第4話 都市伝説

 俺は霊に呼びかけた。


「先輩」


 京子には霊が見えない。ただ怪訝な顔をする。


「なによ。急に!?」


 谷口先輩の霊はボソボソと何かを呟きながら、ずっと京子を見つめていた。


 どうやったら先輩と話せるのだろう?

 彼と話すことができれば犯人がわかるのに。


「シャワー浴びて寝るわ」


「え?」


「あんたも早く帰りなさい。采ちゃん一人でしょ? 心配するじゃない」


 いや、今はそんなことより、こっちが大事なんだ。

 

「先輩! 犯人を教えてください!」


「ちょっと、私は先輩じゃないわよ。笑えない冗談はやめて!」


 ダメだ……。

 俺の方を見向きもしない。


 先輩はブツブツと何か言葉を発している。


 なんて言ってるんだ?


 俺は京子に顔を近づけた。


「ちょ! あんたね。本当に怒るわよ! 今は冗談やってる気分じゃないんだから!!」


 ダメだ! 姿は見えても声が聞こえない!!

 

「もう帰りなさい。私、疲れてるんだから」


 だから、そんな場合じゃないんだって。ここに犯人の目撃者がいるんだからな!



 俺は京子がシャワーを浴びている時もキッチンに残って考えた。


 どうすれば会話ができるんだ?

 幽霊と話す方法……。


 そんな時、聞き覚えのある音が聞こえて来た。



ずる……ずる……。



 この音、前にも聞いたことがある。床下に何かいるのか?


 それは廊下を通って風呂場へと向かっていた。


「何も見えないけど……。なんの音だ?」


 俺は風呂場へと向かった。


 音は浴室へと入ってしまう。

 その時。



ガタン!!



 急に大きな音が鳴り、それと同時に京子の悲鳴が響いた。



「きゃあッ!!」



 なんだ!?


 俺は咄嗟に中に入った。


「姉ちゃん!?」


 そこには裸のまま尻をついた姉の姿があった。


「痛てて……。ははは、ちょっと石鹸で転んじゃった」


「…………何やってんだよ。まったく」


「そ、それはこっちのセリフよ。姉の風呂場に入ってくるんだから」


「ばかやろう。そんなんじゃない!」


 俺は再びキッチンに戻った。


 音の正体も霊と話す方法も、わからないまま時が過ぎる。

 姉はパジャマに着替えて現れた。


「あんた。まだいたの?」


 再び目を凝らす。


 あれ? 先輩の姿、見えないぞ。


「何よ。ジロジロ見て?」


 おかしいな。さっきは見えたのに。

 成仏したのかな?


「あんた。もしかして寂しいの?」


「は?」


「気持ちはわかるわ……。知人を亡くしたら、心にぽっかり穴が空いたみたいになっちゃうわよね」


「いや……。そんなんじゃないんだけど」


「よし。わかった!」


「な、何が?」


「一緒に寝るか?」


「はぁ!? なんでそうなるんだよ」


「昔はよく寝たじゃない。2人でさ」


「いつの話だよ」


「ほらぁ。2人でホラー映画見た時とかさ。あんた震えが止まらなくてぇ」


 そういえば、そんなことがあったかもしれない。


「テレビから幽霊が出てくるヤツ。あれ怖かったわよねぇ」


 今はリアルな幽霊が見えるようになってしまったけどな。


「なんなら采ちゃんを呼んで3人で寝る?」


「小学生か」


「いいじゃない。どうせあんた達、明日もご飯食べに来るんだから」


「帰るわ」


「あ、じゃあ。ちゃんと采ちゃんには報告しなさいよ」


「何を?」


「姉の裸体を見たってね♡」


「ばか」


 やれやれ。いつもの姉ちゃんだな。

 それにしてもおかしいな。どうして霊の姿が見えなくなったんだろう?


 俺は小首を傾げながら家に帰った。





 俺は大手総合商社の営業事務の仕事をしている。役職は主任。派遣の女性社員が多い職場だ。

 妻の采ちゃんとはここで知り合って結婚した。いわゆる職場結婚というやつである。


 そこはビルの30階。退屈な事務処理でも中々に見晴らしがいい。


 今日は晴れだからな。遠くまでよく見える。


 そんな昼時の社員食堂。


「え? 女郎々池で亡くなった人。お前の先輩だったのか!」


 同僚の錦が日替わり定食を食べながら眉を上げた。

 職場の窓から見える山。そこは隣町のS市に当たる。あの池がある場所だった。車で走れば30分の距離である。

 社内ではもっぱらの噂話。近場で殺人事件があり、その犯人は未だ捕まっていないのだ。


 先輩の話は適当に濁した。あまり話すと京子から聞いたことまで話してしまいそうだ。

 それに、慕っていた先輩のことを、興味本位で話したくない。


 錦は俺の空気を呼んで「気の毒だったな……」とポツリと言った。

 それからはいつもの調子である。

 彼の言葉に耳を疑う。


「行きにくくなったよなぁ。デカイのがいるのに」


 錦は釣りが趣味だった。あの池には何度も足を運び、大きなナマズを釣っているという。


「80センチのを釣ったことがあるんだ」


 そんな自慢よりも、気になることがある。


「お前、女郎々池に行って、なんともなかったのか?」


「何が?」


「人が連続で亡くなっているんだぞ?」


「ああ、そんなのは平気だわ。俺が住んでるマンションは事故物件だしさ」


 凄い神経してるな。


「ははは。気にしたら負けだって」


 そういえばこいつ、心霊スポットに行った時、女の霊に取り憑かれていたな。

 あの時は本当に怖かったけど……。今は、見えないな。

 女の霊、どこに消えたんだろう?


 まぁ、取り憑くということは、霊も移動する訳だし、憑いても張り合いのない彼だから飽きてどこかへ行ってしまったのかもしれないな。

 ってことは、京子に憑いていた先輩もどこかへ行ってしまったのだろうか?

 うーーん。幽霊ってのは謎が多いな。そういえば……。


「おまえ、体の調子はどうだ? 肩凝りが酷いって言ってたよな」


「んなもん、いつの間にか治ったわ。ははは」


 能天気すぎる。霊障なんて言葉、彼にとっては無縁なんだろうな。

 

「うーーん。どうしようかなぁ」


「何が?」


「いやな。あの池にアリゲーターガーがいるって噂なんだよ」


 ワニみたいな名前だな。なんか聞いたことがあるが……。


「それ、魚か?」


「ああ、外来魚でな。ワニみたいな顔の古代魚。元々はアメリカの魚なんだけどさ。ペットが捨てられて野生化してるんだ」

 

 そういえば、ニュースで見たことがある。


「そんなのが女郎々池にいるんだぜ。目撃例じゃ1メートルを超えてるみたいなんだ。それを釣りたいんだよなぁ」


「そんなもん釣ってどうするんだよ? 食べるのか?」


「まさか。写真撮って自慢すんだよ。へへへ」


 釣り人の感覚は理解に苦しむ。


「今はまだ入れるだろうしな。本格的に池の持ち主が動いたら釣り禁止になっちまうよ」


「まだ、立ち入り禁止だと思うぞ」


 俺は里絵さんを心配して何度かあそこを訪問したからな。

 池の周りには黄色いロープが設置されて、それには「立ち入り禁止」の看板が掛けられていた。


「物部は知らんだろうがな。立ち入り禁止と釣り禁止は大きく違うんだ。立ち入り禁止は、釣りを禁止している訳ではないのだよ」


 立ち入らないと釣りはできないからな。同じことだろう。マナーが悪すぎる。


「今度の休みが最後のチャンスかもしれん。釣り禁止の看板が立つ前に行ってくるわ」


 おいおい、本気かよ。


 錦は食堂で同僚の久保田を見つけて声をかけた。彼も釣り好きで有名である。


「久保田。いい話があるんだ」


 彼は怪訝な笑みを浮かべながら俺達のテーブル席に座った。錦に、いい話、などと言われると誰でもこんな顔になるのだ。




「女郎々池に行くだと? 断る」


 懸命な判断である。それが真っ当な人間というものだろう。

 

「妙な噂が立ってるしな。危ないよ」


 噂……?


 俺はその言葉が気になった。


「どんな噂なんだ?」


 久保田は目を細めた。


「ずりめろうの都市伝説。知らないのか?」


 ずりめろう……?


「なんだ、それ?」


 久保田の目は真剣だった。ゆっくりと話し始める。


「遊女の姿をした幽霊が、男を池に引き摺り込むんだ。あの池は心霊スポットとしてネットでは知られている。最近、特に火の玉の目撃例が多い。写真だって撮られてる。きっと遊女の霊が火の玉になって引きずる相手を探しているんだ」


「なんで遊女なんだ?」


「昔、あの辺には遊郭があった。それで酷い目にあった遊女が地縛霊になったんだと思う」


 地縛霊が人を引き摺り込むのか……。


 俺は京子との会話を思い出していた。


 姉ちゃんは、超能力、なんて言っていたけれど……。



「その女はな。足を怪我してるみたいで、上手く立てないんだ。だから体を引きずって移動する。遊女のことは女郎めろうって言ったりするからな。這いずる女郎で、ずりめろう、さ」



 這って移動する……?



「ずる……ずる……ってさ。這うんだよ。ずりめろうは」



 あの音……。姉ちゃんが風呂場に行っていた時に聞こえたあの音……。



「着物を着たままでな。ずるずるって。這って近寄って来るんだ」



 丁度、そんな音だった。着物を地面に擦ったような音……。

 頭の中で響く。


ずる……ずる……。


 俺は寒気が止まらなかった。

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