第29話 久保田

 久保田が結婚をした。

 と言っても、籍を入れただけで、同居や結婚式はまだ先である。

 


 会社の昼休み。

 今日は外食することにした。俺が久保田におごるのである。


 飯を食った俺たちは車の販売店に行くことになった。久保田がベンツを購入するというのだ。どうやら昼休み中に契約を済ませてしまうらしい。


 ベンツを昼に買うなんてセレブ過ぎてついていけないが、久保田の喜びは止まらないようだ。

 契約書にサインをした彼は見たこともない笑顔である。


 店を出た俺たちは会社に戻ることにした。


「いやぁすまんね。付き合わせて」


「別にいいけどさ。もう新居も買ってんだろ? ベンツまで買うなんてえらく奮発したな」


「ベンツは俺の夢だったからな。子供ができるまではさ。新婚でベンツ乗るんだよグフフ」


「また顔が崩れてんぞ。お前、その顔で仕事する気か?」


「グフフ。真顔に戻すのは無理があるな。俺は今、幸せの絶頂なんだからさ」


 幸せの絶頂か……。

 

 幸せ……。


 いや、まさかな。


 もう終わったんだ。


 それは自社ビルの目と鼻の先。歩道を歩いている時だった。




ずる……ずる……。


 


 突然、聞こえるあの音。


「ま、まさか!?」


 同時に久保田がえずいた。


「ゲホォオオッ!!」


「久保田。大丈夫──!?」



ゴボォッ……。



 彼は何かを吐いた。

 その手に乗っているのは人の目玉である。

 久保田の口から眼球が溢れ出ていたのだ。



「ああッ!! 久保田ぁああ!!」

 


 俺が近寄るより早く、彼は転倒した。

 見えない何かに片足を引っ張られる。



「うう……ッ!!」


 

 喉の詰まりに悶えながら、久保田は何者かにズルズルと引き摺られた。


「く、久保田……」


 か、体が動かない。


 ぶるぶると全身が震え、ガチガチと歯が鳴った。


 こ、怖い……。

 恐怖で体がいうことをきかない。


 俺は強ばる体を強引に動かした。


「久保田ぁああああああッ!!」


 それは俺が前に出るより早かった。

 久保田は歩道を抜け、車が走る横断歩道へと入っていた。


 今はまずい。

 


 信号が、



 赤なのだから。





ドンッ!!





 車に当たった久保田は吹っ飛ばされて俺の視界から消えた。

 

 後は、周囲の悲鳴と、車の停車音が鳴り響くだけ。


 俺はガタガタと震えながら、その場で膝を落とした。




 



 久保田は即死だった。

 周囲の証言と防犯カメラの映像を元に、死因は事故死と判定された。


 しかし、俺にはわかっている。これが事故ではないことを。

 

 あの時見た眼球。歩道にこぼれ落ちていた物は、ただの小石になっていた。

 

 検死の結果は不明だが、きっと喉に胆石が詰まっているに違いない。


 長谷川と久保田の死。


 池の呪いがまだ生きている。

 男が幸せになると悪霊に殺されるのだ。


 


 俺は御世の元を訪ねた。


 彼女はベッドで寝ながらも久保田の死を見ていたようだ。


「彼は遊女の霊に殺されたのよ」


「俺には何も見えませんでした」


「私もうっすらとしか見えなかったわ。相手は波長をズラして見えないようにしているのよ」


 遊女の霊といえば、もう山下シノしかいない。

 シノの霊はまだ動いているんだ。


「また、祈祷会を開くのですか?」


「いえ。池の呪いは封印できているからね。祈祷を開いても無駄だと思う。でもね。遊女の霊が池を媒体として力を得ているのはわかるわ」


「このままだと、また人が殺されます。何か良い方法はないでしょうか?」


「今、上と交渉していてね。この久保田の事故をきっかけに土地の買取が決定したわ」


 う、上?


「御世さんより、凄い人がいるのですか?」


 この質問には側近の鬼頭が答えてくれた。


「御世様より強い霊能者はいない。我々の上とは防衛省のことだ」


「ぼ、防衛省!?」


「我々、朽木神木会は防衛省傘下の宗教法人なのだ」


 ……それで合点がいく。

 御世さんたちが乗っていたトラックのナンバーは自衛隊のものだった。


「国を襲う厄災を排除するのが我々の役目だ」


 そんな凄い人たちだったのか……。


「池を埋め立てることで安心していいのでしょうか?」


 御世はコクンと頷いた。


「悪霊の拠点は池で間違いないわ。そこを潰して悪霊を消滅させる」


 希望が出てきたぞ!


「じゃあ、もう安心できますね!」


「そうもいかないわよ。悪霊が動くには理由があるんだから」


「……確かにそうですね。久保田は幸せの絶頂期に殺されました。長谷川さんは池の調査をしたからでしょうか。そうなると、シノが動くトリガーになるのは2点でしょうか。男の幸せ。池の調査」


「そういうことよ。だからこの件が解決するまで、翔太くんは幸せにならないようにね」


 幸せにならないってのはなんだかおかしな感じだが、まぁ、そう簡単に幸せなんかにはなれないからな。特に気を張らなくともいいだろう。

 それより……。


「俺は池の調査をしてるんですが、シノに襲われないのはどうしてでしょうか?」


「あなたには春子の数珠があるからね」


「ああ。なるほど」


「それに、守護神のお父様が相当に強いから、きっと悪霊も近寄り難いんだと思うわ」


 ……そうだったのか。

 父さんが死んでまで見守ってくれるなんてありがたいな。


「希望が出てきましたね」


「土地の売買には君も力を貸してくれると助かるわ。霊力の低い人間が池に関係すると殺されてしまうから」


「ええ。任せてください」


 池の呪いを終わらせてやる!

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