割鏡
@ALtA7657
序章そして最終章
今まで善く生きてまいりました。一日一善を心がけ社会にも親にも奉仕して、所謂いい子であり続けてきました。ですがきっと、あの日以来どうしてもどうしても焦がれてしまっていたのです。縁日の夜、窓際に見ゆる燈籠の明かりがきっとそうさせたのでしょう。ええ、違いありません。だって私は「さき子」なのですから。
私は無気力でありました。外に出る気概もありません。はじめは夏の暑さのせいだと思っておりましたが、それだけではどうやら無いようです。深夜にカーテンを開くと、思わず瞳孔が閉じてしまうような眩い光が射します。それが華族の私に対する新聞記者だと気づきましたが、特に悪い気はしないのでした。ここいらの商店街やデパートに繰り出すと、老若男女紳士淑女全員から冷ややかな目を向けられ、中には盗撮をしてくるものもいるのですが斯様な者共に対しても大して悪意を抱くことはないのでした。元々承認欲求なるものが強い質なのです。でも何故?なぜ華族に生まれた私が不貞を働いた芸能人のような扱いを受けているのか。それは数週間前のことでした。しんしんと雨が降る梅雨の日、とあるデパートの書店で本を見つけたのです。それは普段あまり読書をしない私でも知っている、かの文豪の短編集『女生徒』でした。その小説の一作品目「燈籠」に大変感銘を受けた私は、ある日から主人公である「さき子」にある種の恋のようなものを抱き始めたのです。たかが小説の登場人物?そんな細かいこと関係ないと言えるほどの熱い思いでした。元々心に穴があった私はその思いがそれを埋めてくれるような気がして、何度も何度も熟読してまいりました。あるいは、その感情すら穴であるのかもしれませんが。ある日の
少々雨の降る夕方。いつものように小説を読みふけっておりますと外から祭り囃子が聞こえてまいりました。日付を確認すると8月7日丁度縁日のようです。さして思い入れのない行事ではあるのですが、なんとも言えない気分。華麗に聞こえていた外の音が、何故か段々と騒がしく風邪をこじらせたときの幻聴のような騒音に聞こえてまいりました。何かまた塞げた気であった心の穴を露呈された思いがして、一人で恥辱感に苛まれもう一度「
燈籠」を読み直してまいりました。貧困にあえぐ女性が男のために水着を盗み、独白とも思える所謂自分語りをする話。そこに彼が何を求めたのか、何を描こうとしたのか教養のない私にはわかりやしません。しかしこの女性「さき子」は男のためというよりも、自分自身のために盗みを働いたように私には見えるのです。彼女自身は善行を積んできたのだから、と許しを求めていますが私には許しを請う必要はないように思えるのでした。盗みなんて人間の行ういくつもの悪行に比べたら随分マシなものではないのかしら、そこらの人間より尊敬できるのではないかしら。世間的には悪でも勇気を出したのだから。そう思ってしまうのです。
何周読んだのか数えきれなくなった時。気づけば外は暗く雨も止み格子窓の奥、街路の燈籠には灯が灯っている頃合。時刻は午後の七時半。少しの空腹を感じていますと、隙間風と共に入ってくる焼きそばの芳しい匂いに心惹かれて、宵闇の街を徘徊することに決めました。しかしここで一つの問題に当たります。縁日のような行楽に適した着物を持っていないのです。なかなかどうして、大きな富を持ってしまうと、小さな欲に適うものはなくなってしまうようです。今までこういった行楽は両親に適齢になるまで一人では危ないと止められていたものです。なのでなかなか見せる相手などなく、買う機会がなかったのでした。縁日の適齢などよくわかりやしませんが、もう成人もしているわけですし良いでしょう。一応両親に確認してみるとやはり許可が出ました。「また無駄な出費ができてしまう。」と内心嘆きながらも、偶にしかしない買い物に少し心躍るのでした。クローゼットから適当に服を出すとひとまずはそれに着替え夜の街に出かけるのでした。
雨の雫が輝く夜の街はとても賑わっていました。私のような若い女はそれなりの男と夜遊びを、子供は両親らしき大人と歩いているのですが、これらの方々には共通するところがありました。誰もが私を好奇の目で見つめるのでございます。あぁ、お高い浴衣を買ったのが裏目に出たのかもしれません。自分は可憐な女性に見えているのでしょう、あるいは分不相応だと、そう見えるのでしょうか。いや、全くことはないはずですが。雰囲気というものは言わずとも溢れてしまうものなのかもしれません。えぇいや無論、私にそのようなものがあるとは思いません。しかしせめて、あるように見せる努力をしよう、そう思うのです。街路を少し歩いていくと、先程嗅いだ焼きそばの屋台が見えてまいりました。「焼きそばを一つくださります?」と屋台が似合う「如何にも」という風な店主に話しかけると、店主はこちらを見て数秒笑顔のまま固まった後「まいど。」と言って焼きそばと口紅おさえ紙を寄越しました。ようやく待ちに待った焼きそばです。小学生のときに食べて以来食べる機会はなかったのですが、確実に美味ということだけはわかるのでした。匂いでわかるのです。これも一つの雰囲気とでも言うのでしょうか。などとくだらないことを考え歩いていると、良い景観のベンチを見つけました。久々の外食にふさわしいでしょう。そこに座って焼きそばを頬張っていると、隣のもう一つのベンチにカップルが一組。彼女らも焼きそばを食べていてどことなく共感のようなものを覚えていると、口紅を箸につけてしまい困っている様子。私買ったタイミングで紙がなくなってしまったのでしょう。これも奉仕でと思い彼女に近寄り「これでお拭き。そして彼に食べさせておあげなさい。あぁ私のことはお気になさらず。」と先程の口紅おさえを差し上げました。すると驚いた顔をしながらも頭を深々と下げる気持ちの良い女性でした。良いことをしたと思いながら食べ終わった焼きそばの容器を捨て、また街を徘徊するのでした。
縁日の街。これを表現する語彙を持ち合わせてはいませんが、陳腐な言葉を使うのであれば綺麗、しかし実際これ以上の表現を、誰もが持ってはいないのではないでしょうか。本当に良いものは多くを語ると無粋になる。そういうものなのではないでしょうか。大袈裟でしょうがきっとそうなのです。ですがあまりに短慮。そのように二文字なんかで答えてしまうから、目がくらんでしまうのです、簡単に罠に引っかかってしまうのです。窃盗をしました。する必要など確かになかったのです。しかし体の中に一つの光が射してしまっていたのです。石細工の隙間から漏れ出た僅かな火ですが間違いを犯すには充分でした。デパートの女物の水着です。女学校の友達に海に行こうと誘われていて新しいものが欲しかったのです。自分のためのものなのです。水着を手に取りバッグに入れたとき、確かに会計の店員と目線が合いました。あっと思ったときには体は駆け出していて、「止まれ!」という声を尻目に外へ外へと足を走らせました。ついにデパートの出口についたというその時、前から来た警備員にぴしゃんっと頬を殴られ地面に押し倒されてしまいました。「確保!」という警備員の声が夜の街に響いた瞬間、ふつふつと怒りが湧いてまいりました。その警備員は感じが悪く、歯がかけていて、頭が剥げていて、なんというかなんというか、とにかく私に触れられるような人間ではなかったのです。その程度の人間のくせに、私にその汚い歯を見せてニヤけながら「何度目だ?」と聞いてきました。限界でした。「私は今まで一度たりとも盗みを働いたことはありません。きっとこれからもしないはずなのです。親孝行もしてまいりましたし、貧困に苦しむ方々に寄付などもしてまいりました。善行ばかり積んできたのでございます。虫を殺したことすらございません。先程もそこらの女性に良いことをしたばかりなのです。だのにたった一回、たった一回の悪行でこれらすべての善行が打ち消されるようなことがあってよいのでしょうか、いや良いわけがございません。しかもこのような下賤な輩に、こんなやつごときに!」みっともないことは自覚しておりましたが、ここまで言わなくては気分が収まりませんでした。まくし立てられて警備員は戸惑っていましたが、後に警察が来て私に忌々しい手錠をかけ連れていきました。幸い財だけはあったので、罰にはならずに済みましたがしかと罪は人生に刻まれてしまったのです。手錠で連れられた先は取調室で、既に父が来ておりまして殴られるかと思いましたがそんなこともなく、するとむしろ虚しい気持ちでした。父には一言「怪我は大丈夫か?」と心配をされただけでした。なんとも言えない気持ちに見舞われて「はぁ」とため息をつくと警官に睨まれたので、またなにか言い返したくなりましたがぐっとこらえて一言「お世話になりました。」と言って出ていきました。家に帰る途中綺麗だった縁日の街は、光が強まり逆に何も見えない気がしました。さらにどこから聞きつけたのか新聞屋が多く来ていて、何度もフラッシュを焚かれました。が、あまり悪い気分はしなかったのが不思議でなりません。それは懸念していたことが実際に起こらなかったことへの安心感もあるのでしょう。父は律儀に私の話を会社に報告したようですが、特にお咎めもなく今まで築き上げた信頼は確固たるものだという証明になりました。カーテンを閉めないとフラッシュに目を細める事になる以外は特に普段と変わりませんでした。いつものような食卓でいつものように夕飯を口に運びます。また無気力な毎日です。と、ここまでが私の扱いの悪さの原因であります。一つの短慮な行動がこのような事態を招いたのです。ですが後悔はしていません。元来私の承認欲求が強いというのは、普通どころではないことが理解できた気がしました。不当な扱いなのです。ええ明らかに。私たちは華族なのですから。しかし誰もが私に振り向いて写真まで撮りだすというのは、誠に素晴らしいことではないでしょうか。皆私のことが気になるということの証明になりませんでしょうか。私は幼き時から強く生きてまいりました。幼年には読み書きができ誰よりも運動ができました。少女と呼べるくらい成長した頃には家柄に対する自覚と他人より優れているという意識が芽生え、少し人を無意識に見下してしまっていました。成人してからは寛容、になったのでしょうか。誰に罵られようと暴力を振るわれようと、所詮はその程度の人間なのだと、無視することができました。むしろ少しの喜びもあるのかもしれません。変、そんな陳腐な言葉で済ますことのできない私のこの穴は、なかなかどうして自分の美点にも思えるのでした。私自身未だに私の人間性を掴むことはできません。ですがきっと素敵な人間なのではないでしょうか。変、あるいは素敵。どちらにしろ真にそうである者は短い言葉でしか言い切れないのではないでしょうか。そのはずなのです。さて、この程度の罪、人間の本性に比べたらきれいなものでございます。ですから私はこれだけでは汚されないくらい、とてもとても高潔で美しい「綺麗」な人間ではないでしょうか。ですが人間、境界線というものがあります。許せるものと許せないものはやはりこの私でもあるのです。例えばこの小説「燈籠」。これは許せません。私を惑わし羞恥心を覚えさせたのですから。そう思い私は、かの文豪の名作『女生徒』を燃やしてしまいました。燈籠の、火の中に。
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