第2話

早見跳彦の最悪な朝 ①

「文化祭って結局、みんなでわいわい準備してる前日が一番楽しいんだよなあ」

……なんて戯言を言う連中を、俺は今すぐ全員食洗機にぶち込んで洗浄してやりたい。


「はっ……!はっ……!」


 梅雨が明け、ハイ皆さん、お待たせしました!と言わんばかりの夏らしい青空の下。

 俺、早見跳彦はやみはねひこは、額に汗を滲ませながら国道沿いの坂道をママチャリで上っていく。小高い丘の上にあるはまかぜ高校に入学してから2年と少し。駅前の平地にある我が家から、この憎たらしい急勾配を毎朝毎朝よくもまあのぼり続けてきたもんだと我ながら思う。


 特に今日に限っては、いつにも増してペダルを踏む足が重い。後ろの荷台に大量の段ボールを重ねられるだけ重ね、紐でくくりつけて載せているからだ。

「ったく何で俺がこんな苦行しなきゃいけねえんだよ……!」

 思わず愚痴がこぼれる。段ボールはすべて、明日催される文化祭で、クラスで出す焼きそば屋台の装飾や看板に使おうと、近所のスーパーから運んできたものだった。高校生活最後の文化祭とはいえ、こんなめんどくさい仕事誰だってやりたいくないのだが、昨日教室で行われた厳正なるじゃんけん大会の結果なのだから仕方ない。勝負弱い俺は、登校がてらスーパーに寄り、けなげに「段ボール輸送ミッション」を遂行しているのである。


跳彦はねひこくん、急げー!あと10分!」


 同じように昨日のじゃんけん大会に敗れた同志、エビちゃんこと蛯名慎太郎が前から急かしてきた。汗が滴り、テカりにテカる小太りの顔に、銀縁のメガネ、そして名前に反して甲殻類アレルギーなのがチャームポイントの、社交性のあるデ……ぽっちゃり。だがぽっちゃり体型に不釣り合いな体力を持ち、急勾配かつ長いこの坂を俺よりも速いペースで軽々と登っていく。

「……お先いきますよ――!」

 エビちゃんが、中々進まない俺を置き去りにして、颯爽とペダルを漕いで離れていく。

「あ、おい!待っ……ちきしょう速ぇなあいつ!」

 一応断っておくが、俺は別に体力に自信がないわけじゃない。所属していた野球部では血反吐が出るような練習メニューを一年生の時から日々さぼらずにこなしていたし、部員の中でも1,2を争う体力を誇っていた。帰宅部のくせにあのタフネスを持ち合わせるエビちゃんが異常なのだ。


 と、ずいぶんと先を進むエビちゃんに視線をやったところで、そういえば俺も今は帰宅部だったか、とふと気づく。血反吐が出る練習も、1カ月前に野球部を辞めてからは一回たりともやっていないので、体力が衰えているのも当然なのかもしれない。あれほど鍛えても、辞めたらすぐ衰えてしまうのは、少しだけ切なくもあるが。

 と一人勝手に神妙な気持ちになっているうちに、ようやく長い坂道にも終わりが見えてきた。

「やっと……上りきったぁ……!」

 ぜぇぜぇと息を切らし、キュッとブレーキをかけて自転車を止める。ポケットからスマホを取り出す。8時25分。始業まであと5分。だが山場は乗り越えた。あとこの先は平たんな道を1~2分進めば高校だ。油断は禁物だが、ギリギリ遅刻せずに間に合いそうだな。

……と思った矢先。

シュルル。

後ろで、聞きなれない音がした。と同時に、何だか体重が軽くなった気がした。重荷を下ろしたような。

……重荷?

ハッと、後ろを振り向いたときには、もう遅かった。

荷台の紐が完全にほどけている。結ばれていた段ボールはバラバラになり、ズザァ……とたった今のぼり切った坂を滑るように転げ落ちていく。

「文化祭は前日が一番楽しい」なんていってるやつは、やっぱりおかしい。


「マジで……?」

最悪だ、と思った。

 

この先、もっと最悪なことが待ち受けているなんて、このときの俺は知るよしもないのだけれど。


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