誰がために校舎を走る ④
「鍵は閉めてたはずなんだけど」
そう尋ねると、西田は、ハッと鼻で笑いポケットから鍵を取り出した。
「化学部部長だぞ。化学室の合鍵くらい、勝手に作って持ってるのは当然だろう」
いや当然ではないでしょ。と心内でつっこむ。さっきの野球部の“ヤリ部屋”しかり、この学校のモラルはどうなってんだ、と半ば呆れかえる。
というか、そもそも西田がここにいるってことは……私はいやな予感がした。
「早見くんとはもう会ったのかしら」
「んん?」
西田は、はて?と怪訝な表情をした。
「さあ、早見跳彦氏のことは知らんが……そういえば君と共にちょこまかと逃げまわっていると思っていたが、ここにはいないようだな」
意外な反応だったが、とぼけている、のではなさそうだ。どうやら本当に西田と早見くんははち合わせていないのかもしれない。行き違いになったか?頭の中でぐるぐると思いを巡らせる。っていうか全然時間かせぎできてないじゃんアイツ!と舌打ちしても状況が好転するはずもなく。いずれにせよ、今あたしがめちゃくちゃピンチなことに変わりはない。
「まあいい。それより……」
西田は、身に着けていた白衣の大きな腰ポケットから、セピア色の小型瓶を取り出した。
「君の探し物は、これかな?」
瓶の側面のラベルには、手書きの字で「ヤルキデテクール」と書かれていた。
「なっ……」
「前に君に話したことがあるのを思いだしてね……あらかじめ回収しておいたのさ。案の定、勘のいい君の行動を予測してここに来てみたが、予防線を張っておいて正解だったようだな」
完全に先読みされていたのか。ほくそ笑む西田を尻目に、私は唇を噛んだ。
「つまり……あたしの読みは正しかったってわけね」
「その通り……。この“ヤルキデテクール”で、“ドウデモヨクナール”の効力を相殺することができる。廃人と化したバカ共をもとに戻す唯一の治療薬だ」
「そう……」
その“唯一の治療薬”が希望だったのに……こうなったらイチかバチかだ。
私は水鉄砲の銃口を西田に向けた。
「だったら力づくで奪い取るだけよ」
その距離およそ5m。引き鉄を引けば十分当たる距離にある。ピク、と西田の眉が動く。
「力づく……?ンフンフ……やめておけ」
西田がそう言うと、後ろに立っていたピンクマスクの大男がぬっと黙って前に出た。
190センチ近い体格。さすがに威圧感があり、思わずたじろぐ。
西田が得意げにぺらぺらと喋り出した。
「計画を実行するうえで、万が一の“抵抗”に備えて、どうしても腕っ節のある男が欲しくてね、期末試験の攻略と引き換えに、柔道部主将・権田原くんを引き抜いたのさ」
あ、え、この人同い年の高3なんだ!こんなでかいのに!?と驚きつつ、冷静にその巨体を見回すと、顔面のマスクだけでなく、長袖・長ズボンのジャージ、そしてその下におそらく、ウェットスーツのようなものを着ている。この真夏にめちゃくちゃ暑いだろうに……というのは置いといて、これもおそらく西田の考えだろう。あたしたちが水鉄砲を奪って武器に使ってることを知ったうえで、用心棒に“防水対策”をほどこす……どこまでも用意周到なヤツだ。
だったらもう、とるべき道は、これしかない。
私は水鉄砲をスカートのウエストにはさみ、代わりに朝に拝借してから腰にぶら下げていた“護身用”の竹刀を手に取る。振りかぶって、男へと小走りで近づく(剣道自体は当然やったことがないので、たぶん不格好極まりないが)。柔道部の大男だろうが、竹刀持って迫られたら、多少はたじろぐだろう。その隙を狙って、朝に黄色ハチマキ男を撃退したときと同じように、すねに一撃をくらわせる……。これでダメージのない人間はいない、はずだ。
という、私の渾身の戦闘プランは、一瞬にして打ち砕かれた。
私が竹刀を振りかざして迫っても、ピンクマスクは一ミリも微動だにしなかった。すねを打とうと体勢をかがませる前に、振りかぶった竹刀をガッと、右手でつかまれる。
「えっ」
そのまま竹刀を右手一本の力で奪われ(両手で一生懸命握っていたが、お話にならなかった)、唖然としているうちに、その大きさに似合わない俊敏さで、背後を取られる。丸腰になった両手を後ろで組まされ、太い腕でロックされる。圧倒的な腕力差で身動きがとれない。
もしかしたらいけるかも、とたかをくくっていた自分が恥ずかしくなるほど、赤子の手をひねるように戦闘終了。……いや反則でしょ!か弱い演劇部女子相手にこの大男は!と心の中で叫ぶも、後の祭りである。
「ご苦労」
と、静観していた西田が私に近づき、水鉄砲をかざしてきた。
「だから言ったろう?力づくはやめておけと」
「………!!」
私は黙ったまま西田をにらみつけ、せめてもの抵抗に、右足を精一杯ふりあげ、西田が私に向けていた水鉄砲を蹴り飛ばした。西田の手を離れた水鉄砲がガシャリと地面に落ちる。落ちどころが悪かったのか、表面にヒビが入っていた。
「乱暴な女だ」
西田はそう言って私を一瞥した。
「おい、佐原の腰にしまってある、それ、代わりによこせ」
そう西田に指示されたピンクマスクは、乱暴に私の水鉄砲をとり、西田へひょい、と投げる。 受け取った西田は、今度は蹴とばされないように、数歩後ろに下がってから、もう一度私に銃口を向けた。
「散々手こずったが……ンフフフ……これで終わりだ。佐原春乃」
第7話 誰がために校舎を走る おわり
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