3-2話 和風おだしラーメン~今宵満月で進化する~

ことことこと…

都内、猫徳寺。マンションの一室。

夜の台所。

一匹の猫が出汁を煮出している。

出汁を取るのは手間がかかる。

とはいえ料理は大体手間がかかる。

冷蔵庫にはすでに煮出してポットに入れた、こんぶだし、かつおだし、煮干し出汁などが冷えている。

まるでスープバーのようだ。

あとでミーもいただくんだにゃ。

ミーの故郷を出汁のにおいですっぽり包んだ、特製おだしラーメンにゃ。



「こんばんは!いちごさん!」

トーファを連れてきた一週間後、食悪魔ソバユは来訪した。

「いちごさん!一週間ぶりです!」

「こないだは失礼しました。トーファが変なことを言って。」

「いや別にいいけどにゃ。」

いちごはソファに座って、ぱちんと爪を切っていた。

「それにしても!いやあ最近暑かったり寒かったりで、自律神経くにゃくにゃだし、脳みそがカクテルシェイクされた感じしません?」

「どういうことにゃ。」

「片頭痛です。」

「家帰って休んでにゃ。」

「薬飲んだから大丈夫です!ぐへへ♪それより前回の報酬の鍋はもう来ましたか?」

「おととい来たにゃ。あれすごいにゃ。IHでキャンプファイヤーみたいな火力が出せるから。とんでもないにゃ。まだ慣れてなくて、炒飯焦がしちゃったにゃ。」

「さすがいちごさん研究熱心!いちごさんならすぐに使いこなせますよ!」

自社が提携している商品だからか、ソバユは得意げだ。

「食魔界のアイテムはすごいでしょ!!料理禁止されてるってのにねー!まるで恋愛禁止みたいに料理禁止ってなんなん!!アイドルかよっつーの!」

鍋…食魔界…料理禁止…恋愛禁止…ソバユの謎トークでいちごは考えがまとまらない。

「いちごさん…またお友達連れてきていいすか。次連れて行こうと思ってるのは、私の学生時代の先生なんです。でもなんか今芸能人やってて、撮影中に、精のつくものが食べたいわあとつい呟いて、NGになったそうです。」

「異色の経歴だにゃ。で、精のつくものが食べたいと。」

「あと今回は私も食べますからね!!と言うかこれから全部行きます!!!もう目の前でおあずけ食らうのは耐えられないです!ちゃんと2週間空けてね!!次はまた来週の月曜日でいいですか!?あっでも無理して大変な料理を作らなくてもいいですからね!」

「ああわかったよ。2人前作って待ってるにゃ。」

…………

…………

こうしてやって来た月曜日。

時刻は19:32。

ちりんちりん…。

あれなにか音がするにゃ。

でも防犯カメラには誰もいない。

「モーごめんください。いちごさんのお宅はここでよろしいでしょうか?」

姿は見えないが声が聞こえてきた。

「わっなんだにゃ。」

いちごが戸を開けると、マンションの手すりの上、空中に大きな牛が浮かんでいた。

「こんばんは。いちごさんですか。」

「はい。そうですにゃ。あなたはどなたですかにゃ。」

「私は魔牛車まぎっしゃ。食悪魔お二人様をお連れしました。」

「ええ…?魔牛車ってなんだにゃ…?」

「魔牛車とは、食魔界のみやびなタクシーですとモー。電車みたく1/Fゆらぎで走行しますから、モー快適。お連れしたお二人とも、すっかり夢の中みたいですね。ほら起きてください!モー着きましたよ!いちごさんのお宅ですよ!」

魔牛車はロデオマシンのように、大きく揺れ出した。

「あらなああ!!空襲?!」

「ぎゃああ!いちごさん!料理に電気を使うんですかああ!?」

牛の背中の荷台から二人分の悲鳴が聞こえる。

「寝ぼけてないで早く勘定して、降りてください。」

「はっ!着いたのね!ごくろうさま。これ代金。」

「毎度ありがとうございます。またのご利用をお待ちしてますモー。」

代金を受け取ると、魔牛車はそそくさと夜空に駆けていった。

「こ…こんばんは…いちごさん。」

ソバユは髪くしゃくしゃ、よろめきながら地上に降りてきた。

「あの…えっと…紹介します。私の学生時代の先生、キャンディーヌ先生です。タクシーおごってくれました。」

すると、派手な服を身に包んだ、もう一人の食悪魔がふわりと降りてきた。

「うふふ。こんばんわあ。あたしキャンディーヌ。昔先生だったけど、今芸能人で俳優とかやってるの。最近だと、第3ロワ国営放送のドラマ『月がきれいね、フルーツサンド。』のバーニャニャーニャニャクで出演したり……」

「バニャニャ?」といちご。

「いやだ、バーニャカウダ役よお、いまだに噛まずに言えなくってねぇ」。

「先生。そろそろ入れてもらいましょう。」

「あらそうね。いちごさん。今夜の晩餐、よろしくお願いしますわぁ。」

「うち、レストランじゃないんだけどにゃ。一応。」



石鹸で手を洗い、二人の食悪魔は食卓についた。

「ね。先生。どうして芸能人になったんですか?」とソバユ。

「なんでだかねえ。先生の仕事ははとっくに引退したのよ。その後、たまたまテレビでインタビューされたらねぇ、どういうわけか、それ以来出演依頼来ちゃってねえ。クイズに出たり、俳優をやったり、今ではすっかり芸能人さね。人生どうなるかわからんもんだわあ。」

「異色の経歴です!やっぱり先生面白いからですよ!歌うまいし。内気だった私も先生のお陰で、今ではすっかりお調子者キャラになりましたし!」

「そういや最初は一人で静かに雲梯頑張ってたなあ、ソバユは。歌の時間で、すっかり明るくなったわね。」

二人は思い出話に花を咲かせる。

「でも最近ちょっと忙しゅうてねえ。そこで何か精の付くものでも食べたいんだよ。」

「私もですよ先生!この間いきなり会議の議題が増えて、突発で調査することになっちゃったんですよ!」

「大変やなあ。ソバユ。それにしてもさっきからええにおいがするなあ。」

そこにいちごがやってきて、料理を運んできた。

「へい。ラーメン2丁持って来たにゃ。」

「ラーメン!このにほひはラーメンだったんですね!」

ゆげに包まれた食卓。

淡く透き通った琥珀色のスープ。

具は麩と、キャベツ、にぼしとシンプルなものだ。

にぼしからわずかに出た油分が、波紋のように広がっている。

具がシンプルな分、スープの透明度が際立ち、麺が滑らかに輝いていた。

また、味噌のような小さい球が乗った小皿が付いていた。

「あらなぁ~。」

キャンディーヌは感嘆の声を上げる。

「がっさええ出汁のにおいがするわぁ。高級料亭みたいに気品のあるにおいだなぁ。」

「マッ…マジでいいにほひがします!くらくらします!いちごさんありがとうございます!久しぶりのいちごさんの料理…てえてえ…ぇ…」とソバユは喜びで振り子のように体を揺らし、顔を紅潮させている。意識がすぅっと出たり入ったりしているようだ。



「いただきます」二人の悪魔は手を合わせた。

キャンディーヌはお椀を持ち上げ、額に近づけ、小さくいただきますと言って、また置いた。

「…何してるんですか?先生。」

「あたし昔は食の作法も教えててねえ、これは食への感謝を表す所作なのよ。次は、お椀を口まで近づけて、音を立てずに食べるんだけど、ラーメンだから重いし、熱いし、無理やなぁ。麺だから音も出るししょうがないなぁ。」

「えっそうなんですか先生。知りませんでした。」

「世代やなあ。あのころ教える余裕がなかったんよ。」

作法は諦めて、二人は普通に音を立て、ラーメンをすすり始めた。

ずず…ず…ずず……

………………………

ああ~………………

…………

おいし…………

これやばい…

おいしい…わあ……

「…やっぱ食べると、口の中でより鮮明に、深~い出汁のうまみが広がるわぁ。塩味もちょうどよくて飲みやすいし。上手なお出汁やわあ。」

「なんでしょう…確かにすごい高級感があるスープです……醤油とか、味噌とか強い味のものが使われてない。はああ…でも飾り気のない素朴なうまみが、私の雑念を消して、心を穏やかにします……麺もちゅるちゅるで心地いいです。」とソバユ。

「この出汁の配分が絶妙やと思うわぁ。それに間違いなくたくさんの出汁が使われてる。」

「そういえば最初のオムライスにも、出汁が使われていましたね!いちごさんは出汁マスターなんですか?」

いちごは、二人の悪魔のべた褒めに、照れくさくなった。

「お…お粗末様にゃあ。この出汁は故郷の料理教室で教わったやり方にゃ。このスープは、なるべく素材そのもののうまみを味わうため、色も味も今はあっさりにしてるにゃ。出汁は、鰹節・昆布・ホタテ貝柱・椎茸、タマネギ、ニンジン、セロリとかにゃ。そのままでは食べられないキャベツの芯なんかも出汁に利用するにゃ。具は出汁の味を最大限生かすため、シンプルにしてる…というか具も出汁にゃ。」

「いちご鉄人シェフのルーツ!やっぱりあったんですね!いつか行ってみたいです!」

「丹精込めて作ったスープだから、高級料亭を想起したのは当然やったね。ほんとええ味やわあ。」

「ミーは出汁が好きで、よく料理に使うにゃ。出汁は最強だからにゃ。」

「いちごさんの金言来た!」

「なあなあ。さっきから気になってるのだけど、この小皿の丸いのは何かなあ。そのまま食べるの?」

「待って。それは故郷では『味満月』って呼んでいるやつで、まずはあっさりしたスープを2口3口味わったら、それをスープに溶かすにゃ。」

「ふーん?そういうものなんですか…」

二人の食悪魔は味満月を箸で掴み、スープに溶かしていった。

するとスープがみるみる濃い色に変わっていき、さらに香ばしい匂いが立ち込めた。

二人の食悪魔は、食欲が急加速していくのを、心臓で感じていた。

何が起きた?

オーラが全然違う。

真っ先にキャンディーヌが麺をすする。

ずず…ずず…ず…

!!!

「これ…にんにくやわあ…!しっかり効いたにんにくと追加の出汁…めっちゃ美味い…!!パワフルでクリーミーなニンニクがずっしーんと響いてくる!さっきとは全然違う濃厚スープにギアチェンジしてる!」

ソバユも続いてすする。

「はああ…おいしい!!これはガッツリ系のにんにくラーメンです!!さっきはあっさりで落ち着くスープだったのに、ド派手にパワーアップしてますよ!まさかこれがこの前トーファが言ってた緩急ってやつ!? もぐもぐ…あっ!麩がめっちゃスープを吸って、ヤバうまです!」

「最初のお出汁もすごくおいしかったわあ。でもそれを下地に、にんにくラーメンとして進化してるわあ!出汁の一つ一つがにんにくの旨味を引き立ててる!そしてにんにくで力が湧いて来たわあ!」

ラーメンはスープも残さず、全て平らげられた。

ソバユとキャンディーヌは余韻に浸っていた。

さっきまでのラーメンの記憶を何度も味わい、

それをまた何度も繰り返したのだった。

二人の体はにんにくのパワーで満たされ、心のエンジンまでも、ぐんぐんと動かしていた。

それはカタルシスと言える現象だった。 

普段降り積もり、ふさぎ込んだ感情が、涙という形で流れ出てきていたのだ。

「おいしかった…わあ……」

「おいしかったです……」

二人のほほに、すうっと涙が流れる。

重厚な余韻を残し、二人の食悪魔の心は洗い流されたのだった。



「本当にそれでええんかなあ?食事契約の報酬は。いちごさん。」

今回の契約は2人前。つまり報酬は2つとなる。

いちごが今回望んだものは。

「食魔界産の食材セットと料理本って…いちごさん!うちのカタログ商品とはいえ、今の食魔界の食材はとても勧められたものじゃないですよ!」

「食魔界の食材に興味あるからにゃ。この間、ソバユは食魔界の食べ物を食べてたろ?ついでにおいしく料理できるかもしれないにゃ。」

「そっそんな…いちごさん…!私のためにそば湯を作ってくれるってことですか…///」

「どういうことにゃ。家の家計も助かるし。」

「後出しのツンデレですか!?」

たまらずソバユは自分のおでこにすぱーんと張り手をした。

困惑するいちごをよそにキャンディーヌが言った。

「食魔界の食材はねえ。別にまずいわけじゃないのよ。ただね料理を禁止されてるから、おいしいイメージが湧かないの。最低限食べられる状態に調理するか、そのまま食べるばかりだから質素過ぎてねえ。そこにいちごさんがおいしく料理したものを、ソバユたちに食べさせてあげたら、きっともっと優しい気持ちにあふれると思うわあ。でもいちごさんにしてもらってばっかみたいでなんだか悪いわねえ。」

「料理が好きだからべつに。今度また欲しいもの考えとくにゃ。」

「今夜はありがとうなあ。いちごさん。それじゃあお体気を付けて。」

「いちごさん!それじゃあまた今度!」

二人の食悪魔はまた魔牛車を呼んで帰っていった。

(長生きしてよかったわあ、でも……なんか昔食べたことあるような気がするわあ…。なんでやろ?)

(いちごさんの料理。すごくおいしい。おいしいんだけどそれだけじゃなくて。なぜか心にしみるの。ふしぎ!)

ことん…ことん・・・

魔牛車の心地よい揺れに二人はまた眠りに落ちて行った。

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