オカルティック・エステート
せち
第1話 トラブルはいつだって深夜に起きる
いつも通りの憂鬱な月曜日。仕事は嫌いじゃないけど、労働なんていつだって面倒だ。やる気のスイッチは完全に消灯中、それでも体は怠惰に事務所の扉を開ける。
「おはざーっす」
「はいおはよー」
「おはようございまーす」
思い思いの挨拶が戻ってきて、出社したことを噛みしめる。さて今日も一日頑張るかぁ。
「あ、
「私?はーい、どうしました店長」
自分のデスクに鞄を置いて、正面に座る店長の席まで移動。あ、パソコンまだ出してないからタイムカード切れてない、まあ後からなんとかすればいっか。
「この前とった契約あるだろ、あの、えーっと」
「佐藤様邸ですか?」
「それ四月の契約だっけ?」
「四月頭の、赤坂鉄工所で勤務してる人です」
「あー、それそれ。現地写真いつ上げるのかって連絡あったけど、いつできる?」
「あ、あー………あーっと」
「………忘れてたな」
「忘れてました、すんません」
ここは素直にぺこりと頭を下げよう。椅子に座ったままの店長がひらひらと手を振った。これ、そんなに気にするなって意味だ。
「まだ四月の契約だからいいけど。早めに上げてくれないと打ち合わせと造成に入れないからさ」
「はい、すぐやります。ごめんなさい」
スーツのポケットからケータイを出してスケジュールアプリを確認。うわ、今日は一日予定がみっちりだ。でもなぁ、契約から一か月も放っておいたなんて、お客様にも設計担当にも知られたくない。
「行けそうか?」
「………行けます」
「なんだ今の間」
「いやー、夜になりそうなんで………暗くて画像がよく見えないってクレーム来ますかね?」
「どうせちゃんと写真確認してる奴なんていないよ。地図さえ合ってれば文句言われないし、ちゃっとやって直帰でいいからね」
「ありがとうございます!」
この仕事のいい所は個人の裁量が大きいから人に迷惑さえかけなければある程度のことは許されるってことだ。自分の後始末は自分でしろってことでもあるけど。
「銭湯が閉まる前に仕事終われるかな」
「加賀美ん家、給湯器壊れとるん?」
「うわ、おはようございます」
「はい、おはよーさん。うわってなんやうわって」
「春日さん気配がないんですよ」
「こんなええ男捕まえて気配がないは嘘やろ」
デスクに戻ってようやくパソコンを開く。勤務開始時間を十分くらい過ぎてるけど、店長も春日さんもぼんやりとした顔でコーヒーの準備なんてしてるから、まだ働き始めた実感はない。この会社、ほとんどの人が朝に弱いのだ。
「んで、給湯器壊れとるんなら早めに手配した方がええで。今半導体が不足してんねや、納品まで時間かかる」
「私は家にお風呂がないからで………。あ、っていうか、それで春日さんの物件クレームになりましたよね?トイレの納品遅れで引き渡しが一か月後ろ倒しでしたっけ」
「せやねん………ほんまどうしよ………」
べちゃりと音を立てて机に墜落する春日さんの頭。供給がないのはどうすることもできないから、可哀想な春日さんにできることと言えば謝ることだけなのである。
「あかんほんま無理や、今日も電話あるし」
「お互いに今日は頑張りましょ?」
「………」
返事がない、ただの屍のようだ。まじか、春日さん死んじゃったか。惜しい人をなくした。
「私も人のこと言えないんですけどね~………」
午前も午後も予定があるから、佐藤様邸の確認はどうしても夜に回さないといけない。撮影用のデジカメ、在庫あったっけ。
「ん、これ」
「え?あぁ、え?ありがとう?」
ひょい、と肩あたりから差し出されたカメラを受け取る。なんて気が利く同期なんだ!顔は仏頂面だけど、話はちゃんと聞いててくれたらしい。
「がんばれ」
「や、優しいじゃん………?どうしたの、なんか」
基本的には一人で黙々と仕事をするタイプの同期が優しいと、何かあったのかとちょっと心配になってしまう。不明確な問いかけに少しだけ首を傾げた彼は、緩慢な仕草でコピー機を指差す。
「紙が詰まった」
「あ、そゆことね」
この会社に無償の優しさは存在しないらしい。同期には解決不可能な紙詰まりという難題を片付けるのが、今日の私の最初の任務だ。素晴らしい仕事始まりである。
「よーし、今日も一日頑張るぞ」
とか言いながら、まずはコップにコーヒーを入れよう。お砂糖と牛乳たっぷりのやつ。仕事を始めるのはそれからでも遅くない。
※
「うえ、めっちゃ暗くなっちゃった」
少し離れたところに車を路駐して歩くこと数分。目的地の佐藤様邸に到着する頃にはすっかり夜になっていた。等間隔で並んだ街路灯が道を照らすありきたりな住宅街、大通りから離れてしまったから静かなものである。私のパンプスがアスファルトを叩く音しか聞こえない。
「銭湯は諦めないとなぁ」
お風呂、入りたかったんだけど。今日はネカフェのシャワーで我慢するしかなさそう。あーあ、もっと早くこの仕事終わらせとけばよかった。
「今さら言っても遅いけど」
というわけで、佐藤様邸の現場に到着である。荒れ放題の庭と雨戸までしっかり絞められた窓。電気は一切ついてないから、紙詰まりと戦っている間に同期が準備してくれた現場用セットの中から懐中電灯を取り出してスイッチをつける。あれ?
「門が開いてる?」
一番最初に現場を見に来た時、玄関まで続く門扉には鎖がかけられて入れないようになっていたはずなんだけど。と、少しだけ考え込んだ瞬間。
「っ⁉」
「………え?」
————懐中電灯の光を見て眩しそうに目を細める人影が、荒れ果てた庭の中に立っていた。
「ちょっと!」
「やべ、」
「あ、こら待ちなさい!」
一瞬目があった気がしたけれど、私が動くよりも先に身を翻して逃げていく。身軽に庭を走り抜けて、塀と家の隙間から裏に回り込んでいったのがかろうじて見えた。嘘でしょ⁉
「不法侵入じゃん!」
咄嗟に門扉にもう一度目を落とす。あ、これチェーンカッターで切った跡じゃない⁉一瞬しか見えなかったけど、さっきの後ろ姿の人物はたぶんまだ高校生くらい、ってことは肝試しに来たってこと?
「いややばすぎるって!待って!」
慌てて庭に踏み込んで侵入者を追いかける。
「いたっ⁉」
雑草が足に刺さって痛いけど、そんなこと言ってる場合でもない。だってこれ、施工までの現場管理をちゃんとしてなかった私の責任になっちゃうじゃん!
「うわぁ、クソガキじゃん!」
既に残業の時間だったのにさらなる残業だ。今日はてっぺん超えるかも、と思った瞬間に社会人にふさわしくない悪口が飛び出してしまったけど、誰も聞いてないから許してほしい。社会人だって怒る時もある。例えば自分の物件に不法侵入をした子供を発見した時とか。
「………あ、ここ開いてる」
クソガキの後を追いかけて塀の隙間を通り抜けた先、勝手口の扉には鍵がかかっていなかった。三十年も昔の建物だから、ピッキングで開けたって可能性もあるけどそれを証明する手段はない。結局私の監督不行き届きが疑われてしまうのだ。
「あー、もうほんと最悪………家の中入るつもりなかったのに………」
「じゃあ入ってくんなよ!」
「うわ、」
勝手口の扉を開けた先、壁付けにされたキッチンの端から声をかけられて反射的に目を向ける。
「お、クソガキ発見」
「誰がクソガキだ誰が!」
いやお前以外誰がいるんだって話である。
「意外だね、ちゃんと待っててくれたんだ」
「うるさ、怪我したくなかったら私に関わらずに出てけよ」
「あ、君女の子なの?」
「そーだよ!悪いかよ!」
ぎゃん、と叫んだクソガキ、改め彼女の手には十徳ナイフのようなものが握られていてさらにげんなりする。子守は業務内容に入ってないんだけど。
「………えーと、なんで呼べばいい?」
「好きに呼べばいいだろ」
「おけ、じゃあクソガキ」
「ふざけてんのかお前!」
まぁ、物騒なものを握っているけど所詮年下の女の子である。身長が私より高い所が気になるけど、勝てない相手ではなさそうだからどうしたって気が緩む。
「そもそもお前誰なんだよ、何しに来たんだ!」
「不動産営業の加賀美さんだよ。今日は現場の下見」
「………不動産?」
「そ。あのね、クソガキがどんだけ抵抗しても意味ないよ。どのみちこの建物、もうすぐ取り壊されるし」
「………え?」
「だって廃墟だし。ここ壊して、新しい家建てるの」
十徳ナイフを握り締めた手が少しだけ下がる。ジーパンにパーカーというラフなスタイル、背中に背負ったリュックサック、なんだか肝試しというには違和感がある格好だ。っていうか、このクソガキ一人で来たんだろうか。だとしたら大した度胸だと思う。別に羨ましくはないけど。
「い、いや、それはありえないだろ」
「どうして?ありえるよ」
「ここがどこだか分かってんのか、お前」
「お前じゃなくて加賀美さんだし、クソガキよりはここのことを知ってるつもりだよ」
「じゃあ取り壊すなんて話にならねーだろ!」
感情の起伏が激しいクソガキだ。キレる十代なんて言葉もあるけど、これはまさしくそのタイプみたい。事務所のみんなへのいい土産話になるかもしれないなぁ。
「………とにかくさ、」
「だってお前、この家は」
懐中電灯に照らされて、心なしか顔色を悪くしたクソガキが、ぱくぱくと無意味に口を開け閉めする。言いたいことがあるけど言おうかどうしようか悩んでる、ってところだろうか。言いたいこと、あれ?
—————あ、これもしかして、やばいんじゃない?
「この家、呪われてるんだろ⁉」
少し震える声で叫んだその瞬間。手に持っていた懐中電灯の明かりがぷつりと、前触れなく消えた。あーあ。
「言わなきゃなんとかなるってこともあったのに」
てっぺんを回るどころの話じゃない。私、明日の朝日を無事に拝めるんだろうか?
オカルティック・エステート せち @sechi1492
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