第16話 その名前の意味を知った日

遠く東方の島国イズモ。そこに建つ大きな屋敷。

 そこはイズモで最も武勲を上げ、多くの武士を排出した天ノ家。

 敷地内には多くの建物と、メイドらしき人達が働いている。

 だが、タクミにはその誰もが苦しく見えた…いつの日かの自分のように、労働を強いられている気がした。

 スズメの家屋敷で働いているメイドサラさんも、時々お手伝いにくる村人もみんな喜んで働いていた。

 談笑をしながら、着々と仕事を熟し、自分やスズメがかえってきたら笑顔で迎えてくれる。

 この屋敷は……見えない壁で覆われ全てが凍てついているかのような静寂。

 息が詰まるかのような空気が流れること屋敷で見つけた姉は、とても苦しそうだった。


「バシン!」


鞭のようなものが床を叩きつける音が聞こえる。

 音の方向に向かうと、幼きスズメが祖母に何かを習っていたが…それが上手くいかないのか、祖母は床にしめ縄を叩きつけていた。


「もう一回」

「はい…」


スズメが習っているのは礼儀作法のようだった。

 歩き方から座り方……身のふるまいの一挙手一投足を全て管理され正される。

 これはもう教育なんて生温いものではない。タクミは耐えきれずスズメの前に出た。


「おねえちゃんをいじめないで!!」


大きく叫んだタクミだが、祖母もスズメも反応がない。

 それどころか、祖母は自分の体をすりぬけ、座り込んだスズメの腕をつかんだ。


「え…」

「にゃあー」


ヤマネコはポンポンとタクミの足を叩き下がるように言う。

 ここは記憶の空間……全てが終わった過去の話。

 いくらタクミが叫んでも、その声は誰にも届くことはない。


「立ちなさい、もう一度やりなさい」

「はい…」


抵抗する気力すらなく、その後長時間スズメは礼儀作法を叩きこまれる。

 その姿を見ていたタクミは拳を強く握りしめ涙を流す。

 記憶の中の屋敷にはその日、ずっとしめ縄が叩きつけられる音が響いていた。


※※※


次の日、早朝にスズメは朝食の準備を手伝う。

 一日みた時分かったが、天ノ家は圧倒的に男性の立ち位置が高い。

 男性が通ったら女性たちは誰であろうと橋により深々と頭を下げる程。

 そして、スズメはこの家の長女であることが分かった。

 上に3人の男兄弟がおり、三人はとても大切に育てられているのに比べ、スズメは何か失敗すれば罰としてご飯を与えられなかったり、しめ縄で叩かれる。


「ヤマネコ先生…なんでおねえちゃんはこんな酷いことをされるの…」


タクミは泣きはらした目でヤマネコに問う。

 すると、ヤマネコはタクミを連れてとある部屋に向かった。

 豪華な装飾とたくさんの女中がいるその部屋は、天ノ家の当主の部屋だった。


「ちっ、祭事どもめ。いつも自分たちのばかりだ」


酷く怒りを露わにしている屈強な男性が話と、その家臣たちは同意するように頷く。


「ふう。このままではこの国は腐ってしまう。武人を粗末にするなど。あってはならない」


当主の言葉からして、この国では武人が冷遇されていると思われた。

 だが、これ程広い屋敷と多くの人を雇うほどの財力……食べている物も、着ている衣服も、高価な飾り付けも…何もかもが満たされているように見えている。


「にゃあー」


ヤマネコはタクミに教えた。

 この当主の方針で天ノ家は謀反を企んでいると。

 武士が冷遇されていると勘違いしている当主は自分たちの立場をより強固にするため、力を蓄えている。


「おねえちゃんが酷いことされてるのはなんで…?」


家の方針で戦力とされている男が大事にされているのはわかった。

 だが、スズメがとても厳しく管理されている理由にはならない…そう考えたタクミだったが。


「当主様、こちら先日お話した見合いの候補です」


祖母が何枚かの紙を当主に差し出した。

 その紙には誰かのお見合い相手の家柄や財力などが事細かに調べあげられていた。


「スズメはどこまで出来ている」

「礼儀作法を叩きこんでおりますので、そのものたちでしたら喜ばせることは出来るかと」

「ふーん。祭事のやつもいるじゃあないか。子供好きと聞いていたが、そういう意味だったとは」


当主は祭事の書類を祖母に渡し、そのまま席を立った。

 この家でのスズメは――政略結婚のための供物に過ぎないのだ。

 ヤマネコはタクミの表情を覗いて再びポンポンと足を叩く。

 当主が向かった先の部屋を開けると、今まで居た屋敷とは別の場所に繋がっていた。

 記憶を辿ったと思われるその先には、剣術を学んでいるスズメの兄弟たちと、その傍らで休んでいる兄弟のお世話をしているスズメが見えた。


「そうだ!スズメもやってみろよ」


突然、兄弟の一人はスズメが持っていた手拭いを取り上げ木刀を握らせた。

 その時はじめて木刀を握ったスズメ…だが、妙に馴染む感覚にスズメは恐る恐る兄弟の前に出る。


「一本とったら俺の飯やるよ。よーいどん!」


ただの子供のいたずら…これまで刀術を学んできた兄弟と違い、スズメはこれまで箸より重いものを持ったことはなかった。

 ここ数日、あまりご飯も食べれていない…体形を変えるためと、普段より少ない食事しか与えられていなかった。

 スズメ自身も勝てるはずはないと思った…お腹が空いたし、逆らうことは出来ない。

 兄弟は本気で刀を振るっている…その姿にいつも師範が教えていた基本の型を思い出した。


「天ノ流抜刀術…時雨」


見よう見まねで振るった刀は兄弟の手元を正確に狙い、木刀を叩き落とした。

 その勢いはすさまじく、兄弟たちが自体を認識するまで大きな間が開いた。


「何事ですか!?」


師範がかけつけた時には負けた兄弟はいきなり泣き出し、師範に駆け寄った。


「こいつがいきなり木刀を持って!!」


兄弟の言葉に師範は急いでスズメから木刀を取り上げた。

 すぐに女中を呼びケガした兄弟を心配するその姿を呆然と見つめるスズメ。

 今…自分は兄弟に勝った…?その事実と、兄弟の嘘に困惑するばかりだったが…かけつけた祖母が兄弟のケガをみると、鬼のような形相でスズメをにらむ。


「バシン!」


頬が痛む…今まで叩かれたことは多かったが、顔を叩かれたのははじめてだった。

 スズメが力なく地面に倒れても、誰も心配することなく。祖母は怒り狂いながら暴言を吐いた。


「お前なんか生まれなければよかった!!天ノ家に稲を運ぶか弱い鳥であればいいんだ!」


スズメ。その名前の意味は天ノ家に稲を運ぶか弱い鳥。

 この家で…彼女を人として必要とする人は誰もいなかった。


※※※


「おねえちゃん…」


記憶の中から目を覚ましたタクミは涙を流し姉の手をつかんだ。

 名は体を表す。それはスズメが言った言葉…彼女が自分にタクミという名前を与えた時――一体どんな思いでその名前をくれたのだろうか。

 タクミはひたすら心を痛めながら姉が目覚めることを願った。

 今までただひたすらに強い姉…強いのではない。強がっていたのだ。

 自分のため……そして今はたった一人の家族であるタクミのため。

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