第34話 池の写真

 俺と鬼頭はS市農業委員会の会長、古角の家を訪ねた。

 彼から俺に話しがあるらしい。


 客室に通された俺たちはお茶を出されて持て成された。


「いやぁ。ははは。実は話しにくいのですがね。あの土地を売る件。少しくらいは聞いてもいいと思いましてね」


 やれやれ、気味の悪い笑いだ。この人は池の埋め立て計画には激しく反対していたからな。

 きっと裏があるに違いない。まぁ、どうせ、金絡みなのだろうけど。



「売買の金額は考えてくれましたかな?」


 

 ほらな。

 これくらいしか理由はない。

 大方、相場を調べて交渉しようって腹だろう。


 俺の思惑通り、古角は値段の交渉を持ちかけてきた。

 

「私の息子が不動産業を営んでおりましてな。土地の売買には詳しいのです。それで、池のことを相談しましたら売ってもいいという話しになったのです」


 まさか、その息子……。


「池には行ってないですよね?」


「ええ勿論。祈祷が無事済んだとはいえ、遊女シノの霊が人を殺しているらしいですから。私たちは信じてませんけどね。念のため、息子には写真しか見せていませんよ」


 写真か……。なら大丈夫。

 池の呪いは、蒸発した池の水を体内に取り込むことで発動するからな。


「今は便利な世の中です。ネットの地図アプリを使えばある程度は見れますしね」


 なるほど、確かにそれを使えば現地に行かなくともある程度はわかるか。


「でもね。アプリには慰霊塔が載ってないんです。そればかりか設置されたフェンスもありません」


「更新されてないんでしょうね。それで昔のままなんですよ」


「物部さんは写真とか持っていますか? 息子が随分と池に興味がありましてね」


「土地の売買と関係あるのですか?」


「いえね。祈祷会の話は守秘義務があるじゃないですか。息子とはいえ、私も詳しく話せません。ただ、不幸な事故が続いているとだけ伝えたんですが、そうなると、事故物件みたいなもんだと言われましてね。慰霊塔を見たくなったみたいです」


 事故物件ね。

 なら池の値段は下がりそうなもんだ。

 丁度、教育委員会の長谷川さんからもらった写真を何枚か持っていたな。


「写真ならありますよ」


「おお。これ、お借りしてもよろしいでしょうか?」

 

「別に構いません」


「ありがとうございます」


「それで、土地の買取りなのですが、国が出せる値段は決まっています。古角さんが言われていた2倍の値段はとても出せそうにありませんよ」


「ええ。そういったことも十分にわかりました。今夜、この写真を見ながら息子と相談してみますよ」


 これはいい流れなのかもしれないな。

 不動産関係者なら土地の相場に詳しいし、朽木神木会が提示した額が適正なのがわかってくれるだろう。


 鬼頭は札と数珠をテーブルに置いた。


「池の埋め立てに協力する人間は、遊女シノの霊に襲われる可能性があります。今日からこれを使ってください」


 古角は目を細めた。


「これ……。おいくらですか?」


「お金はいりません。札を家の柱に貼り、数珠は常に身につけてください」


「ただですか! それならいただきますよ!!」


 こうして、土地の売買を考えてくれる方向で話しは終わった。









 翔太と鬼頭が帰った夜。

 古角の家に息子の栄司が帰ってきた。


「栄司。池の写真。借りてきたぞ。ほれ、これだ」


「流石は親父。仕事が早いな」


「本当にいいのかな? あの土地を手放して?」


 栄司は写真をまじまじと見た。


「国が動いてんだろ? 池の呪いってのが本当にあるんなら売ってる方が得策さ。変な噂がたったら農協だって動くだろうしな。農作物の販売にも影響が出るだろうから、言い値で手放せばいいさ」


「農協が? まさか」


「風評被害って怖いからな。呪われた土地の野菜なんて誰も買いたくないさ」


「なるほど……。しかし、呪いなんて本当にあるのかな?」


「ははは。バカじゃねぇの。偶然が重なっただけだっての」


「そ、そうだよな。ははは。じゃあこれをもらったんだけどな。どうしようか?」


 それは鬼頭から貰った札と数珠だった。


「親父。こんなの貼って効果あると思うか?」


「気味が悪いだけだ」


「だよな。んじゃ売っちまおうぜ」


「う、売る? そんなことができるのか?」


「ネットオークションでさばけんだよ。売り上げは折半でいいか?」


「ああ。こんなゴミ捨てるつもりだったからな。売れるんならいくらでもいいさ」


 栄司は札と数珠の写真を撮り、セットにしてネットオークションに載せた。



 

 次の日。



「親父! 信じられねーーぞ!」


「何がだ?」


「あの札と数珠。とんでもない額がついてる!」


「一体、いくらになったんだ?」


「100万だよ!!」


「ひゃ、100万だと!?」


「運営が1割取るからな。残り90万。俺と親父で折半だから……。1人頭、45万も儲かったんだよ!!」


「よ、45万……」


「親父。この札と数珠。ただなんだろ? もっともらえないか?」


「そんな……。無理言うな」


「どうせ、紙と木で作った原価の安い品物だ! 気にすることはないって! 土地を売るのを渋ってさ。もっと貰ってこいよ!!



 翌日。

 古角は、鬼頭を喫茶店に呼んで相談することにした。


「どうも最近、身の回りで物音がするんです」


「物音? どんな音です?」


「ずるずるって、何かを引きずる音です」


「シノの霊かもしれません。とても危険な兆候です」


「ええ。それで……。もし良かったら、あの札をもっと貰えないでしょうか? あと、家族の分の数珠も欲しいのです」


「わかりました。ご用意しましょう。作るのに時間がかかりますから3日ほど待っていただけますか?」


「わかりました! では土地の売買は、この物音が治ってからということでよろしいかな?」


 この古角が言っている物音。これは勿論作り話である。

 農業委員会で聞いた噂話を元にしたのだ。


 古角は立派な紙袋をテーブルに置いた。


「それで、これ。つまらない物ですが」


「なんですかこれは?」


「大した物ではありません。朽木神木会のみなさんでお食べになってください」


「いえ。受け取るわけにはいきません」


「そんな! お世話になっているのですから!!」


 

 古角が家に帰ると、息子が札と数珠の発送を済ませていた。

 自分の手腕を声高に語る。


「1個数千円もする桐の箱を買ってな。それに札と数珠を入れて発送してやったぜ。【霊験あらたかな護符と数珠】って謳い文句でな。グフフ。これでオークションの評価も良くなるだろうよ」


「ククク。俺の方は高級な和菓子のセットをプレゼントしてやったさ」


 親子は互いに褒め合って晩酌をした。

 些細な労力で得た大金はなによりの肴である。

 古角の妻も晩酌には付き合っていたが、大金が手に入った話は知らされていなかった。


 札と数珠が無くなった古角家は、黒いモヤがかかったようで、どこか重苦しい。

 妻は目が霞、持病の腰痛が酷くなった。

 腰をポンポンと叩きながら息子に風呂をすすめる。


 それは栄司が風呂に入る準備をしている時だった。



ずる……ずる……。



 古角は聞き慣れない音を聞いた。


「おい。お前。この音が聞こえんか?」


 妻は自分のコップに日本酒を注ぎながら答えた。


「酔い過ぎたんじゃないの? 私には何も聞こえないわよ?」


 古角は小首を傾げるだけだった。


 栄司は体を洗いながら鼻歌を歌う。

 楽に手にした大金で、何を買おうかと計画でもしているのだろう。



ずる……ずる……。



 浮かれている栄司には何も聞こえなかった。

 

 湯船に浸かったその時である。


「え?」


 湯面に黒い塊が沈んでいたのだ。

 それは人の頭だった。その髪はクラゲの触手のように揺れる。


 風呂場の照明がチカチカと点滅を繰り返す。


 停電を思わせた、


 瞬間。


 真っ白い腕が栄司を首を掴んだ。


「うぐ!」


 栄司は湯の中に引き込まれた。




 2時間後。

 古角夫婦は、いつまでも経っても風呂場から出てこない息子を心配した。

 

 

「きゃあああああああああああ!! あなた! あなたぁああああああ!! 英司がぁあああああ!!」


 

 彼女の発見により、湯船に浮かぶ息子が発見された。

 その目は白目を剥き、口からは舌をベロンと出す。


 古角が息子を湯船から出した時は遅かった。

 鑑定の結果は溺死である。


 

 古角は遊女シノの仕業だと察した。

 しかし、訳がわからない。

 息子の栄司は女郎々池に行っていないのだから。


 

 次の日。

 警察の調べを終えた古角は、翔太に連絡することにした。

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