第26話 兆し
S市の教育員会は歴史調査の一環で俺に連絡をしてきた。
どうやら、女郎々池に関することを聞きたいらしい。
本来ならば、池の調査をしていた警部補の京子に振られた案件であったが、彼女は仕事が忙しくて、俺に回ってきたのである。
あの池の一件以来、彼女は調査報告書を書くのに追われていた。
そうなるのもうなづける。
女郎々池の祈祷は、30人も死者を出したのだ。
にもかかわらず、マスコミは一切介入していない。
これには朽木神木会が、深く関わっていた。
会は、祈祷の参加者には、一切の口外を禁止したのだ。
一部の人間には誓約書まで書かせたほどである。
その誓約書は、国家の機密事項と表記されていた。
鬼頭さんに聞くと、「我々は国のため、秘密裏に魑魅魍魎と戦ってきたのだ」という。
トップシークレットなのだろう。それ以上は教えてくれなかった。
今日は日曜日。
池の上段。あの慰霊塔のあった小さな池の周囲は随分とスッキリした。
市の草刈りが入って随分と綺麗になったのだ。
よって、慰霊塔と柳の木に横たわる不動明王の居座る小屋は見えるようになった。
パシャッ!!
小屋の写真を撮ったのは、池の担当者、長谷川である。
彼は20代で、歴史が好きなインテリだった。
パシャ! パシャ!
「長谷川さん。随分と熱心に撮るんですね」
「だって、この池の資料はほとんど無いんですよ! 西暦1700ごろには存在していたみたいなんですが、その全容は未知に包まれていました」
パシャ! パシャ!
この池は国土地理院の地図にも載っていない池だった。
池を調査する関係者は全て事故に遭って、歴史調査は頓挫するのだ。
今は、御世さんのお祓いが効いて、普通の池に戻ったからな。
こうやって近づいても何も起こらない。
池に行けば感じていた、嫌な感じは一切しなくなったし、平和そのものだ。
「今度、この小屋の隣りに池の歴史を書いた看板を立てようと思っているんです」
「へぇ〜〜。遊女シノと左衛門の話?」
「ええそうです。彼女が目玉をくり抜かれて自殺したことは残酷な事実ですが、そんな悲しい物語がこの池の由来になっているのですからね。後世に伝えないわけにはいきませんよ!」
「長谷川さんは本当に歴史が好きなんですね」
「ええ! 判明していく事実にはゾクゾクするものがありますね」
判明する事実ねぇ……。
彼がこの池の真実を聞いたら驚くだろうな。
ま、機密事項だから、言う訳にはいかないけどね。
「物部さん。ここの調査が終わったら下の慰霊塔の撮影もいいですか?」
そういえば、この池の下段には慰霊塔が建てられた。
朽木神木会が持ってきた物らしく、あのお祓いが終わって直ぐに建てられたのだ。
長谷川さんは下段の池の撮影を始めた。
パシャ! パシャ!
「つい1週間前に、大規模な祈祷があったみたいなのですが、この慰霊塔ってその時に建てたれたんでしょうか?」
詳細は言えないが、誤魔化せない事実はあるからな。
「ええ。その時に建てられたんですよ。ほら、この池で事件があったでしょ?」
「ああ。暴力団員とカフェの店長ですよね」
「あの痛ましい事件の慰霊のために塔が建てられました。俺はその店長の知り合いだったのでこの池の捜査に関係していたんです。勿論、その祈祷会にも参加しました」
「なるほど」
まさか、ここで30人以上もの人が亡くなっているなんて言えないよな。
「その祈祷会の時に池が2つあることが判明したんですよ」
「私もその祈祷会に参加したかったです。役所の関係者にはどういうわけか、調査の付き添いを断られましたしね」
そりゃ、あんな凄惨な祈祷会を見たら、この池には2度と来たくないわな。
「それにしても、同じ池の名前が2つあるのは厄介ですよね」
「確かに」
「あっちは上段池。ここは下段池と言いましょうか♪」
呼び名なんてどうでもいいかもしれない。
もうこの池に関わるのは懲り懲りだからな。
「物部さん。今日はありがとうございました。歴史調査に付き合ってくれて助かりました。逸話を書いた看板ができたらまた連絡させていただきます!」
長谷川と別れた俺は市内にある病院へと向かった。
ここには御世さんが入院している。
部屋は一番豪華な個室だった。
入り口には常に朽木神木会の会員がいて、御世さんを警備していた。
中に入ると、ベッドに横たわる御世の姿。
その傍には、心配そうに見守る鬼頭がいた。
「鬼頭さん。腕の調子はどうですか?」
「ああ。もうなんともない」
彼女の右手は遊女の霊によって引きちぎられていた。
近々、義手ができるらしい。
「御世さんはどうです?」
「うむ。もう1週間経つがな。眠ったまま目覚める気配がない」
彼女は池の水を大量に飲んで意識を失っていた。
その原因は不明なままだ。
「会のみなさんはしばらく市内にいるんですか?」
「うむ。帰還命令は御世様次第だからな。勝手に変えるわけにはいかんのだ」
「では、また来ます。何かあれば言ってください」
「うむ。助かる」
俺は車を走らせて家に帰った。
家の電気は消えている。どうやら、采ちゃんは俺の実家に行っているようだ。
そこに長谷川さんから電話が入った。
「も、もしもし……。物部さんですか?」
「どうかしましたか? 元気がない感じですが?」
「その……い、池のお祓いってしたんですよね?」
「ええ。それは高名な霊能力者の人にやってもらいましたよ」
「そうですか……」
「それがなにか?」
「しゃ、写真を撮ったじゃないですか……」
「はい。それが何か?」
「その……。変なモノが……。う、写っているんです」
「変なモノ? 現地でデジカメを確認した時は上手く撮れてたじゃないですか」
「そうなんですが……。いざ、パソコンに取り込むと、その……。変なんです」
「変というと? まさか、心霊的な?」
「…………説明が難しいです」
なんだか、気持ちが悪いな。
どっちの池だろう。
「上段池ですか?」
「下段池です」
下段?
おかしいな。御世さんがお祓いをしてくれたのに。
単なる撮影ミスのような気もするが、彼の態度は気に掛かるな。
「物部さんのパソコンに送りますから、確認してもらえますか?」
「ええ。いいですよ」
「それじゃあ、見てから連絡いただけますか?」
「わかりました」
俺が電話を切ろうとすると、彼はそれを止めた。
「あの……。物部さんって結婚されてますよね?」
「ええ……。それが何か?」
「ああ。良かったぁ!」
「?」
「さっきから後ろで女の人の笑い声が聞こえるんです。奥さんだったんですね!」
そう言って、電話を切った。
家の中は俺1人なんだがな……。
俺はパソコンを立ち上げる。
そこには長谷川からのメールが届いていた。
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