第17話 蔵目家と左衛門

 扉が開くと、中には痩せ細った中年の女がいた。

 彼女がこの豪邸の女主。蔵目 利栄である。

 その髪はバサバサで、目にはクマができており、頬は痩けていた。


 部屋の中は更に異質だった。

 お香と化粧品の混ざった臭いが充満しておりクラクラする。

 壁の至る所にお札を貼り、天井からは様々な宗教のお守りが掛けれてた。日本のお守りはさることながら、ドリームキャッチャーや十字架まである。

 和洋折衷とはこのことか。


「奥様、頼まれていたお守りです」


 利栄は、それを荒々しく掴み取ると、すぐさま窓側に行って引っ掛けた。


「こ、ここにスペースが空いてるのよ!! か、掛けておかないと、入ってくるわ!!」


 入ってくる?

 利栄は以前から奇妙な音に怯えていたという。きっとそれに関係しているのだろう。


 彼女は挙動不審だった。常にブルブルと震え、その視線は定まらない。

 

「奥様。この方が奥様の力になってくれますよ」


 家政婦 佐藤の紹介を受けて挨拶する。


 利栄は京子を一瞥した。


「け、刑事が来たってどうしようもないじゃない……」


 佐藤の話では既に2人の霊媒師が池の呪いによって殺されている。

 確かに、普通の人間では太刀打ちできないだろう。


 京子は優しい口調で話しかけた。


「蔵目さん。まずは話を聞かせてください。協力できるかどうかはそれ次第ですよ」


「さ、佐藤に聞かなかったの? 聞いたって無駄よ」


「霊媒師の話は聞きました。女郎々池に関係した者が不慮の事故に見舞われてるのは承知しています」


 利栄は更に視線を泳がせた。

 今の状況を話すことに恐れているように見える。

 それでも、ゆっくりと、口を開いた。



「音が聞こえるのよ……」


 

 佐藤が言っていたことだ。


「初めは気のせいだと思ったわ。ず、ずるずるってね。何かを引きずる音」


 俺が何度も耳にしてる忌まわしい音。悪霊の左衛門が移動する時、下半身にしがみ付く遊女の霊を引きずる音だ。


「私を監視するようにね。ずるずると音を出して周囲を徘徊するのよ」


 監視?

 どうしてそんなことをするのだろう?

 

「あいつは何者なのかわからない! 除霊を頼んだ霊媒師は殺された。もう気が狂いそうよ! ずっと視線を感じてる。あいつが私を見てるのよ!! ああーーッ!!」


「お、落ち着いてください! 俺たちは音の正体を知っていますから」


「……ほ、本当に? 2人の霊媒師が霊視してもわからなかったのよ?」


「正体は、響乃 左衛門の霊です」


 利栄は大きく退いた。



「ひ、響乃……!?」



 どうやら心当たりがありそうだな……。


「左衛門は複数の遊女を殺して打首になっています。あの池で晒し首になった。その怨念が悪霊となって池に近づく者を殺害しているのです」


「ど、どうしてそんなこと知ってるの?」


 京子は池に関連したファイルを広げた。そこには、あの瓦版のコピーがあった。晒し首の絵が載っている。


「さ、左衛門の呪い……だったのね」


 蔵目家は池の周辺で遊郭を経営していた……。


 京子は資料を見せる。


「私は池の歴史を調べました。何か心当たりがありそうですね?」


「……左衛門が打首になったのは蔵目がお上に相談したのがきっかけよ」


 なるほど。なら、蔵目家は左衛門に恨みを買っている可能性があるな……。


「それなのに旦那はね。あの土地が気に入っていたの。先祖が栄えた土地だったからね。でも私は大嫌いよ。女郎々池なんて気味が悪い。あんな所にビルを建てるなんてどうかしてるわ!」


 半年前に利栄の夫、蔵目 慎太郎は他界している。今、ビルのオーナーは彼女である。


「あんなビルいらない!! 手放したいのに買い手が付かないのよ!! ああーー!!」


 利栄は泣き崩れた。それと同時。あの音が聞こえ始める。




ずる……ずる……。




 左衛門が現れた!?



「ぎゃああああああ!! 来たぁああ!! 来たわぁあああ!! あいつよ!! 左衛門が来たのよぉおおおお!!」



 利栄はお守りを握りしめて泣き叫ぶ。

 京子と佐藤は混乱した。


「奥様! 私たち以外、いませんよ!」


「あの音が聞こえないの!?」



ずる……ずる……。



「ひぃいいいいいッ!! いるわぁああ!! 近くにいるぅううううう!!」


「落ち着いてください奥様! そんな音、聞こえません!!」


 どうやら、この音が聞こえているのは俺と利栄だけらしい。

 でも、なぜだ?

 左衛門が人を殺す理由は2つ。

 池の除霊と、男が幸せになった時だけ。


 利栄は池の除霊をしている訳ではない。女だから後者も当てはまらない。


「見てるぅううう!! あいつがぁああ!! 左衛門が見てるわぁあああ!!」


 見る……。

 つまり監視をする為に来てる?

 なんの監視だ?


「あんなビルいらなかったのにぃいいい!!」


 利栄は佐藤にしがみ付いた。


「あんたにあげるわ!! ただであげる!! 貰ってちょうだい!! お願いよ!!」


「お、奥様。そんなことできません」


「じゃあ、刑事さんは!? あなたにあのビルをあげるわ!! お願いだから貰って!!」


「ふ、不動産会社に引き取ってもらえば良いのではないでしょうか? 相場より格安なら引く手数多では?」


 利栄ははっと気がついたように目を見開く。


「そうね! そうすれば良かったんだ!! 佐藤、準備しなさい!! あんなビル捨ててやるわ!!」

 

 それと同時。あの音は更に大きく鳴り響いた。



ずる……ずる……。



「ひぃいいいッ!! 近づいて来てるぅうう!!」


 ビルの売買に反応した?

 そういえば、蔵目 慎太郎が死んで、池の所有はS市の農業委員会が引き取ったな。

 あの場所と蔵目家を繋げているのは、商業ビルの存在だけだ。


 もしかして、左衛門は蔵目家と離れたくないのか?

 それは恨みを晴らすためなのか、理由はわからないが。とにかく、ビルの売却は危険な気がする。


「蔵目さん。ビルの売却はちょっと待ってください!」


「い、嫌よ。あなたにはこの音が聞こえていないの!? この不気味な音が!!」


ずる……ずる……。


「聞こえています! しかし、ビルの売却に反応したように思えるんです。あのビルを売るのはまずい!」


「あんな場所から私は離れたいのよ!!」


 あと1週間もすれば朽木 春子の母親が来る。それまで我慢してもらうんだ。今はそれしかない。



「せめて、あと1週間我慢してください!!」 



 しかし、この言葉が間違いだった。事情を説明する前に、利栄の混乱を大きくしてしまったのだ。



「1分だって待てやしないわ! あいつは私を殺そうとしているのよ!!」



 彼女の目は血走っていた。恐怖というストレスが怒りになって爆発したのである。

 部屋を飛び出して叫んだ。


「佐藤、準備をなさい! あんなビル捨ててやるわ!!」


「待ってください! そんなことは危険なんです!!」


 血迷った利栄はとんでもないことを口にする。




「だったらあんな土地、全部買い取って更地にしてやるわ! ビルも池も何もかも埋め立てて無いものにしてやる!!」




 池を埋める!?

 そんなこと、絶対に言ってはいけない言葉だ!!


 俺が止めようとした瞬間。

 彼女の目は見開いていた。



「あ…………ああ…………」



 その目線の先は明らかに俺たちではない。

 しかし、確実に、そこにいる  を見ていた。


 その違和感に俺たちは後ろを振り返った。

 しかし、何もない。


 再び利栄を見た時。恐怖した。


 彼女の顔面に、一筋の真っ赤な縦線が入ったかと思うと、口から大量の血を吐いたのである。



「ひぃいいいいい!! 奥様ぁあああああ!!」



 それは刀で顔面を切断したような。そんな瞬間であった。


 彼女は床に倒れ、ピクピクと痙攣した。






「しゃへ……。も……。あぴゃ…………。げぼ………」






 口からはドボドボと血液が流れ出る。


 何かを呟いているようだが、痙攣と吐血で上手く聞き取れない。


 救急車の到着時。彼女はすでに絶命していた。




 俺たちは現場に残り警察の事情聴取を受けていた。

 そんな中、彼女の最後の言葉を思い出す。


 あれはなんと言っていたのだろうか?

 おそらく……。



『左衛門が出た』


 

 ではないだろうか?

 彼女は死に際に霊の姿を見たのだと思う。





 死因は奇妙なものだった。

 病院の診断結果は血管の破裂による突然死。

 

 彼女の顔面に見えた赤い縦線は内出血だった。

 顔面内部の血管が切れて真っ赤になっていたのである。


 こんなことは初めてだ、と担当医は言う。

 まるで、刃物で切断したように、血管が縦に切れていたのだ。

 しかし、外傷はないので、そう判断せざるを得なかった……。



 3日後。

 俺の携帯に見慣れない番号から電話が入る。

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