第8話 祈祷

 祈祷師は隣県の有名な神社から来ていた。

 大きなツボに線香を焚き、大麻おおぬさを振る。その後ろでは大勢の弟子と思われる人間が祈祷の補助をしていた。


 このお祓いに参加した者は30名を超える。警察関係者、商業ビルの地主、そして池の所有関係者である。


 本当は里絵さんも来て欲しかったのだけど、彼女曰く、この場所には2度と来たくないらしい。


 お祓いは20分程度で終わった。

 池の所有者であるS県農業委員会の田村は苦笑い。


「いやぁ、みなさん。ご迷惑をおかけしました。まさか私共の池がこんなことになるなんて」


 彼は50代の男。太っており、みんなよりも汗をかいていた。この人が農業に勤しんでいるとはとても思えないな。


「松平先生に祈祷していただければ、もう怖いものはありませんからなぁ。わっはっはっ!」


 この田村が連れてきたのが、祈祷師の松平だった。

 細く鋭い目をしており、なんだかそれらしい雰囲気がある。大勢の弟子を連れていることからも高名なのがうかがえる。


「私が祈りましたので悪鬼は去ったと言って良いでしょう」


「ふぉお。流石は先生です!!」


 本当にこれで終わったのだろうか?


 そんな俺の耳に、あの忌まわしい音が聞こえてきた。



ずる……ずる……。



「え!? え!? なんで!? どこからだ!?」



 周囲を見渡すと池の岸際が気になった。



「ああッ!!」



 思わず大きな声を出す。


 京子は顔をしかめた。


「ちょっと翔太。そんな大声出さないでよ! みんなの前で恥ずかしい!」


 今は昼過ぎである。日が照って視界がいい。


「姉ちゃん。あれ見えない!? 20メートルくらい先」


「はぁ? 何? 鳥?」


 俺の指差す方向には遊女の霊がいた。全体に黒いモヤが掛かっておりぼんやりと見える。

 顔はモヤで見えないが、着物の模様がこの前のと違っていた。


 別人かな? 


 京子には見えないらしい。


「ねぇ、何が見えるのよ?」


「やっぱりダメか。先生なら……」


 俺は祈祷師の前に立った。


「あの……。あそこを見てください!!」


 俺が池の岸際を指差すと、遊女の姿は消えていた。


「あれ!? いない!? あの……さっきまであそこにいたんですけど」


 松平は池を見て口角を上げる。


「この池はもう安全ですよ。私が祈祷しましたからね。亡くなった霊を鎮め、悪鬼は退散しましたよ」


 いや、さっき遊女の霊が見えたんだって。変な音も聞こえたし。


「ほ、本当に……。もう大丈夫なんですかね?」


「ははは。勿論です。もう心配はいりませんよ」


 田村は眉を寄せた。


「なんだ君は! 先生を疑うなんて失礼だぞ!」


「す、すいません」


 松平は俺を見つめた。


「ふむ……。あなた……。少し特別ですね。凄いオーラだ」


 え?


「もしかして、霊の姿が見えたりしますか?」


 凄い! そんなことがわかるのか!?


「は、はい」


 俺の返事に周囲はどよめく。一番驚いているのは京子である。


「守護霊……。いや、守護神かもしれない。あなたには凄い方がついておられますね」


 守護神ってことは神? 

 俺に神様がついてるのか?


「ど、どんな姿をしてるんですか?」


「……すいません。あなたのオーラが凄すぎて姿を見ることができません」


「へ、へぇ〜〜」


 俺って、そんなに凄いのか?


「霊能力というものは修行で身に付くものではありません。生まれた時から有している力なのです。きっと。あなたのオーラが神様を引き寄せたのでしょう」


 うーーむ。飲み会の時に、酒に酔って覚醒したとは言えんなぁ。


 松平は名刺をくれた。


「その力を利用したくなったら連絡をください。何かお役に立てるかもしれない」

 

 俺のことを煙たく思っていた田村は態度を豹変させる。


「この方は物部警部補のご姉弟でしたか。いやはや、先ほどは失礼な発言。お許しください。ぬははは」


「…………」


「松平先生が名刺を渡すなんて珍しいことなのですよ。あなたは凄い方だ」


 そうなのかな? 自覚はまったくないが。


「今後、何かあるかもしれない。よければ私の名前も覚えていてくださいね。へへへ」


 そう言って名刺を差し出す。


 俺も名刺を持っているが、渡すのは控えよう。特に交流を持ちたいタイプじゃないからな。

 松平のパイプラインは便利かもしれない。きっと先輩の事件解決に役立つはずだ。


 京子はそわそわしながら、みんなに囲まれる松平の元へ行った。


「あの〜〜。私は翔太の姉なんですけど、霊能力ってないのでしょうか? 」


「あなたは普通ですね。血縁者でも霊能力には差があります。気にしないでください」


 京子は、大きなタライが頭に落ちてきたみたいに残念そうな顔をした。普通という言葉が辛辣に突き刺さったようである。


「な、なんであんたが凄くて、私が普通なのよぉお!」


「知らねぇよ。俺の責任じゃない」


「翔太だけ狡いわ! 私だって霊能力が欲しいんだから!!」


 彼女は小学生の時、アニメの魔法少女に憧れていた。きっと霊能力が魔法だと思っているのだろう。


 松平は大勢の弟子に荷物を持たせて帰っていった。




 それから数日が経つ。


 依然、先輩の事件は未解決のまま。捜査に進展はなかった。

 その後、池の事故は起こっていない。フェンスが設置されたのと、おそらく祈祷が効いたのだろう。


 しかし、あの時、確かに聞こえた。ずるずると着物を擦る音。そして、姿を見せた遊女の霊。

 

 あれは何を意味していたのだろう? 彼女は水面を指さしていた。以前見た遊女の霊とは別人みたいだったけど。

 松平には見えていなかったようだ。

 

 彼の噂はネットでも大絶賛だった。高名な修行僧らしい。

 特にお金をとって祈祷をするわけではないようで、信者の寄付だけで大きな神社の宮司をしていた。


 どうやら怪しい人物ではなさそうだ。俺の霊能力を見抜いたのは本物だからな。

 本当に俺の力になってくれるのなら、連絡を取ってもいいかもしれない。


 先輩を殺したのが、池の霊、ずりめろうなのか?

 それとも、他に犯人がいるのか?


 どうしてもはっきりさせたい。

 

 もしも、全ての事件がずりめろうの仕業で、その悪霊が祈祷によって鎮められたのなら、もう事件は解決といっていい。

 


 俺は貰った名刺に書かれてある番号へ電話した。それは固定電話の番号だった。

 多忙な先生は携帯を持ってなさそうだ。

 電話に出たのは弟子らしき女性。俺はかいつまんで事情を説明する。先生に会いたい旨を伝えると、女はゆっくりと話し始めた。それは残酷な言葉を回避するように。


「この電話は臨時の社務所に繋がっているんです」


「別に私は構いません。先生とお話しができれば」


「聞かれていないようですね」


「何をですか?」


「先日、神社が火事に遭いました」


「え!?」


「拝殿も何もかも、燃えてしまったのです」


「そ、それは大変ですね」


「社内には先生の自宅がありましてね。そこに複数のお弟子さんとご家族で住んでいたのですが……」


 耳を疑う。




「全員、火事に巻き込まれてしまったのです」




 神社は燃え、松平を含め8人の死亡者が出たという。

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