第9話

「澪は、よく一番前の席で嫌じゃないね」

 席替えがあった日の放課後。

 ホームルームでの席替え最中、一番前になった子がごね始め、その時に澪が真っ先に手を上げ、すぐに代わってあげたのだ。

「あたしは、一番前の方が楽なの」

 澪は私のよりも遥かに多い教科書と参考書を鞄にぎゅうぎゅう詰め込みながら笑って振り返った。

「どこが? 楽じゃないじゃん。先生がすぐ目の前だし。下手したら唾飛んでくるし」

「あはは。唾飛んでくるのは嫌かもー」

「ほらね」

「でも、あたしは一番前の方がいい。だって、前には先生以外誰も見えないじゃん」

 澪は心底嬉しそうに、にっこり笑って陽気に言った。

「前に誰か見えるとうざったくて無理。前の席なんて、かなり後ろだったじゃない? もう毎日毎日気持ち悪くて吐きそうだったもん」歌うようにそう言うと、澪ははち切れそうな鞄を閉めた。カチッと鞄のロックの音が小さくした。

「・・・え? なんで」

 そのあまりの軽やかな物言いにうっかり聞き流してしまいそうになったその以外な言葉が引っかかった私は思わず自分でも聞いた事がないくらいの低い声で訊ね返した。澪は間を置かずに、又歌うように答える。

「たくさんの同じような人間の髪の毛だらけの頭がずらっと埋め尽くしている景色が見えるのが、気持ち悪くて仕方なくて。それぞれ違った事を考えてる毛むくじゃらの人間がこんな狭い空間にみっしり詰まっているのが気持ち悪くて。みんな死ね! 消えろ! って、毎日思ってた。それがなくなるだけで、すっごい楽」

 優等生みたいな涼しくて可愛い顔をして、後ろの席からそんな呪いにも似たような恐ろしい事を考えてたなんて驚きだったし、なんだか意外過ぎて少し怖くなった。

 自分だって色んな事に苛々したり不条理に反感持ったりしているくせに、澪が何をどんな風に考えようと感じようとそれは澪の勝手なんだから、別に怖い事でもなんでもないのに、じゃあ、どうして私は今そんな言葉を「このポッキーおいしいね」と同じような軽い口調で、笑いながら口にした澪を違和感を持って見ているのだろう・・・

 返す言葉を探し倦ねて、私は一時停止しているみたいにしばらく固まってしまった。

 そんな事には関係なく、校庭からは硬式テニスを打ち合う軽快な気取った音が飛んでくる。合間を縫って、鳥の叫び声のようなホイッスルの鳴る音が不規則に響く。

「・・・私も、そのキモイ群衆に含まれてるの?」思わず口をついて出た掠れた言葉に我ながら戸惑った。

 別に私は澪にどうのこうのと特別な感情で思ってもらえるくらいの友達でもないし、それを特には望んではいない。だのに、どうしてそんな言葉が出たのか不思議だった。

 焦燥感だろうか? それとももっと別のなにか。

「ううん。吹雪ちゃんは違うよ」

 無意識にほっと胸を撫で下ろす私に気付いたのか、澪は鞄からプチシリーズのチョコチップクッキーを出してきて、豪快に包装を破ってから私の机に広げた。

「あたしこれ好きなの。食べよーよ」にっと笑った澪の顔には、不安なんて何処にも見えなかった。

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