第9話 池の歴史

 松平の焼死に言葉を失う。

 しかし、俺と京子にとってこの事件は決定的だった。


 あの池には何かある。


 呪い、というのが最も的確な表現だろうか。


 松平は女郎々池に呪われて死んだのだ。




 今日は、そのことを話しに京子の部屋へ来ていた。

 彼女はあの池の歴史をかなり入念に調べたようである。


「中々、あの池は闇が深そうよ。どうやら江戸時代には存在していたみたいね──」


 その水源は湧水で、当時は飲み水や生活用水として使われていたらしい。


 女郎々池という名前の由来だが、久保田も言っていたように、当時、あの近辺には遊郭があったようだ。

 当時、遊女のことを女郎じょろうと読んでいたらしい。だから女郎々池という。



「この場所にあった遊郭は一軒だけなの。『蔵目屋ぞうもくや』っていう店らしいわ」 



 京子は遊郭について勉強をしたらしく、その顔は得意げである。

 

「遊郭ってね。公許の遊女屋のことなの。つまり政府、当時は江戸幕府ね。そこに税金を払って認められた風俗店のことなのよ。勿論……」


 京子はジト目で俺を見つめた。


「本番行為ありよ」


「なんだよ。その目は! 遊郭がどういうとこかくらいは知ってるっての!!」


「だってぇ……。あなた小学生の時からパソコンにややこしい動画を一杯溜め込んでたじゃない。邪な気持ちで話しを聞きそうだから嫌だわ」


 掘り起こして欲しくない過去を……。


「俺、もうアラサーだぞ! いつまで子供扱いしてんだよ。邪な気持ちで聞く訳ないだろ!」


 京子は鼻で嘆息をついてから続けた。


「蔵目屋は、見た目でいうと飯盛旅籠めしもりはたごに近いの」


「飯盛旅籠ってなんだ?」


「飯盛旅籠とはね。宿場に存在した私娼を集めた場所のことよ。私娼ってのは公認を受けてない娼婦のことね。ようは税金を払ってない娼婦よ」


「なるほど。じゃあ蔵目屋は税金を払ってないんだな」


「逆ね。どうやら幕府に税金を払っていたらしいの。だから、その店は遊郭になるのよ。でもね。私娼を集めた簡易な場所だったから、映画なんかでよく見かける、花魁おいらん大夫だゆうといった地位は存在しないのよ」

 

 ようするに、税金を払ってない簡易な風俗店が飯盛旅籠で、税金を払ってる風俗店が遊郭か。んで、蔵目屋は簡易な店だけど税金を払ってるから遊郭ってことね。


「でもさ。俺にとってはどうでもいい話だな。飯盛旅籠だろうが遊郭だろうがさ」


「ふふふ。素人はこれだから困るのよね」


「はいはい。んじゃプロの京子様、その理由をお教えくださいませ」


「税金を払ってたってことは履歴を追えんのよ」


「そんなのが大事なのか?」


「非公認の飯盛旅籠なんか、記録がほぼないんだから。どんな遊女がいたとかさ。誰が主人かもわかりゃしない。屋号だって朧げよ」


「大事かな? 遊女屋があった事実だけでいいんじゃね? 俺にはやっぱりわからんな」


「ふふふ。ま、それは追い追いわかるわよ」


「それで、その蔵目屋と女郎々池がどう関係があるんだよ?」


「逸話が残ってるの」


 ふむ。なんだか確信に触れる予感がするぞ。


「蔵目屋には遊女のシノという女がいたの──」


 彼女は売れっ子だったそうだ。金持ちの侍、彦太郎と結婚が決まっていて、来月には遊女を引退するところだった。

 

「ところが、彼女を気に入っていた別の侍がいてね。左衛門というのだけど。彼はその結婚に反対だった」


 左衛門はシノと結婚したかったようだ。しかし、シノは彦太郎を愛していたので、彼の求愛を断った。


「それが、悲劇の始まりだったのね。シノへの愛は憎しみに変わった。彼女が2度と彦太郎の顔を見れないようにした……」


 京子の話に背筋が凍る。





「左衛門は彼女の目玉をくり抜いたのよ」




 

 言葉が出ない。



「絶望したシノは池の中に身を投げて死んでしまったそうよ。それ以来、あの池は女郎々池と呼ばれるようになったの」


「可哀想な話だな。その呪いが今も残っているのか」


「……実はこの話に続きがあってね」


「ほう」


「あの池沿いにある道はN県に渡る街道になっているんだけど。そこには大勢の旅人が通ってね。シノの事件以来、度々、火の玉が目撃されるようになったのよ」


「シノさんの火の玉だ」


「そうなるわよね。旅人はシノを想って嘆くようになったわ。次第に遊郭の売上にも影響したの」


「確かに、その話じゃあ、エロい気持ちにはなれないよな。売り上げは下がるか」


「蔵目屋の主人は税金の取り立てに困ったわ。それで、火の玉が出ないように供養をしたの。それ以来。火の玉は目撃されなくなったそうよ」


「良かった。そのおかげでシノさんは浮かばれた訳だ。なら解決してるな」


 しかしそうなると、ずりめろうの都市伝説につながらないな。

 ネットでは心霊スポットとしてそれなりに有名だったみたいだし。久保田の話では火の玉が見えるって言ってたからな。


 京子は目を細めた。


「その供養には形跡があったのよ」


「形跡?」


「供養塔を作ってシノの霊魂を鎮めたというわ」


 供養塔? 


「そんな物、あの池の周囲で見たことないけど?」


「そうよね。私も見てない」


 どこにいったんだろう?


「調べたらもっと興味深いことがわかったわ。女郎々池はね。2002年に増築されてるのよ」


 増築?


「広くしたのか?」


「農作業用にね。その際に蔵目屋は潰されて更地になり、今の自然公園になったの」


 それってもしかして……。


「その工事の際に供養塔を撤去したってことか?」


「その可能性……あるわね」


 2002年といえば今から20年前だ。その時に供養塔が撤去されて、怪異が始まった。

 そう考えれば辻褄が合うぞ。ずりめろうの都市伝説はそこから生まれたんだ。


「その工事はS市の農業委員会がやったのか?」


「その時は土地の地主ね」


「それって誰なんだ?」


「蔵目 慎太郎」


 蔵目!?


「そ、それって遊郭の名前じゃないか?」


「そういうこと。つまり遊郭の主人には子供がいたのよ。工事を指示したのは祖先ってことになるわね」


「凄い! そこまでわかるとは!!」


「税金を納めていると屋号の記録が残るのよ」


「あ……」


「遊郭で良かったでしょ?」


 なるほど!!


「流石はプロ!!」


「えっへん! それほどでもわ!!」

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