青空の下、屋上にて ③

「あの日、君が撃たれた球が飛んできて……バリィンと、部室の窓ガラスの割れる音がした。……その後の記憶は、俺にはない」


 その距離、目測5m。銃口を俺へと向けながら、相変わらず淡々とした口調で西田はしゃべっている。声色に怒りのような感情がこもっているのがかすかに伝わる。


「記憶がない?」


 俺が聞き返すと、西田は、銃を持っていない左手を上げ、自分の頭をすっと指さした。


「直撃したんだよ、ココにな。ガラスを割った硬球が。……私は意識を失い、目が覚めたのは2日後の朝、病院の治療室のベッドだった」


え、いや、ちょっと、ちょっと待て。

耳には西田の言葉が入ってきているが、頭での理解が追い付かない。

硬球が頭に直撃した?

2日間意識がなかった?

下手すれば命に関わる一大事じゃねえか。

その話の衝撃に、唖然とした。と同時に、「あること」にも引っ掛かる。


「その話……聞いてねぇぞ」


そう、おかしいのだ。今の話が初耳であることが。学校中で話題になっても不思議ではない大事だ。ましてや、その当時俺は野球部で、硬球をぶっ飛ばされたある意味で“張本人”だ。


「そりゃあそうだろう」

西田が、ハッと、笑った。


「そんなことが公になったら、困るだろう?君たち野球部が」


自然に、汗がにじみ出てくるのを感じる。炎天下の暑さからくるものとは別のもの。話が繋がってくるにつれ、自分が“知らされなかった”ことの意味が、分かってきてしまう。


「目が覚めた日……校長と教頭が病室にやってきた。頭に包帯を巻いた私に、青ざめた表情でこう言った。“いいかい西田くん、君は……部室で転んで頭を打ったのだ”……ンフ、今思い出しても笑えるね」


恰幅のいい体つきと、テカった額に禿げかかった後頭部。校長の姿が頭に浮かぶ。あまり目にした機会はないが、そういえばたまに,

豊満なビール腹を突き出して、のしのしと野球部の練習を見に来ていた。

“実は私も元高校球児でねぇ!白球を追いかける少年たちが大好きなんだよねぇ”

“黄金ルーキー東くんの調子はどうだい?彼にかかってるんだからねぇ今年の野球部はねぇ!”

とかなんとかバックネット裏でまくし立てては、満足して帰っていく……ということが何度かあった。


つまりは期待していたのだ、あのおっさんは。自分の高校の野球部に。だから……


「関わってないことにしたんだな。あのおっさんは。お前のケガと、野球部が」


「そうさ、私も大事なく快方に向かったのをいいことにね。故意ではないとはいえ、大事な甲子園予選直前の野球部が、ましてや黄金ルーキーが飛ばした球が、生徒に大けがを負わせたことが公になれば、いろいろと“支障”が出てくるのは明白だからね。……だが、それだけじゃない」


西田が、さらに苦々しい表情になる。


「大会の直前だったのは、僕らも同じだ」


「……大会?」


「科学部の大会……といってもどうせ君は、というか全校生徒がピンとこないだろうが。1年に1度、全国で予選と、勝ち上がった高校で争う科学部の技術と知識を競う大会があるのさ。私たちにとっては、大事な価値ある目標だ。君らが甲子園を目指すのと同じように。そして“あの日”は……その予選の前日だった。

当然、意識も定かでない私は出場はかなわない。そして大会の出場規定は1校につき4人以上。残された部員は3人……君たちが今日返り討ちにした黄色、青、緑ハチマキの3人のことだが……辞退を余儀なくされ、何か月もかけて準備してきたものは突然無駄になった」


ゴクリ、と唾を飲む。

「もうやめてくれ」と言いたくなってしまう。そんなことが俺の……俺たちの知らないところで起きていたなんて。その事実のひとつひとつに胸が締め付けられていく。


「校長と教頭は、そんな大会があったことすら知らなかったよ。“それは残念だったね”の一言で終わりだ……私は呆れ、怒った。だから、すべてを公にしようと決めた。大けがに野球部が関わっていること、私たちが大会に出られなかったこと、すべてを、学校中で、演説して回った。校門で、クラスで、こんなことがまかり通ってはならないと、一緒に声を上げてくれる人を募った」


西田は、ひと呼吸を置き、「だけど」と振り絞るようにつづけた。


「誰も、耳を傾けようとはしなかった」


俺はただ、西田を黙って見つめることしかできない。


「結局はみんな、校長と同じだったわけだ。“大したことじゃない”のさ。知らない「科学部」の誰かがケガをしても、知らない大会に出られなかったとしても、“大したことじゃない”……

“そのせいで野球部が大会に出られなくなることのほうが問題だ”

“あんなに頑張ってる野球部の邪魔をするな”……。

そして君たちは何も知らないまま、大会に出場し、勝ち進み、学校中のヒーローになった。全校生徒がもてはやした。文字通り、なかったことになったのさ、この学校の人々のなかで。私が大けがしたことも、大会に出られなかったことも」


西田は一歩前に出て、俺に近づく。


「教えてくれ、早見跳彦。もしも立場が逆だったら……もしも科学部のせいで野球部が大会に出られなくても、学校の生徒たちは、校長は、同じ反応だっただろうか?同じ対応だっただろうか?」


「それは……」


西田のその問いかけに、俺は答えることができなかった。


「もともと、3年時は受験に専念するつもりだったから、去年の大会が、私にとって最後の大会だった。だから私は決めた。“大事な大会”が奪われた私と同じように、全校生徒にとって“大事な日”を奪おうと。私にとっては文化祭なんて、はなから興味のない行事だ……“大したことじゃない”」

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