誰がために校舎を走る ③

職員室に寄って(言わずもがなそこにいた教職員は一人残らず生気を失っていた)、拝借してきた鍵を差し込む。扉のガラス窓には、“化学室”と記されたボードが貼ってある。ガチャリとドアが開く。

ツンとした独特の匂いと、ひんやりとした空気。

パッと見渡した限り、室内には誰もいない。


追手が来ても入ってこれないように、ドアを閉め、鍵をかける。

しーんとした部屋で一人、ふぅ……と一息。

とりあえず、無事にたどり着けて良かったぁ……。


あれから、つかの間の安息の地だった「資料室」を出て、渡り廊下を通り、3階から2階へと降りてここ「化学室」に到着した。道中、あたしたちを探し回るグラサンハチマキたちに見つからないかひやひやしたが、うまくエンカウントせずにすんだのは幸運だった。

というか、なんだかんだ朝から何人かノックアウトしてきてるんだよね、青に緑に黄色に……。あと何色が残ってんのか知らないけど、単純に相手の数も減ってる、っていうのもあるのかもしれない、とふと思う。


であれば……「あっち」も案外うまいこと言ってるかも知れない。

と、私は資料室で別れた早見くんのことを考えた。


5分とちょい前。

「化学室には、あたし一人でいったほうがいいと思う」

そう早見くんに告げると

「え……俺は足手まといってこと……?」

となぜかネガティブに受け止められた。

あ、別にそういう意味じゃなくて、とさらりと否定し、私は思いつきの“ある作戦”を話した。

「早見くんには、屋上に行ってほしいの」

「屋上…?西田が校内放送で俺たちを誘導してたとこだろ?なんでわざわざ敵が待ってるところに…」

「待ってるからこそよ」

「はあ?」

「もしあなたが西田だとして、敵に“屋上に来い”と誘導してからだいぶ時間がたつのに、一向に来ない、部下からの「倒した」って連絡もない……ってなったらどうする?」

「イライラして…様子を見に来る?」

「そう。それが怖いの。だからあんたが行って、逃げ回るなりして、注意を引いて足止めをする。その間に私は化学室にいって薬をゲットする」

おいおい、と早見くんが不安げな顔で私の話を止める。

「すげぇ簡単そうに言うけど、要するにあれか、捨て駒ってことか」

「捨て駒っていうか……“おとり”?」

「いや大差ねえよ!そもそもどこまで時間稼ぎできるかはわかんねえぞ?水鉄砲持って複数で応戦されたらぶっちゃけ勝ち目ねえぞ」

「心配しないで。薬を取ったら、急いであたしが出来るだけの人を元通りにするから。もしあんたがソッコーでやられても……あんたの仇は皆で獲るわ」

「扱いが雑すぎるな、俺の」

ファイト、と私が申し訳程度に親指を立てると、早見くんは、はぁ、とあきらめたように息をついた。


捨てご…おとりになった早見くんのためにも、私もしっかり薬を探さねば、と部屋の奥にあるビーカーやフラスコがきれいに並んでいるガラス張りの棚の前へと進む。

 縦に3つ並ぶ引き出しの一番下。私の記憶が正しければ、ここに目当ての“ヤルキデテクール”がしまわれているはずだ。しゃがみ込み。ガラ、と取っ手を引く。

 縦横きっちりと、几帳面にしきつめられたセピア色の瓶。

 科学部部長西田が日々発明する「薬」は、必ずここにストックされる。2年前、ヤツが私の“彼氏”だった時期に、自慢げに本人から聞いた事実だ。


「やたらとあるなぁ……」


 30本ほどある瓶を手前から一つ一つ取り出し、側面に貼られているラベルを確認していく。

“ケガノビール”、“コエシツカエール”、“アタマサエール”……うさんくさい健康サプリみたいなラインナップが並ぶ。ヤツのことだからどんなにうさんくさくても実際に名前通りの効能がある、ということが逆に怖いんだが、今はどうでもいい。とにかく“ヤルキデテクール”さえあればいい。


……のだが。


「あれ…何で…?」


 入っていた瓶をすべて取り出し、引き出しは空になっている。瓶のラベルも一つ一つ確認していったのだが。ない。“ヤルキデテクール”の瓶がない。


「“ゴホウシクン”、“アシハヤクナール”……やっぱりない……なんで“ヤルキデテクール”だけないのよ!」

何度見比べなおしても、結果は同じだった。

静かな部屋の中、さぁっと自分の血の気が引いていくのが分かる。

唯一の可能性だったのに……これじゃ絶望的なままじゃん……。

最悪だ、どうしよう……。


「ンフフフンフフ」


ビクッと体がこわばる。

後ろから聞こえた笑い声に、思わず振り向く。


「何かお探しのようだねぇ」


鍵を閉めたはずのドアのそばに、2人の男が立っていた。

1人は、見覚えのない190㎝ほどの大柄で、顔面にはなぜかプロレスラーがつけるようなピンク色のマスクをかぶり、額にはピンク色のハチマキを巻いている。

そして、その横に、ニヤニヤと笑いながら、西田が立っていた。


最悪だ。私はもう一度、そう思った。


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