誰がために校舎を走る ②

「……ごめん。朝から色々ありすぎて、ちょっとなんか、吐き出したかっただけ」

 私は無理に冗談ぽく笑った。


「こんなこととやかくいってる場合じゃないよね。いこ、化学室。ここにいても埒あかないし……」

「別に、全校生徒のためにとか、そんなことまったく思ってないけどな」

 そそくさと話を切り上げようとした私に、早見くんはそう淡々と言った。


「佐原さんの言う通り、文化祭とか体育祭とか、そういう青春ど真ん中イベントに無条件で心血捧げるほど純粋な人間でもねえ……んだけどさ。俺もいっこ、思い出しちゃったことがあって」


 早見くんはなぜか少し気恥ずかしそうだ。

「佐原さんとは今日がほぼほぼ初対面だと思ってたけど、違った。ていうか、俺が一方的に認識してたっつーか…」

「えっと……どういうこと?」

「一回だけ観に行ったことがあったんだよ。演劇部の公演。おととしの夏の文化祭で」

えっ、と思わず声が出る。


おととしの文化祭、というと私と早見くんが1年生だったとき、5人しかこなかった私のデビュー公演だ。5人しか来ていなかったとはいえ、来たお客さんの顔はさすがに認識しきれてはいなかった。その稀有なオーディエンスのなかに、まさか早見くんがいたとは。予想だにしない話に私は驚き、かつ“あれ”を見られてたのか、と微妙な気持ちになる。


「ぶっちゃけ、観に行こうと思ってたわけじゃなくて。あの日クソ暑かったから、クーラー効いた視聴覚室で涼むつもりで入っただけなんだけどさ……めっちゃ印象的だったのが、演者の中にガッチガチに緊張してた1年生が1人いたってこと」


 ほら……絶対刺されると思った、そこ。心の奥底に決まっていた記憶が、恥ずかしさと一緒に押し寄せてくる。


「佐原さん、今と髪型違って確かロングめだったし、西田のヤツと演劇部がどうのこうのって話してたの聞いて、言われてようやくつながったけど、いやーーー、あれ佐原さんだったんだな!舞台上で歩く度に手と足同時に出てたあの女子」

「……るっさい!」


 ギロリ、と早見くんを睨む。


「いや、確かにすっごいがちがちだったけど……今関係ないでしょそれ!話の腰折らないでよ」

「あ、わりぃ茶化すつもりじゃなかったんだけど、えーっとほら、だから……強いて言うなら、それなんだよ。なんで頑張れんの、っていう問いに対する答え的なもの」

「はあ?」

 なんだそれ。ずっと核心を避けるようなものの言い方をする早見くんに、イライラが募る。

「つまりあれですか?明日、無事に文化祭が開催されたら、またあたしが舞台上で無様な醜態さらしてんのが見れるから頑張るって、そういうことですか?」

 私がそう悪態をつくと、今度は早見くんは「ああ?」と怪訝な顔をした。


「そんなわけないだろ、そうじゃなくて……っていうか1年のときの舞台も緊張してた印象もあるけど、それでも、なんていうの、演技の熱?素人だからよくわかんねえけど引き込まれる感じはあったんだよ!無様な醜態なんて一ミリも思ってねえし、むしろカッコいいなくらいに思ってたって話」


 ……うん?私は今、どうやら褒められているらしい、と気づくのに数秒の時間を要した。なんなんだ一体。なんなんだこの時間は。私はただ質問をひとつしただけなのだが。


「まあ、実際、それから一度も演劇部の舞台観てないけどさ……。でもなんかさ、うれしかったんだよ。あんたが……佐原さんが、まだちゃんと、1人だけでも演劇部でやってんだって知って。あの日たまたま見た、不格好だけどがむしゃらに舞台に立ってたおんなじ1年生がさあ、知らねえところで、俺がひたすら野球部で走り込みと投げ込み知れる間に、おんなじように2年間、ものすげえ頑張ってたんだなあとか、思っちゃったんだよ」


 早見くんは、訥々としゃべる。体はこっちに向けてるくせに、顔は合わせようとしない。

「最後なんでしょ?明日の文化祭が。中止になったら、もうないんでしょ、次」

「あ……うん」

 コクリ、とうなずく。

「結構切ないんだよ。最後の最後に、舞台にすら立てねえっていうのは。……最後の大会のマウンドにたてなかった人間ですから、俺。まあ、その辺よくわかっちゃうんですけど」

 早見くんは意識的にか無意識的にか、左手で自分の右肩を優しく撫でた。

「……っていうのでいい?俺が今日、頑張る理由」

はっ。と自虐的に笑い、ようやく早見くんは顔を私に向け、目を合わせた。

 私はなんだか気持ちの整理がつかなかった。早見くんはきっと、聞かれなければ今の話は私にしなかっただろう。聞かない方がよかったかもしれない。悟らせずに誰かのために、ていうか私のために頑張る人間だったと分かってしまったら、どうしたって否定できないではないか。私がうじうじできなくなってしまったではないか。


「舞台上でがちがちに緊張したの、あの一回だけだし」

 素直に答えるのも癪に障るので、代わりに私は言った。

「あれ以来目まぐるしいスピードで演技力は磨かれてるし、もう緊張なんて一切表にしない。……明日もしない。だから」

「……だから?」

 ありがとう、おかげで気持ちが吹っ切れた、というつもりだったが、元来の素直になれない性格はこういうときに邪魔をしてくる。

「今日は西田をぶっ殺す」

 全部間違えた。……けどまあいいか。

 早見くんが、真顔で釘を刺す。

「うん、だから、“ぶっ殺す”はやめとこな?」


 

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