第6話 関連
錦の葬儀が済んでしばらく経った。
俺は里絵さんの手伝いに、商業ビルに来ていた。
彼女の顔を見るのが辛い。目にクマができて、随分と痩せている。
彼女は、事件後。直ぐに店を閉まって実家に帰っていた。
店の家具はほとんど撤去されたものの、看板なんかはそのまま残っている。
今日は、そんな看板を仕舞ったりする最後の片付けだった。
「物部君。ありがとうね。私、電気の配線とか、疎くてわからないのよ。全部、あの人任せだったしね」
「気にしないでください。全然大丈夫ですから! 俺、こういうの得意なんです」
一通り片付けを終えると、里絵さんはペットボトルのお茶をくれた。
「……気を使ってくれてありがとうね」
「そんなんじゃないですよ。その……。ここは先輩の店でしたからね。せめて最後くらい片付けてあげたかったんです」
里絵さんに向かって何度も目を凝らしたけれど、一度も先輩の姿を見たことがない。
もう成仏してしまったのだろうか?
「何度も心配の電話とか……。嬉しかったよ。ありがとね」
「……いえ」
電話をしたのは理由がある。心配していたのは言うまでもないが、それ以外にも気になることがあった。
「最近、変わったこととかないですか?」
「うん。大丈夫」
今日は思い切って聞いてみよう。
「その……。こんな事件があった後ですから、少しの異変でも注意した方がいいと思うんです」
「少しの異変?」
「あ、ほら! 俺の姉がこの事件の担当で、早く犯人捕まえて欲しいですし。それに、里絵さんに何かあったら怖いですから」
「そっか。物部君の姉さんって警官だったわね」
「一応、刑事課の警部補みたいです」
「……そう、じゃあ頼りになるわね。でも、本当に何もないのよ」
彼女は取り調べで辟易していた。なにせ、第一発見者、ならびに第一容疑者でもあったからだ。
だから、彼女の身辺を探る行為などは、彼女の精神的苦痛を広げる行為なのである。
しかし、これは彼女の身を案じての質問なのだ。
「た、例えばですけど、その……。変な音がするとか?」
「音?」
「ずるずるって這いずる音とか、聞いたことないですか?」
「うーーん。そんなのは……。ないわね」
そうか、なんだか安心するな。
別にずりめろうの噂話を信じているわけじゃないけど。もしかがあるしな。
里絵さんの子供が産まれるのは来年の春ごろらしい。
今はそれだけが、彼女にとって心の拠り所になっているようだ。
店の片付けが終わり、空が夕焼け色に染まろうとしていた頃。
里絵さんは自分の車に乗ると窓を開けた。
「物部君の友達も、この池で亡くなったんでしょう?」
「ええ……。まぁ」
「呪われてるわね。ここ」
「……そうかもしれないですね」
「君も気をつけてね」
「はい」
「子供が生まれたら連絡するわ。元気でね」
「里絵さんもお元気で」
彼女は池を見ることもせず、車を運転して実家へと帰って行った。
俺は自分の車に乗る前に、ふと池が気になった。
「少しだけ……」
道路沿いに池を眺める。
池の四方には立派な看板が立っていた。
そこには【釣り禁止】の文字がデカデカと載っている。
錦が言っていたのはこのことだろう。確かに、こう書かれると釣りはできない。
池側からは商業ビルが見える。カフェ・ナチュレの窓には木の板が貼り付けられていた。
「あそこから、ガラスを蹴破って先輩は池に引きずられたのか」
空が夕暮れになった、その時。池の岸、葦の群生した場所に赤い着物を着た女が見えた。
「え!? だ、誰だ!?」
女の体は黒い霧のようなモヤがかかっておりハッキリとは見えない。顔も、そのモヤで隠れて見えなかった。
明らかに人ではない。それだけは確実にわかった。
ず、ずりめろう、なのか?
着物は豪奢な模様だ。おそらく遊女の着物だろう。
「お、お前は誰だ!?」
俺の問いに反応するように、女は指を差した。それは水辺を示す。
せつな。
ずる……ずる……。
こ、この音は!?
姉ちゃんといた時に聞いた音だ!
俺は辺りを見渡すも、何も見えなかった。
再び女の方を見ると、その姿は跡形もなく消えていた。
「あ、あれが、ずりめろうだったのか?」
あの服は間違いなく遊女のものだ。
這いずる音は、もう聞こえない。
なんだったんだ?
俺は家に帰る車の中で、遊女の霊について考えていた。
彼女は池を指差していた。池に、何かあるのだろうか?
実家に帰って夕食を済ますと、京子と話すことにした。
「今日、谷口先輩の奥さんに会って来たよ。かなり疲れてるみたいでさ。顔を見るのが辛かったな」
「そう……」
京子も辛そうだ。きっと捜査が上手く進んでいないのだろう。
「里絵さんは容疑者からは外れているんだろ?」
「守秘義務」
「わかってるよ。絶対に口外しない」
「……何もわかってないのよ。だから勘でしか話せないんだけど。はぁ……。こんなこと私の刑事人生の中でも初めてよ。……里絵さんは勿論のこと。怪しい人物はまだ見つかっていないの」
「じゃあ、本当に手がかりゼロ?」
京子はコクンと頷いた。
驚いたな。じゃあ、本当にあの池は呪われているのか?
「姉ちゃんはさ。ずりめろうの都市伝説は知ってる?」
「……心霊マニアの間じゃ、有名な話みたいね」
「もしかしてさ。犯人は人間じゃないのかも」
「幽霊が犯人だって言いたいの?」
「でも、それくらいしか考えられないだろ?」
「噂だと、池に近づいたら遊女の霊に引き摺り込まれるんでしょ。ありえないわよ。私だって、あんただってあの池には行ってる。捜査関係者は50人以上が池に行ってるのよ。みんな、何もないじゃない」
確かに。
錦と釣りに行った久保田には何も起こっていない。
「でも、変な事件じゃないか」
「確かにね。でも、もう事件は起こらないわよ」
「ああ、そういえば釣り禁止の看板が立っていたな」
「あとね、柵が設置される予定なのよ。所有者が動いたのね」
所有者?
「……確か、看板にはS市の農業委員会の名前があったな」
「へぇ……流石は私の弟。よく見てるじゃない。あの池は公園の一部のようで、その目的は農業用水に使ってるみたいね」
姉ちゃんは、あの池のことをどこまで知っているんだろう?
「昔、あの池周辺には遊郭があったらしいんだけど。調べてる?」
「池の歴史は事件に関係ないもの。流石に知らないわよ」
俺が見た遊女の霊が気になる。彼女は池を差していた……。
いや、待てよ。あの指の先……商業ビルかもしれない。
「カフェ・ナチュレムがあったビル。その所有者も農業委員会なの?」
「あそこは所有者がいるわね。凄い金持ちよ。あのビルは趣味で作ったみたい」
趣味で作るなんて金が余っているんだな。
整理すると、ビルの土地は個人で、池は農業委員会か。
遊女の霊が個人に恨みがあるならビルの持ち主を殺してたりして……。
「その金持ちは無事なの?」
「亡くなってるわね」
「えッ!?」
「半年前かしら? ビルができる直後ね。交通事故みたいよ。ビルの所有権は奥さんが引き取ったの」
偶然か……? 寒気が止まらないな。
「この事件……。やっぱりなんかおかしいよ。錦が溺れたのだって不自然だしな」
「不自然か……。そういえば錦はライフジャケットを着てなかったのよ。それが原因で溺れたんだと思うわ」
それがそもそもおかしいんだ。彼の釣りの写真は何度か見たことがあるが、その時はライフジャケットを身につけていた。
おそらく、溺れるような深場の近くでやる時は着ているんだ。
女郎々池の釣り。彼は傾斜の緩い湿地帯でやっていた。しかも、警察の見解では、水辺から水深が深くなる地形まで2メートルもある。
つまり、足がつく距離が2メートルあるということだ。わざわざ自分から深場に向かって2メートルも進むなんてありえないだろう。
釣り人は水深を把握しているものだ。どこで魚に餌を食わすか計算している。錦は水深がわかっていた。傾斜の緩い場所。しかも深場からは2メートルも離れている。だから、錦は安心してライフジャケットを身につけていなかったんだ。
しかし、これは推測にすぎない。こんなことを京子に伝えたところで、証拠がなければ立証できないだろう。
彼女は目を細めた。
「以前にも話したと思うけど……」
なんのことだろう?
「暴力団金田とカフェの店長谷口の事件と共通してる……」
「なんの話だよ?」
「錦にもあったのよ」
それは常識では考えられない怪奇な現象だった。
「喉に、小石が詰まっていたの」
寒気で汗が引く。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます