつもりだ。断られても君への扱いは何ら変わらないと誓おう、そんな惨めな男になる気はないからな」


「……では……お断りさせていただきます、教授。高く評価してくださって嬉しいのですが、私は教授の思っていたような素敵な女性ではありませんよ。それに……今の私は、教授の隣に立つのに、些か分不相応かと」


「そうか……ふむ、わかった、ではこの話はなかったことにしよう」


「ごめんなさい」


「ふっ、気にするな。私も今ので学習した、やはり君ほどの女性には、もっと盛大かつ正式にプロポーズしすべきだ、もっと上手くすると約束しよう」


『……は?』

『やっぱこいつ殺そうぜ』

『いいからあなた達は黙ってて』


「はぁ……やり直しするのはいいのですが、盛大に、というのは勘弁してください。もし本当にそうしたら、もう二度と手伝ってあげませんよ?」


「ぬ!? それは困るな……ううむ、わかった、では程々にするとしよう。うむ! 次を期待するといい!」


このように、学生達の前で断られてもまったく気にしないほど、鋼の精神の持ち主であった。去って行くディフェルドを目にしながら、レイチェルの親友はちょっとしたお節介を焼いてきた。


『ついにあの名高いディフェルド教授まで告ってきたのか~レイチェル、どんどん遠くに行っちゃうな~』


「やめてよね、本当困ってるのだから」


『平均3日に1回ぐらいは告られるような罪作りが何を言う~というか、教授の再チャレンジに全然驚いてないみたいだけど、想定済みなの?』


「想定済みというより、教授らしいと思わない? むしろあれで諦めてくれたら怖いよ?」


『あぁ~言われてみれば。でもいいの? 何回告られるかわからないよ?』


「そうね……その時はその時で、なんとか受け流しするよ」


『ふ~む、まんざらでもないじゃん』


「そう見える?」


ニコニコと、言葉を濁すレイチェル。確かに親友の言う通り、そうまんざらでもないかもしれない。別に、曖昧な対応を取って相手を期待させて、たくさんな男性にチヤホヤされたい訳じゃない、むしろ今まで通り、はっきりと断ってきた。


人当たりのいい優しい後輩、将来を真面目に考えてる理想ある先輩、礼儀正しく有能な社長息子、権力も地位もある上流社会の者――全部、断った。自分自身でもわからない、一体どのような男性だったらいいのか。ただ、一つだけ確定なことはあった。理由こそまだはっきりしないものの、彼女は彼のことを、ほっとけない。


あれは、彼に目付けられ、個室の整理整頓を含め雑務の依頼をされてからとある日――いつものように早い時間で大学に着き、あのちょっと困った人の個室に行った彼女の目の前に、尋常じゃない光景が広がった。


「教授……?」


机にうつ伏せて、まったく反応のないディフェルド。日頃の行いからついに暗殺されたのかと、一瞬軽く思ったものの、彼に限って本当にされそうである。少し心配になって、駆け付けて安否を確認、すると――クスっと、自分を笑うかのように。いつからだろうか、自分がこんな心配性になったのは。


「心臓に悪いから、あまりイメージにない行動をしないでくださいね? それと、風邪引きますよ?」


スヤスヤと、寝ている。いつも上目線で、尊大な彼がまさか机にうつ伏せて寝ているなんて、誰か想像出来るだろうか。徹夜して疲れたせいか、ぐっすりと、起きる素振りもない。仕方なく布団代わりのコートを彼に被り、机の整理を始まる。寝てる彼の周りに散らかっている本や資料を綺麗に並べ直すところ、手を――掴まれた。


「っ!?」


「……っさん……母さん……」


「はい?」


夢でも見てるなのだろうか、無意識的にレイチェルの手を掴み、それを、自分の母の手だと思い込んで。


「母さん……この式……解けたぞ……ふふ……」


「……お母さん扱い、ですか……さすがに、怒りますよ? 私、教授より何個下だと思います?」


寝言とは言え、自分より10個以上離れた人に『母さん』って呼ばれて動揺しない女性はそういないだろう。それでも、レイチェルは本気で怒ってはいない、なぜなら――彼女は、知っているのだから。

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