第7話

誰がために校舎を走る ①

「結構、大事なこと思い出しちゃったんだけど」

 私、佐原春乃が唐突にそう言うと、早見くんが、どうしたいきなり、とこちらを向いた。


「いや、さっき化学室うんぬんの話してたでしょ、この黄色ハチマキさんと」

 床に横たわる黄色ハチマキさんは「一ミリもベッドから動かないまま一週間すごしてぇ~」と力なくつぶやいている。


「それで記憶が呼び起されたんだけど、西田……あのマッドサイエンティスト、あたしと付き合ってたころ科学部で変な薬作っては、しょっちゅう自慢してきてたのよ」

「え、なに……?のろけ?」

「いや、んなわけないでしょ。むしろめんどくさかったし、200個くらいある別れた理由の一つよ」

「200個揃う前に別れる選択肢はなかったのかよ」

 早見くんが怪訝そうな顔をしている。昔の私に自分からもそう言ってやりたい。


「まあ、その辺の話はいったん置いとくとして……ほら、さっき女子トイレでも話した、“スキニナール“とか”ゴホウシクン“とかのほかにも、“コエシツカエール”“フタエニナール”“シャックリトマール”とか……」

「なんだその……ニッチな需要を狙ったラインナップ」

 といいながら早見くんは「まあでもそれ全部ホントに効果ありそうなのがすげぇけどな」と付け加えた。

「でね、その中の一つに“ヤルキデテクール”ってのがあったのよ」

「“ヤルキデテクール”……?」

「そう、ほら、どうしてもやる気でないときってあるでしょ。アイツ…西田君の場合、美術の授業で出た風景画の課題が死ぬほど嫌だったらしくて。「科学の力で強制的に自分を戦わせるしかない」とかなんとか言って薬の調合してたのよ。で、結局全学年で一番早く提出してた。その学期の美術の評定「2」だったけど」

「画力は別にあがらないんだな……あっ、でも、そうか!」

早見くんと目が合う。私は、コクリとうなずいた。


「西田君の言う“生徒を元に戻す方法”っていうのは多分、その薬なんじゃないかって思うの」

「やる気を失ったやつらに、やる気の出る薬を飲ませてプラマイゼロ……それをゲットできれば、皆を救えるかも……試してみる価値はあるな……いやでもそれがどこにあんのか、佐原さん知ってんの?」

「うん、アイツは必ず調合した薬は化学室にストックしてた」

「化学室か……南棟の2階だから、渡り廊下は通るけど、こっからそんなに遠くもねえ、おお……なんか、ようやくこのどん詰まりの状況に光が見えてきた感じがする……!」

 早見くんの表情が明るくなっている。まだ“ヤルキデテクール”があると確実に決まったわけではないのだが、わりとポジティブな人なのかもしれない。


 その様子と対比するように、私は少し前の、廊下で突然黄色ハチマキに見つかったときのことを思い出していた。

 あのとき私は一度、諦めていた。完全に。別にもう、文化祭なんてなくたっていいと。仮に開催できたところで、私一人の演劇部の公演なんて、楽しみにしてる人なんて誰もいないのだから、必死になる意味なんてないのだ、と。そう思ってしまった。

 早見くんの、やや、いやだいぶトリッキーな作戦のおかげでこうしてまだ戦える状況にいるけれど、一度思ってしまったことは、なかなか拭いきれるものではない。


「あのさ」

 ぼそりとつぶやくと、今にもこの部屋を出て、化学室へ向かおうとしていた早見くんが振り向いた。

「なんでそんな頑張れんの」

「え……?」

「段ボール全身に纏って戦ったりとか……。あんたってそんな、文化祭とか、学校の行事に全身全霊注げる感じのタイプじゃなさそうじゃん」

「えっと、脈絡もなくすごい偏見受けてる?」

きょとんとする早見君をよそに、私は続ける。

「いや、そりゃ、西田の思い通りに事が進むのはあたしだって癪に障るけど、正直、状況は絶望的っていうか……、さっき言った薬だってあるかわかんないんだし、冷静に考えたら、なんであたしがこんな、全校生徒のために頑張んなきゃいけないのとか、ここまでくると思っちゃったりするっていうか……もし仮に西田ぶったおして、全校生徒もとに戻して、文化祭が明日できたとしてもさ、ほら、あたしの演

劇にはどうせ大して人来ないんだろうなっていうか、それって結構むなしいよなあっていうか……」

 あ、だめ、これじゃただの愚痴じゃん、変な奴じゃん、と思いながらも次から次へと出てくる言葉を私はどうしてか止められなかった。

 早見くんは、戸惑うのでも、怪訝そうにするのでもなく、黙ったまま私のことを見つめている。

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