第28話 遊女シノ
長谷川は携帯から固定電話に連絡していた。その発信先は工藤 浩。
この一族こそ、遊女シノの子孫である。
池の呪いが払われた今。シノの経歴を探ったところで意味はないと思うが、長谷川の自殺が気にかかる。彼の喉には胆石がつまっていたんだからな。
俺は工藤家に訪問することにした。
工藤家は大きな旧家だった。広い庭園には松の木が綺麗に剪定されている。維持費だけでも相当なものだろう。
俺たちは客室に通された。対応してくれたのはここの主人。工藤 浩である。
「話には聞きました。教育委員会の長谷川さん。自殺されたそうですな。なんともお気の毒なことです」
「長谷川さんは女郎々池の歴史を調べていたんです。それで逸話の登場人物のことを知りたがっていました」
「……逸話ねぇ」
工藤はタバコに火をつけた。
話し難いのも頷ける。逸話では左衛門に目玉をくり抜かれて池に身を投げて死んでしまったからな。
明るく話せるような話題ではないだろう。
「シノは5人兄妹の末っ子でした」
「兄妹がいたんですね」
「シノのいた時代。この辺は飢饉でしてね。食うに困っていたんです。5人兄妹はバラバラに丁稚奉公にいきましてね。末っ子だったシノは遊郭に売られたのです」
「大変な時代でしたね」
「私どもはシノの兄の子孫なんです」
なるほど。シノは結婚前に自殺したからな。つまり子供はいない。
兄妹の子孫なら残っているわけか。
「身内の中でも、彼女は悲惨な身の上でしたからね。300年以上も前の人ですが、親族間ではよく話すんです」
池の逸話に残るほどだからな。
「シノは重い病にかかっていたようです。それで池に身を投げて自殺したんですな」
病気?
「あの……。逸話では、左衛門に酷いことをされて自殺したと聞いたのですが?」
「左衛門? そんな男は知りませんよ」
左衛門を知らない?
じゃあ、どうして池の逸話が残ったんだろう?
「病気とはどんな病でしょうか?」
「身体中に腫れが出たようですな。親族でもよく知りません。しかしながら、もともと遊女ですからな。おそらく梅毒でしょう」
遊女の性病は梅毒が多いと聞く。
目は関係しないのか。
では、左衛門に目をくり抜かれたという逸話はどこから湧いてきたんだろう?
「シノさんは左衛門という侍に結婚を邪魔されたというのが、教育委員会から教えてもらった逸話なのですが。これは間違っているんでしょうか?」
「さぁ……。そんな話は聞いたことがありませんなぁ」
「自殺したのは女郎々池で間違いないんですよね?」
「ええ。そのように聞いていますよ」
これはかなりねじ曲がった逸話になっていたな。
シノは梅毒が原因で池に身を投げて死んだ。
左衛門の資料は残っていて、彼の残虐性は間違いがない。そこにシノの自殺が加わって創作されたのだろうか?
「あ、あとね。シノは変わり者だったみたいですよ」
「変わり者?」
「結婚をするとお歯黒を塗る風習があったのですが、それをたいそう嫌がったそうです。だから結婚をしても決して塗らなかったそうですよ」
え……?
け、結婚??
「シノさんって結婚してたのですか?」
「ええ。子供はいませんでしたけどね。病気は結婚後に発症したみたいですよ」
おいおい。
委員会の逸話はめちゃくちゃじゃないか。
「結婚は彦太郎さんですか?」
「おお。よくお調べになっていますな。そうです。山下 彦太郎さんのところに嫁ぎました」
ということは、彼女の名前は山下 シノ。
「あの辺りの遊女はお歯黒を塗るのをたいそう喜んだそうですよ。なにせ、遊女の仕事を辞めれますからね。それなのにシノは塗ることを嫌がったのです。まぁ、お歯黒って歯を黒く塗るから女性の美的センスでは嫌なのもわかりますけどね。祖先に語り継がれるほど嫌がっていたとは……。ははは。シノは美人だったみたいですけどね。変わり者ですよ」
お歯黒の話なんてどうでもいい。
それより、彼女の逸話が自殺しか整合性が取れなかったことの方が重要だ。
まぁ……。池のお祓いは済んだから終わった話ではあるけれど……。
帰り際、玄関の柱に貼ってある札が気になった。
「立派なお札ですね」
すると、奥さんの声だろう。
上品な声で答えてくれた。
「魔除けのために貼っているのです」
奥さんがいたのに、俺の対応は全部、ご主人がしてくれたな。
帰り際になってしまったが挨拶しておこうか。
俺は振り向いて頭を下げた。
「急にお邪魔してすいません。私は教育委員会、代理の物部 翔太といいます」
すると、ご主人が目を丸くした。
「誰に話しをしているんです? 物部さんの紹介はさっき受けましたよ?」
「あれ? さっき奥さんがいたと思ったんですが?」
「家内は出かけておりますよ? 今日、この家には私しかおりません」
まさか、幽霊?
でも……。姿は見えない……。
気のせいだったのか?
俺はその足で御世さんが入院している病院へと向かった。
ーーS市立病院ーー
彼女は上半身を起こして、窓から景色を眺めていた。
「御世さん! 意識が戻ったんですね!」
「ええ。心配をかけてしまってごめんなさい」
俺は長谷川の自殺からシノのことまでを話した。
御世さんは眠った状態で察知していたらしく、全ての状況を既に把握していた。流石は最強の霊能者である。
「もしかして、池の呪いはまだ終わっていないのでしょうか?」
「……それはないと思うわ。悪霊の気配は感じられないもの」
御世さんほどの霊能力者が気配を感じないのなら、本当に何もないのか?
「あれから何度か相音を池の方へ見に行かせているのだけどね。やはり、池に異常は見当たらないわ。供養塔もしっかり効力を発揮してくれてるしね」
しかし、長谷川の死は気になる。
「長谷川の喉には胆石が詰まっていました。これは左衛門の仕業ではないでしょうか?」
「左衛門はあの時消滅したわ」
「じゃあ、どうして石が詰まっていたんでしょう?」
御世さんは窓から見える景色を見つめた。
「遊女の霊が1体。彷徨っているの」
遊女の霊?
「もしかして、山下シノの霊が彷徨っているということでしょうか?」
「そうかもしれないわね。もしかしたら彼女が長谷川を殺したのかもしれない」
「あの時の祈祷会で封印できなかったのですか?」
「それはないと思う。あの時の祈祷は成功していたから」
「だったらどうして?」
「ごめんなさい。私にもよくわからないのよ」
どうにも的を得ないな。
結局、長谷川の死は不明なままだった。
彼女にもわからないなんて、一体何が起きているのだろうか?
御世さんは当分、入院するらしい。
内臓がボロボロで食事を取れないそうだ。
体の治療が落ち着くまではここに入院して、シノのことを調べることになった。
そういえば、前々から疑問に思っていることがあったんだ。
今日も工藤さん家で不思議なことが起こったし。
いい機会だから聞いておこうか。
「俺は霊能力を持っていても見えない霊がいたりするんですが、それはなんでですかね?」
俺は以前から左衛門の霊が見えなかった。祈祷会の時に使った八咫鏡でやっとこ姿が見えたんだ。
御世さんは目を細めた。
「霊を見るためには波長を合わす必要があるの──」
そういった話は聞いたことがあるな。
「──強い霊は姿を隠すのよ。波長をズラしてね」
彼女は遠い景色を見ながら目を細めた。
「だから、強い霊は見えないことがあるのよ」
嫌な予感が脳内を駆け巡る。
今日、工藤の家で聞いた女の声。
もしかして、強い霊だったから見えなかったのか?
身体中から汗が滝のように流れ出た。
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