4話 自分探し




 東京都目黒区の駅から徒歩10分の場所に、築五十年のボロアパート箕輪みのわ荘がある。

 そのアパートの二階の202号室が俺の部屋だ。塗料が剥げた玄関のドアがひどく懐かしく見える。

 試しにドアノブを回してみるが、固く閉ざされたドアが戻れない日常を象徴しているかのようにビクともしない。

 自分の部屋なのでチャイムなど押したことがないが、何度か押してみたが中から返事はない。

 静岡の田舎から東京に出てきてから四年間、このアパートで暮らしてきた。

 今もドアの向こうには、数日前までの生活の痕跡がそのまま残っているはずだ。

 冷蔵庫に何か入っていたっけ?一応几帳面なので、洗い物は残ってないはずだが……ああっ、洗濯物がそのままだ。この季節なので、そうとう菌が繁殖しているな。

 どうしよう?大家に言えば、アパートの鍵を開けてくれるだろうか?

 彼女だと言えば、開けてくれるだろうか?いや、無理だな。それがまかり通れば、どこでも侵入可能だ。

 俺はこれから、どうやって生きていけばいいのだろうか?

 鉄の階段を上がる足音がして、咄嗟に見ると、上がってきたのは確か201号室の住人だ。

 俺の姿に一瞬ギョッと立ち止まるが、近づいて来て「すみません」と言ってすれ違う。

 肩掛け鞄を下げた二十歳くらいの真面目な学生風だ。

「あのっ」

 俺は彼に声を掛けた。

「は、はい?」

 立ち止まり振り返る。

「この部屋の住人、最近、帰ってきました?」

 若い男は俺の顔をまじまじと見て、やがて、ハッと何かに気づいたように変化した。

「い、いえ。知りません」

「そうですか」

「……あの、宇部理紗さんですよね?」

「ひ、人違いです」

 俺は足早にアパートを後にした。

 なぜだろう?宇部理紗と言われるのにすごい抵抗感がある。

 アパートの下に待たせてあったタクシーに乗り込むと、おじいさんのタクシードライバーが振り返って俺を見た。

「お嬢ちゃん、こんなこと聞くのあれだけど、お金持ってるの?」

 そうなのだ、俺は病院着のままであった。

「病院に戻ってくれませんか?」

 問いには答えず、俺は行き先を告げた。

 この先一体どうしたらいいのだろうか?

 俺の身体はいったいどこにいるのだろうか?

 お互いが共鳴しあうように何かシグナルを送ってくれればいいのに……。

 そのとき、道路の標識に『新宿』の文字を見つけた。

「運転手さん、歌舞伎町へ行ってくれませんか?」


 歌舞伎町は昼間でもホストらしい男たちが、目を光らせて獲物を物色している。

 それらを横目に見ながら、花園通りの前でタクシーを降りる。

「すみません、ちょっと待っていてください」

 確か、あの夜は、あっちからここへと向かって……。

 あの夜の記憶を頼りに俺は通りを進んでいく。

 雨に打たれても、パチンコで勝って太くなった財布を尻に感じながら、気分よく家路を急いでいた。

 その時、頭上で何かが爆発したように……。

 その日の歌舞伎町は晴天で多くの人通りがあり、何の手がかりもないままあっという間に一周してしまった。

「彼女、何しているの?病院を抜け出してきた?」

 声を掛けてきたのは、金髪のハリネズミのようなヘアスタイルをした細身の小男だ。

「……るっせーな、今大事なところなんだよ。あっち行ってろ」

 しかし、俺の顔を見た男は表情を変えた。またか……。

「あれ?ウベリじゃね?ホントに抜け出してきたんだ。病院から」

「なんで知ってんだ?」

「はあ?自殺したんだろ?雑誌に出てたぜ」

「えっ、ホントに?」

「俺、ずっと前からファンなんだよ。お前ってさ、頭弱そうでダルそうにしてるところとか、見た目がエロイんだよな。俺にはわかる、お前がエロいってこと……」

「そんなことどうでもいい。雑誌に出てったって本当か?」

 俺は金髪を見下ろして睨んだ。

「……あっ……え?もしかして元ヤン?」


 病院の玄関口のロータリーにタクシーが入っていくと、カメラを持った人たちが数人いるのが見えた。

 最初は何のことかわからず、何かの催し物があってカメラ小僧が集まっているのかと思った。

「運転手さん、悪いけどちょっと待ってて。病室までお金取りに行くからさ」

 と運転手に言って、タクシーを降りロビーに入ろうとしたところ、その中の一人が俺に気づいた。

「宇部理紗だ」

 途端にそこにいたカメラマンが一斉に集まってきて、カメラのシャッターを押しまくる。すぐに取り囲まれて、得体の知れない有象無象が俺にカメラを向け迫ってくる。

 そうか、こいつら宇部理紗を待っていたのか。

 俺はメディアのパワーというヤツを感じながら、集団から脱出しようと試みる。

「自殺未遂は嘘の報道だったんですか?」

「大丈夫なんですか、お体の方は?」

「どこに行っていたんですか?病院を抜け出して?」

「ミキオのところですか?彼との関係を聞かせてください」

 矢継ぎ早に質問され、騒ぎを聞きつけた別のマスコミも集まってきて、もみくちゃにされる。

 その時、どこからともなく現れた手に引っ張られて、訳も分からないままにタクシーに乗せられた。

「出して」

 女の声が頭上でして、タクシーが動き出す。

 喧騒が離れ、静寂の中、自分の激しい息遣いだけが聞こえてきた。

 見上げると、宇部理紗のマネージャーの顔があった。

「どこ行ってたの、もう。心配してたのよ」

 畠山が声を震わせていた。


 ドアがノックする音がする。

「どうぞ」

 葛城が返事をするとドアを開けて、五鈴璃々が入ってきた。

「かけて」

「失礼します」

 葛城の横には、佐藤勇樹もいて、二人の前に璃々は緊張した面持ちで腰かける。

「緊張しなくていいから。二三質問があるだけだ」

 葛城は微笑みながら話をする。

「実は最近、グループの方向性について、どうもマンネリしているという声が内外から聞こえてきてね。新しい企画を用意しようと考えている。どうだろう?グループを幾つか小分けにして、ユニットをやるというのは?」

「はあ……」

「Aメン、Bメン、期別という垣根を取っ払って、自由に、いろんな可能性を考えてみたいんだ。三、四人のグループを10チームくらい作ろうと思っているんだけどね。どう思う?」

「はい、良いと思います」

「そう……それで、もう一つ聞きたいのは、最近どうかな?グループ内なんだけど、みんな仲良くやってる?」

「はい、みんな仲良しです」

 璃々はニッコリと微笑んだ。

「まあ、そう答えるよね。けどさあ、何か悩みってほどじゃないけど、引っかかったりする思いもあるんじゃないの?これだけ人数がいればさ」

「それは確かにないと言ったらウソになりますが、それも含めてグループだと思っているので」

「そう、璃々は相変わらずしっかりしてるな。……じゃあ、誰と組みたいとか、逆に組みたくないとかある?」

「私は誰でも構いません」

 璃々はニッコリと微笑んだ。

「そっか、でも、とりあえず、これに自分が組みたいメンバーを書いてきてくれるかな?それともし口では言えない悩みがあったりしたら、それも書いて構わないから」

 と葛城は一枚の用紙を間にあるテーブルの上に置いた。

 そこには、第一希望、第二希望、第三希望、その他、要望と書かれた枠が書いてある。

「そこに書いてあることを参考にさせてもらうからさ」

「でも……」

 用紙を見つめながら、初めて璃々は首を傾げた。

「誰からも指名されなかったメンバーは気まずいんじゃありませんか?」

「それは我々しか知らないからさ、問題ないよ」

 葛城は笑って答えた。


 控室に戻ってきた璃々とアイコンタクトをして、入れ替わるように岩崎怜美が部屋を出ていく。

 控室では、Bメンバーの数人が各々の時間を過ごして、面談を待っている。

「ねえねえ、誰とコンビ組みたい?どんな組み合わせがいいかな?」

 水元公佳と向田優月と掛川紗英かけがわさえが椅子に座って、顔を突き合わせて話をしている。

「優月ちゃんと、私と小田木さんと、……で、低身長コンビなんてどう?」

 掛川の位置から部屋に入ってきた五鈴が見えた。

「だったら、璃々さんも加えてあげなくちゃ」

 水元の言葉に、掛川の顔がこわばる。

「それいいかもね」

 五鈴が三人の後ろに立って微笑む。

「何だ璃々さん居たんだ」

 水元が振り返り大袈裟に驚いて見せた。

「でも、昔、同じようなコンセプトのアイドルがいたわよ」

「本当に?いいじゃないですか、また出てきても」

 水元はのん気に答える。

「それはそうと、何だって急にこんなこと言いだしたんですかね?やっぱ、宇部さんのスキャンダルを誤魔化す作戦ですかね?」

 取り繕うように掛川が話題を変える。

「あなた、よく、そんなこと大きな声で言えるわね?おお、コワッ」

 今度は五鈴が表情を変えて、去っていく。

「なんでそう思うの?」

 向田がのん気に訊いた。

「だって、ほら、宇部さんのスキャンダルで炎上しているから、これ以上炎上させないための話題づくり」

「あんたたち、そういう事を大きな声で話をしてるの良くないよ」

 と声を掛けてきたのは、二期生の露木佑奈つゆきゆなである。

 のんびりした口調で優しく、後輩からも慕われる。

「佑奈さん。でも、そういう意図じゃないんですか?」

 掛川がツインテールを震わせていった。

「私が思うに、グループの結束を強めようとする意図と、新しい可能性の模索なんじゃないかな?」

「可能性?」

「そう、あなたたちも四期も育ってきたし、そろそろグループとしての新しい面を見せていこうという考えだと私は思うな」

「へえー、さすがは佑奈先輩」

 感心する三人の後ろで、鼻で嗤っている同じく二期生、池谷愛生いけやあきがいた。

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