早見跳彦の最悪な朝 ③

 グラサン男から逃げ回る途中に見た校舎内の光景は、今まで見たことのない、奇妙で、そして異様な光景だった。

 全力疾走していくつもの教室を横切ったが、中の生徒たちは全員机に突っ伏し、うなだれていた。見る限り、気絶していたり、縁起でもないが死んでいるわけでもないのだが、ただただみんな生気を失っていて、まるで廃人のようだった。


なんだこれ。どうなってんだよ。

あいつが全部これを…?あのグラサン男にさっきのエビちゃんみたいに水鉄砲で撃たれたら、他の生徒みたいに廃人にされちまうってこと?

思わず後ろを振り向く。相変わらず無表情で、俺を追いかけてきている。

っていうかあいつ足速いな!どんどん距離縮められてんだけど!

理解不能な状況のなか、焦燥感が心の中で、どんどん大きくなっていく。

くっそ…!誰かいないのかよ?他に生き残ってるヤツ……!

誰か……!!


「伏せて」


突きあたりを右に曲がろうとしたとき、一歩だけ早く、向かいから制服を来た女子が飛び出してきた。


「えっ……伏せ!?」

「いいから伏せろっつーの!!」


その女子は、有無を言わさず片方の手で俺の頭を押し下げ、もう片方の手で持った竹刀を思いっきり振り上げていた。


女子の視線の先には、俺のすぐ背後に迫ってきていたグラサン男がいた。

バシィン!!

振り上げた竹刀が、グラサン男の頭にクリーンヒットした音が、廊下に響き渡る。


「がっ…!」


不意打ちに体制を崩し、グラサン男はその場によろけ、一撃をくらった頭を手で抱える。右手に持っていた水鉄砲が床にカシャンと落ち、カラカラと俺の目の前に転がってきた。


一瞬の出来事を脳で処理できないまま唖然とする俺に、女が叫ぶ。


「水鉄砲!早く!拾って!」

「え…えっと」


女の勢いにおされ、転がっていた水鉄砲を慌てて手に取った。


「この野郎…!!」


グラサン男は、痛みに耐えながらも、怒りに満ちた表情をしていた。ぎろりと黒髪女子を睨み、飛びかかろうとしていた。


「顔!顔!」


女子がさらに俺に叫ぶ。言われるがままグラサン男の顔に向けてビュッと水鉄砲を撃つ。

ビシャリ、と命中。した途端、グラサン男の動きがピタリと止まり、怒り全開だったその顔から、みるみるうちに生気が失われていった。


「あー……だるっ」


気だるそうにそういって、グラサン男は、その場にだらんと、仰向けに寝転がった。

「あー……川の流れに逆らわない小石になりてぇ……」

とかぼそい声でつぶやいている。さっきまで俺のことを追いかけていたのがウソのように、完全に生きる活力を失っていた。


何なんだよ一体……。まだこの状況に、思考が追い付いていない。


「よく生き残ってたわね、あんた」


助けてくれた黒髪女子が、そう言って俺を見る。淡々と、少し冷めた言い方だった。

半袖の白シャツに、青のリボン。夏制服のダークグレーのスカート。肩に届くくらいのショートヘアの黒髪。改めてよく見てみると、すっと通った鼻立ちにくりっとした目をしている。派手ではないが、個人的にみても、世間一般的な価値尺度に合わせても、可愛い部類に入る顔つきだと思う。

 一見落ち着いた雰囲気をまとっているが、数秒前にあの得体のしれないグラサン男の頭を手で押し下げて、竹刀を振り回していたと思うとそのギャップは大きい。


「助けてくれてありがとう、えっと……」

服装からしてうちの学校の生徒なのは間違いないが、名前は知らない女子だった。


「あ、佐原。佐原春乃。3年7組。よろしくどうぞ」

最短距離の自己紹介をにこりともせずに言う。同じ3年だったらしい。言われてみれば廊下ですれ違ったりしたことはあったかもしれない。


「とりあえず逃げるよ、他の奴らが来る前に」

 佐原…さんは、そう言って、周りをキョロキョロと警戒しながら歩きだした。


「え、逃げるって……もしかして、まだいんのか?このグラサン男みたいなやつ」

「うん、あたしさっきまで別のヤツに追われてたもん。すねに竹刀で一発食らわせてやって、撒いたけど。昇降口にもうろうろしてたし……残念ながら多分あと4,5人はいるね、このグラサン」


“すねに一発食らわせる”って女子高生が言うセリフじゃねえだろ、と佐原さんのやっぱり見かけによらない逞しさにやや身震いし、仰向けになっているグラサン男を一瞥する。こんな得体の知れないやつらがまだうようよいるんだ、という事実にさらに震える。


「何ぼさっとしてんの?馬鹿なの?置いてくよ」

 一人でスタスタと歩き進んでいた佐原さんは、こちらを振り返り、眉をひそめ、吐き捨てるようにそう言った。

身長も体格も女子の平均くらいで、顔も大人しそうだけれど、竹刀を肩に担いだそのいで立ちは、時代が時代なら「スケバン」の名を冠するふさわしい妙な威圧感があった。

 ていうかシンプルに口悪いな、この人……。と思いながらも言葉にはせず、俺は手に持っていたままだった、あのグラサン男の水鉄砲をギュッと握りしめ、佐原さんの方に小走りで向かった。



第2話 早見跳彦の最悪な朝 おわり



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