第5話 釣り

 錦と久保田は、互いの休みを利用して女郎々池に来ていた。

 噂のアリゲーターガーを釣るためである。

 これには敬遠していた久保田であったが、錦の強い推しに負けたのと、日暮れ前には帰る条件で付き合ったのだ。


「なぁ、錦。もう3時半だぜ」


 久保田は沈まない浮きに飽きていた。

 アリゲーターガーの餌は大きな魚の切り身なので、他の魚が釣れないのである。

 2人は大物用に太く長い竿を用意していた。そこにセンサーを付けて、竿が曲がれば音が鳴る仕組みである。

 朝6時から始めて、かれこれ9時間半も経つ。


「あっちのがいいのかなぁ?」


 錦はぼんやりと対岸を見つめた。そこには黄色いロープが設置されていた。


「おいおい。流石に俺は嫌だぞ。あんな所、気味が悪い」


 黄色いロープが設置された場所は水死体が上がった場所である。彼らはそんなロープがない所から池の岸際に入ったのだ。


 もともと、この池は釣り人が少なかった。都市伝説の元になっている、火の玉や、女の呻き声などの怪異が多発していたのである。

 よって、釣り人の中では知る人ぞ知る穴場であった。


「久保田、もう少しがんばろうぜ。釣り禁止の看板なんか立ってみろよ。警察の見回りが来るようになるだろうしさ。そうなったらもう終わりだぞ。ここで釣りができるのはこれが最後のチャンスなんだって」


 久保田は眉を寄せた。この池が心霊スポットとして有名なことをよく知っていたからだ。しかも、犯人不明の殺人事件が2件も起こっている。

 彼は釣り竿を片付け始めた。


「悪いな。約束は約束だからさ」


「おいおい。もう少し待てって」


「なんかあったら嫌だからな」


「んなもんないって。今までだって何十回もここに来てるじゃないか! 去年なんか真っ暗になるまでやってた」


「もう状況が変わったんだよ。お前だってわかるだろ?」


 そう言って、久保田は自分の車に釣具を乗せると早々に帰って行った。

 残った錦は頬を膨らます。


「絶対、釣ってやるかんなぁ」


 浮きが見えるのは夕暮れが限界。勝負はあと1時間足らずであった。

 そんな時、ふとスマホの画面を見るとメッセージが入っていた。


「あれ? 美咲ちゃんからだ」


 彼女は錦が狙っている女性である。そんな美咲から、話したいことがある、とメッセージを受けたのだ。

 錦は直ぐに電話をかけた。


「メッセージ読んだよ。話したいことって何かな?」


「錦君……。あのね……。電話で言うことじゃないかもだけど……。やっぱり早く伝えたいなって思って」


 彼は興奮していた。周囲の音が聞こえないほどに。




ずる……。ずる……。




 それは何かが這いずる音だった。

 それは錦に近づく。



「本当に!? マジで!?」


「うん……。錦君、思ってたより真面目な人だしね」


「やったーー! やったやったーー!!」


「ははは……。喜び過ぎぃ」


「これが喜ばずにいられますか!! 美咲ちゃんと付き合えるんだからさ!! こんな嬉しいことないって!! いやっほぉおおッ!!」


「ちょ、錦君、声大きいって。恥ずかしいじゃない!」


「大丈夫だって! 今、女郎々池で釣りやっててさ、誰もいないんだ!」


「ほ、本当に?」


 彼は道沿いにある商業ビルに目をやった。カフェ・ナチュレムの里絵は引っ越しており、扉は閉まっていた。


「こんな所、誰もいないって。きゃっほーーーーッ!! 俺は美咲ちゃんの彼氏になったぞーーーーッ!!」


「んもう……。錦君ったら」


 その時、水面に浮かんでいた浮きが激しく沈んだ。


「え、ちょ! マジか!?」


ピピピピピピピピピッ!!


 センサーの音がけたたましく鳴り響く。


「何!? なんの音!? ど、どうしたの錦君!?」


「魚がかかったんだよ!」


「電話切ろうか!?」


 錦はスマホを顔と肩の間に挟んだ。


「大丈夫。余裕だから!」


 センサーの電源を落とすと、竿を両手で構えた。

 浮きはぐいぐい沈み、リールからは糸がギュルギュルと止めどなく出る。長い竿は弓のように曲がり今にも折れそうだった。


「デカイ!! こりゃ、メーターあるぞ!!」


「に、錦君。電話切るね!」


「ああ、待って!! これ絶対アリゲーターガーだからさ! 釣ってる感動を美咲ちゃんに伝えたいんだ!!」


 錦はスマホを地面に置いてリールを巻いた。


「うぉおおおお!! 絶対、釣ってやるぅうう!!」


 美咲は離れたスマホから聞こえる彼の叫び声に応援した。


「が、がんばって!!」


 釣り糸が出るのは止まらなかった。大物用に太い糸を使っているので切れる心配はないが、竿が水の中に持っていかれそうである。


「な、なんだこの引き!? 魚かこれ!?」


 体はジリジリと水面に引き寄せられた。

 靴の中に水が入ると、驚きのあまり手を離した。竿はそのまま水の中へと引き込まれていった。


「ああ! そんなぁあ!!」


 しかし、悔やんでもどうしようもなかった。池に潜って竿を探すわけにもいかず。錦は岸辺に戻ろうとした。その時、彼の喉に異変が起こる。何かが詰まって息ができなくなったのだ。

 錦は必死に抵抗し、ゲホゲホと咳き込んだ。


 違和感を感じた美咲はスマホ越しに大きな声を出す。


「錦君! 大丈夫!?」


「ゲホッ! ゲホッ!!」


 錦は喉の中に詰まっている物を吐き出した。

 それは人の目玉だった。



「え……ッ!?」



 その瞬間。水の中から白い手が飛び出して、錦の腿を掴んだ。



「うわぁあッ!!」



 凄まじい強さで水中に引きずられる。







「ぎゃああッ!!」






 それはスマホのスピーカーが壊れるほどの大きな叫び声だった。



「錦君! どうしたの錦君!? 返事して!!」



 美咲のスマホに彼の声が聞こえることはなかった。

 僅かにバシャバシャと水の跳ねる音。そして風の音が聞こえるだけ。

 しかしそんな音も、しばらくすると何も聞こえなくなった。






 翌日。

 美咲の通報により、女郎々池に再びパトカーが並んだ。大勢の警官が池の周囲を取り囲む。鑑識官は錦の車を入念に調べ、池の周囲には黄色いテープが巻かれた。



 錦は外傷がないことから、事故死と判断された。

 

 彼は喉の中に沢山の小石を詰まらせていた。

 鑑識は、池に溺れた際に飲み込んだもの。と判断する。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る