第16話 蔵目 利栄

 朽木 春子の死に衝撃が走った。

 

 彼女は左衛門の霊に殺されたのだ。

 池をお祓いしようとしたからである。

 

 女郎々池が産んだ悪霊、左衛門は強い。

 池に近づけば呪われる。


 呪われた者は2つのことに気をつけなければならない。

 どれか1つでも該当すれば池の呪いが発動する。



 池の除霊行為。

 そして、男が幸せになること。



 幸せになることが死に直結するなんて恐ろしすぎる。

 一生、そんな呪いにビクついて暮らさないといけないというのか。


 わずかな希望は彼女の母親だ。朽木 春子より遥かに強い霊能者らしい。

 そんな女性が来るまで1週間。彼女なら池の呪いを除霊してくれるだろう。

 

 それまでの我慢だ。

 また、この事実をどうやって周囲に伝えるかが重要だな。


 俺は京子と相談して、池の関係者を集めて説明会をする計画を立てた。

 しかし、このことを他人に伝えるのが難しかった。まず、信じてもらえないのだ。

 集めることさえ困難である。また、協力者を募ることもできなかった。


 京子は上司に相談したが、警察関係者の名前を出すことは拒否された。

 こんな荒唐無稽で不確定な事象を公には公表できないというのだ。



 そんな中、池に隣接した商業ビルの関係者から連絡が入った。

 なにやら助けを求めているらしい。


 俺と京子は、蔵目の屋敷を訪問した。


 主人である蔵目 慎太郎は半年前に事故で他界している。

 今は妻である、蔵目 利栄が所有していた。


 そこは随分と豪華な屋敷だった。

 1階にはシャッター付きの駐車場があり、5台も車を止められる。

 家政婦を雇っていて、その人に駐車位置を指示してもらった。


「本日はお忙しい中、申し訳ありません」


 丁寧に挨拶をしたのは家政婦の佐藤 珠枝。

 今回の件は彼女からの連絡だった。


 佐藤は俺の顔を見て京子にたずねた。


「警部補。この方は?」


「弟の翔太です。奥様が所有されてるビルに入っていたテナント。カフェ・ナチュラムの店長が彼の大学の先輩でした。あの事件以来、彼には協力してもらっているのです」


「物部 翔太です。今日は奥様をたずねて来ました」


「奥様は3階の部屋に閉じこもっておられまして、その……。大変怖がっておられるのです」


 怖がる?


「何に恐れているんです?」


 佐藤は言葉を選びながら、俺たちを2階のリビングに案内した。


「そういった関係者にお祓いをしてもらったのですが、どうにも上手くいきませんで。変な噂が立つのも、きっと奥様は嫌がるでしょうから」


 お祓い? 変な噂?

 一体なんの話だろう?


「それで、池の事件で捜査を担当している物部警部補なら、相談できるのではないかと思いまして……」


 京子が小首を傾げる。


「なんのことでしょう?」


 佐藤は何かに怯えるように声をひそめた。


「その……。奥様は女郎々池の御祈祷に参加したとか……」


 意外だな。まさか家政婦から祈祷の話が出てくるなんて。


「それが先月の話ですよね……。それからなんです。奥様が変わられたのは」


 変わった?

 蔵目 利栄は商業ビルの売却を希望してるらしいが、それが何か関係しているのだろうか?


「女郎々池が何か関係があるのですか?」


 佐藤はコクンとうなずくと、ゆっくりと語り始めた。


「実は……。池の御祈祷があった翌日から、変な音が聞こえると言い出したのです」


「音?」


「はい。ずる、ずる、と何かを引きずる音だと。奥様はおっしゃっていました」


 左衛門の悪霊だ。

 でも、どうして利枝に近づいて来たのだろう?

 佐藤の話振りでは彼女は生きているみたいだし、謎だな。


「それで……。奥様は気味悪がられましてね。祈祷師の松平先生や農業委員会の田村さんが亡くなられて、余計に怖くなってしまって……。ご自分で……。霊媒師っていうのでしょうか? そういう方を探して除霊を依頼したんです」


 佐藤はブルブルと震えていた。


「そ、それで……。その霊媒師の先生が言うには、池に問題があるとかで……。池に行くことになったのです」


 嫌な予感がするな。


「先生が池のお祓いをした、その帰り──」


 俺と京子は息を呑んだ。




「事故に遭ってお亡くなりになったのです」




 予感が当たってしまったことに血の気が引く。

 やはり、池の除霊を試みた者は、左衛門の悪霊に呪い殺されるのだ。



「奥様は余計に怖がられましてね。もう一度、他の霊媒師を探しました。それで……。もう本当に恐ろしいのですが……。その先生も、やはり……。い、池が問題だとおっしゃりまして……」


 

 佐藤はガクガクと震えていた。



「い、池の除霊が済んだ、その先生は……。そ、その日に……。ご自宅で自殺されたのです」



 とんでもないことになってるな。


「自殺の原因は、わかっているのですか?」


「遺書は見つかっていないそうです」


 この事件、京子は知っているのだろうか?


「そっちでは把握してる?」


「多分、他県だと思う」


 なんにせよ。不自然な死であることに変わりはない。

 しかも、2件とも除霊を行った日だ。これは確実に池の呪いだろう。

 佐藤もそれがわかっているからこんなに混乱しているんだ。


「お、奥様はそれ以来、部屋に籠ってしまって、外に出なくなってしまいました」


 なるほど。それで霊媒師じゃない警部補の京子を頼った訳か。


 俺たちは佐藤に連れられて利栄が籠っている部屋へと案内された。

 そこは屋敷の3階で、階段を昇ると直ぐに大きな声が響いた。



「誰!? 誰か来たの!?」



 それは身の危険を感じている女の声だった。


「奥様。頼まれていましたお守りと、物部警部補に来ていただきましたよ」


 お守り?


 利栄の部屋の前に来ると、その異様さにぞっとした。

 その扉には数えきれないほどのお札が貼っていたのだ。

 ドアノブには沢山のお守りが引っ掛けてある。


「奥様、鍵を開けてください」


 ドア越しに利栄の声が聞こえる。


「あ、あなたは誰?」


「家政婦の佐藤でございます」


 彼女の声は毎日聞いているというのに、この警戒。

 相当、何かに恐れているようだ。


 ガチャリという、鍵を開ける音が響いた。

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