第31話 私たちの馴れ初め
私の膝に頭を乗せる御人から、ひとしきり妹君であられる王女殿下についての愚痴を聞いたあとでした。
「ねぇ、ローゼマリー。私が提言したように、王家を廃し帝国の属国になっても良かったし、君が女王としてこの国を治めても良かったのだよ?」
婚約者様が急に伯父のようなことを言い出しました。
いえ、急ではございませんね。
求婚をされた後の話し合いの場でも、まだ婚約する前にこの御人は同じことを仰っておりました。
あのときも求婚しておきながら言うことかしら?と少々疑問を覚えたところです。
「求婚したくせに、と思っているでしょう?」
私の考えを読めたからと、そんなに嬉しそうに笑わないでくださいませ。
私の足まで揺れていますよ。
「命を失うつもりでいたら、何でも出来るって本当なんだなぁって今は思うよ。愚妹の件を聞いたときには、死を覚悟したからねぇ」
そんな決死の覚悟で求婚されていたとは思えませんでしたが。
「ふふ。ローゼ。顔に出ているよ」
顔を背けて庭園を眺めてみましたが、膝にいるので婚約者様の視線から逃れることが出来ません。
下から見上げられるのには相変わらず慣れませんね。
旋毛を見ることは好きですが、下からの視線は別です。
眠らないのでしたら、そろそろ起き上がったらよろしいのではないでしょうか。
あともう少し、と願うように婚約者様は語ります。
「君の靴が脱げたんだ」
「え?」
不意のことで、聞き返してしまいました。
完全にこの国で被っていた淑女の仮面は剥がれつつありますね。
それもこれも誰かのせいです。
「以前に会っていたと言っただろう?そのときのことだよ」
「私の靴が脱げたのですか?」
「そうなんだ。新しい靴を長く履けるようにと、少し大きいサイズで作られていたみたいでね。ちょこちょこと可愛く歩いていた君は、靴を片方その場に置き去りにして数歩先に進んでしまったのだよ。ちょうど私は通りかかったところでね、急いでそれを拾って立ち止まって慌てる君に履かせてあげたんだ」
それは相当小さな頃のお話ですね?
「淑女として靴が脱げたらどうするかは教えられていなかったんだろうね。君は今にも泣き出しそうな不安な顔をしていてさ。私もまだ八つやそこらだったかなぁ」
それでは私も四、五歳の頃。
さすがに覚えていなくても仕方がないと言えます。
「『面白い旋毛!』って君は言ったんだ。撥ねた声でね」
何でしょう。
幼い頃の話ですのに、とても恥ずかしいのですが。
「ふふ。そのときの君ときたら、とても可愛くて。珍しいでしょう、気に入ったかな?と私も聞いてみたんだ。そうしたら君はね」
途端、泣き出しそうに顔を歪めたそうです。
覚えておりませんが、この国の貴族令嬢となるべく淑女として学んでいる最中だったと思われます。
それで婚約者様は、怖がらせたね、ごめんねと謝ってくださったそうなのですが。
『そうじゃないの。本当のことを言ってはいけないの』
淑女としてどうこうという話ではなかったようです。
私にも婚約者様が何故急にこの話をしてきたのかが分かりました。
「それは切なそうに言うものだから。胸がきゅんきゅんしちゃってさぁ。分かるでしょう?」
いいえ。その胸がきゅんきゅんした点についてはまったく解せません。
顔に出ていたようですね。
婚約者様は「君のそういうところもいい」と分からないことを言ってから、昔話の続きをなさいます。
「触っていいよと言ったのだけれど。そんなことをしたら、私の自由を奪ってしまうと。もうそのときには胸をぎゅーっと掴まれていたんだよ。それからはもうずっと君が好きでね」
八つやそこらだったと仰っておりましたね?
たとえその頃に胸を掴まれるようなことがあったとして、それから長く会わないでいた相手のことを想い続けられるものなのでしょうか?
またぎゅっと力を込めて、それでいて痛みのない絶妙な加減で取られていた手を握り締められました。
「それはおいおい分かって貰うとして……」
婚約者様は、「だから君が愚妹を許せなくて当然だと私は思うのだよ」と言いました。
ここで胸の中にぽっかりと穴が空いたような、虚無感を覚えたのは何故なのでしょう。
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